前回紹介したNICE(National Institute of Health and Clinical Excellence)http://www.nice.org.uk/)の仕事は政策作りにも近いということもあり、また英国では分娩や出産といった周産期に関連した分野は他の分野に比べてとても政治活動が熱心であることもあり、保健に関連して英国の政治の様子を垣間見ることがある。
中でも英国議会・平民院(例のビッグベンのある建物である)で1年に4回開かれる、APPG (All Party Parliamentary Group)という会議はとても面白いので、いつも参加することにしている。
このAPPGという集まりは、保健医療の各分野それぞれ、携わる学会、慈善団体、患者団体、大学や研究所など国中の様々な組織からの代表と、英国の保健医療のその分野を専門とする国会議員、保健省にてその分野を担当する官僚達が、定期的に議会内で会合を持ち、意見交換する場である。私は、たまたま出産に関する診療ガイドラインを担当しているので、妊娠出産に関するグループにいつも招待を受ける。
私自身は、もともと新生児科医であるということもあるし、政策立案途中での守秘義務ということもあるので、傍観者であることが多く、逆に観察しながら、いろいろ新しい発見をさせていただいている。
分野によって、その活動の熱心さは違うのだが、私の入っている出産に関するグループはとても熱心であると聞いている。国中の最前線の現場で働いている専門家や、患者代表達の真剣な質問に、国会議員がこれまた真剣に質問に答える様は圧巻である。
質問する機会なども公平に与えられる。そもそもこういう形で政策に影響する機会が与えられるということも驚きに値するが、最も感銘を受けるのが、議員の受け答え時の態度である。
英国の国会議員というのはとてもよく勉強している。少なくともそう見える。豊富な知識を持ち、必ず自分の言葉で質問に答えている。しゃべる口調、相手への目線、そういったものも、訓練されたものなのかどうかは分からないにしても、横から見ていると感心してしまう限りである。
私のような診療ガイドラインの作成者でも、作成発表前にはメディア・トレーニングと言ってみな(特にマスコミ)の前に出て話すときに注意することなどの訓練を受けるので、おそらく、訓練の賜物もあるだろうが、それにしても内容についてもよく勉強していると感心するので、単にそういった付け刃でない努力もしているのだろうと思う。
蛇足であるが、決定権を持たない貴族院の質疑応答を見ていても、実に真剣である。選挙によって選ばれないため決定権を持たないながらも、さまざまな質問をすることで、正しい方向に向かっているかどうかを検証する良い機会になっている。もっとも儀式的なことや装飾が多いのも事実だが…。
もちろん政治であるから、いろいろ裏では難しい点があるだろうと想像はするのだが、それでも、質問者の方はちゃんと聞いてもらったという印象は残るであろうと思う。
さて、保健医療政策における政治家の役割とは何なのだろうかとよく考えさせられる。
考えれば、世の中の多くのことが「バランス」によって成り立っている。保健医療政策をすべて資本主義化してしまえば、どうなるであろうか。すべてが経済効率のみで語られていくようになると、極端のその向こうに見えるものは、弱者切り捨てである。
少し語弊があるかもしれないが、老人や小さい子ども、障害者など、医療やケアにお金がかかる割には生産性の低い社会的あるいは保健的弱者にお金をかけるのは、経済効率が悪いということになる。
一方で、保健医療制度を今度は完全社会主義化し、一律すべて無料化し、すべての人にどんなに高額でも平等に最先端の医療を提供するようにすれば、どうなるであろうか。もちろん、国が破産してしまう。
また、さらに完全社会主義化は英国の過去の歴史にもあるように、制度疲弊を起こし、非効率化ということ、さらには質の低下にもつながっていく。
国には、個人と同様に資産や資源は一定しかない。ある一定の収入しかない場合に、どこにどれだけお金を使うかというのは難しい課題であるが、個人レベルでも、国レベルでも毎日のように自問自答しなければいけない問題である。
保健制度というのは商業や通常の産業と違い、お金を増やすことを目的としていない。疾病の根絶と、人々の健康の増進である。教育制度も似たような性格がある。
保健医療の特殊性を理解した上で、要は、できるだけ、持っている資源を効率よく、平等に使って医療サービスを提供していくために、上記の自由主義と社会主義のバランスを上手に保ちながら、新しく得た知識を得て、そのバランスを前に(もしくは高いレベルへ)進めていく努力が必要となる。それが、私の理解している「第三の道」である。
こういうバランスを取るとともに、レベルを上げていく努力こそ、政治の主導を必要としている部分である。なぜなら、その難しいバランスこそ、国民の総意に基づくべきだからである。そのためには、国民そのものが、この難しいバランスを理解し、それぞれの立場なりに、考えた上で、1票を投じる必要があるわけで、もし政治家が問題であるとすれば、それを選んでいる国民の問題である。
英国でもこのような形で理想的に民主主義がいつも働いているわけではない。政権の裏で隠しながら物事が進んでいくこともあるし、個別の利益を誘導している政治家も存在する。
一方で、国民一人ひとりの中に(社会の階層にもよるが)政治意識が強く、個人主義に基づく民主主義の理解が幅広いを感じる部分もある。
町内会でもしょっちゅう、細かい話で(例えば近くの公園に柵を付けるべきかどうかとか、近くにマンションを立つかどうかというような)皆の話し合いを見ていても、このような民主主義が根付いているように感じる。
政治や政府の在り方というのは、その国やその共同体を構成している人々そのものを反映しているという、考えれば当たり前のことがとても強く感じられる。
そんなことを思いながら、議員の質疑応答の様子を見ていると、なかなか面白い。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
森臨太郎の考え方。オーストラリア、イギリス、ネパール、世界保健機関など、さまざまな場で、診療・政策に携わる。持続可能な社会と医療のあり方を追求している。成育医療センター政策科学研究部長・京都大学教授
2008年10月11日土曜日
2008年10月7日火曜日
ナイス!なガイドライン
英語で「良い」という場合には様々な言葉を使い分けるgoodやnice、excellent、brilliant、fine、などなどいろいろあるが、すべて微妙に違う。Niceという言葉は、普通に良いときにも使うのだが、人を指して、「優しい」だとか、「親切」、「人当たりがいい」というような意味で使う場合も多い。ちなみにExcellentというのは単に良い、悪いではなく、非常に優れているという場合に使う。
NICE(National Institute of Health and Clinical Excellence)http://www.nice.org.uk/ は、ブレア政権の保健医療改革の目玉として設置された、国民医療サービス(NHS)内にある独立組織である。主な仕事は、ある一定の病気や症状に関連した診療指針を作成する「診療ガイドライン・プログラム」、一つの医療技術に関してその医療効果や経済効果をまとめる「診療技術評価プログラム」、それから上記二つとはアプローチが多少異なるため、手術や手技に関する効果などをまとめる「介入的手技プログラム」を三つの柱としている。最も大きな仕事は、いわずと知れた診療ガイドライン・プログラムである。2005年より、一般の診療行為に限らず、公衆衛生的な施策、たとえば国民の健康に関連した食生活はどうかなどに関しても、ガイドラインを作成するようになった。
なぜ診療ガイドライン作りが保健医療制度改革の目玉になり得るのだろうか。
誤解を恐れずに単純に書く。NHSはすべて税金で賄われ、診療を受けるのはすべて無料という極めて社会主義的な制度として始まった。その後、時間とともに組織疲弊を起こし、非効率化、質の低下が問題となっていった。サッチャー政権時の自由主義化改革により、一部の地域の効率は上がったものの、質の向上にはつながらず、地域格差を生む結果となった。以上の歴史から、現政権にとって、医療の効率を上げつつ、質も向上させ、全体の標準化を図ることというのが当然の目標となったわけである。
もちろん、医療というのは各病気や状態に対する診療の集合体としてあるわけだから、それぞれの病気・病態に応じた最も良い診療行為というのはあるはずである。その現在考えられる最も良い診療行為、というものを考えてみようというのが診療ガイドラインである。
具体的には、まず今まで膨大になされてきた臨床研究をまとめ、研究の成果ではどこまで分かっているかということを検討する。また、これと同時に、その診療行為の国全体としての経済的なインパクトや、経済効率(どれだけのお金がかかる診療行為で、どれだけの効果が上がるか)に関して、しっかりとした経済分析も行われるのもNICEの診療ガイドラインの特徴である。多くの診療行為は、実は臨床研究に基づいているわけでなく、長い医学の経験の歴史の中から見つけられてきたことも多いので、臨床研究をまとめるだけでは不十分である。また、すべてのことが経済効率だけで筋が通るわけがなく、これだけではいけないのは当然だ。
そこで、実際に診療行為をしている様々な分野の医師や看護師、心理学者、一般の患者などに集まってもらい、臨床研究のまとめと経済分析の結果を検討してもらった上で、自分達の専門家としての知識・経験に照らし合わせて議論をしてもらい、これが今考えられる最適の診療行為であろうというものを考え作ってもらう。ここに一般患者が「患者という視点で見る専門家」として参加しているのはNICEの大きな特徴である。
作ってもらったものを今度は、インターネットで公開し、各学会から患者団体に至るまで、関心ある人すべての意見を募集する。その意見一つひとつをしっかりと検討した上で、必要に応じていったん作った最適な診療行為を書き直したりして、最終的にこれが最適な診療行為ではないだろうかというのものを作成し、再度インターネットに公開する。
しかし、同じ病名がついていても、患者さん個人個人の状態というのは必ず違うものである。なので、診療ガイドラインというのはあくまでも参考にすべきものであって、順守するものではない。これは絶対の原則である。
では国として、これだけお金をかけて、誰も守らないのでは意味が無いのでは?という質問を良く受ける。
実は拘束力はないにも関わらす、NICEの診療ガイドラインは大きな影響を及ぼし、一つのガイドラインが出るたびに各新聞がトップで取り上げ、国中の専門家がその動向を注目している。写真は私の担当しているガイドラインに関して、新聞社に情報を漏らされ、挙句の果てに見当違いの方向で書かれてしまった例である。いつも正しい情報が行くとは限らないが、スパイじみた取材をするほど内容に関心が高いのも事実である。こういうように国民レベルで関心を呼び、内容が大きく影響され、実際の診療を変えることになるというのも事実である。
これには幾つか理由がある。
まず第一に、「国」の作った診療ガイドラインであり、診療ガイドラインの内容そのものは法律でもなければ、拘束力もないが、当然ながら、保健省としても出来上がったものにお墨付きを与えるわけで、国の予算は診療ガイドラインの進める方向に沿うわけである。
第二に、各トラスト(病院運営母体)は第三者機関から評価を受け、その結果は公開されるし、政府の方針へもかかわってくる。この評価項目そのものに診療ガイドラインは入らなくても、診療ガバナンスへの努力は当然ながら評価される。診療ガイドラインは診療ガバナンスの重要な柱の一つなので、当然、診療ガイドラインを押さえていることは間接的に評価につながるわけである。
第三に、一般・患者さんの側の関与である。患者さん側の関与により、患者団体を通して、関心が高まるということもあるが、さらに重要なのは、一般の患者が、NICE診療ガイドラインの存在を知っており、自分や知り合いが何らかの診断を受けたり、症状を持つ場合、そのガイドラインから情報を手に入れていることも多いという点である。そのためNICEの診療ガイドラインでは必ず、分かりやすい言葉で書かれた一般用のガイドラインがすべてのガイドラインそれぞれに付属して存在している。日常診療の中で、家庭医側、患者側双方が、一般的、あるいは標準的な診療がどんなものかということをNICEの診療ガイドラインから情報を得ているわけである。
第四に、経済分析が必ず含まれていることである。治療効果がはっきりとあると研究の結果から分かっているものであっても、たいへん高額であるにもかかわらず、その治療効果そのものは他のものに比べると少ないという治療法がある場合、本当にそれだけの高い設備投資なりをする価値があるのか、という点は病院経営者にとっても切実な問題である。そのとき、「儲かるから」ではなく、「得られる治療効果が設備投資に比してどうか」という点が重要である。社会主義的運営母体を持つ英国の保健制度だからこそ、「儲かるから」ではなく「最大多数の人に最大幸福(健康)が得られるから」という考えに基づいて、進めていけるわけである。
第五に、方法論の内容に対しての信用である。できるだけ客観的な臨床研究の結果を検討した上で、どこかの学会だけの独占でなく、様々な科の医師、さまざまな場所で働く看護師、医療に関与するその他の専門家達、一般の患者代表、そのすべての人に発言権が与えられ、一般公開の際には極言すれば英国国民であれば、だれでも意見することができる。こういった透明性、客観性をできるだけ確保し、民主的な方法で出てきた結論をみんなで守ろうとするのは民主主義の基本理念である。それを支えるのは、ガイドラインの作成過程に対する信用であると思う(私自身も関与しているので、少々手前味噌であるが…)。
まだまだあるが、英国でのNICEの診療ガイドラインのあり方というのは、一般的な診療ガイドラインのあり方とは少し異なり、国の政策に非常に近い位置を占めているということが、その性格、影響力を決めているわけである。
中でも注目に値するのは、一般社会との知識の共有により、よりよいものを探していくという態度と、最大多数の最大幸福という全体の利益のためにする義務とともに個人としての自由と権利がある、という本物の個人主義の在り方が根底にあることである。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
NICE(National Institute of Health and Clinical Excellence)http://www.nice.org.uk/ は、ブレア政権の保健医療改革の目玉として設置された、国民医療サービス(NHS)内にある独立組織である。主な仕事は、ある一定の病気や症状に関連した診療指針を作成する「診療ガイドライン・プログラム」、一つの医療技術に関してその医療効果や経済効果をまとめる「診療技術評価プログラム」、それから上記二つとはアプローチが多少異なるため、手術や手技に関する効果などをまとめる「介入的手技プログラム」を三つの柱としている。最も大きな仕事は、いわずと知れた診療ガイドライン・プログラムである。2005年より、一般の診療行為に限らず、公衆衛生的な施策、たとえば国民の健康に関連した食生活はどうかなどに関しても、ガイドラインを作成するようになった。
なぜ診療ガイドライン作りが保健医療制度改革の目玉になり得るのだろうか。
誤解を恐れずに単純に書く。NHSはすべて税金で賄われ、診療を受けるのはすべて無料という極めて社会主義的な制度として始まった。その後、時間とともに組織疲弊を起こし、非効率化、質の低下が問題となっていった。サッチャー政権時の自由主義化改革により、一部の地域の効率は上がったものの、質の向上にはつながらず、地域格差を生む結果となった。以上の歴史から、現政権にとって、医療の効率を上げつつ、質も向上させ、全体の標準化を図ることというのが当然の目標となったわけである。
もちろん、医療というのは各病気や状態に対する診療の集合体としてあるわけだから、それぞれの病気・病態に応じた最も良い診療行為というのはあるはずである。その現在考えられる最も良い診療行為、というものを考えてみようというのが診療ガイドラインである。
具体的には、まず今まで膨大になされてきた臨床研究をまとめ、研究の成果ではどこまで分かっているかということを検討する。また、これと同時に、その診療行為の国全体としての経済的なインパクトや、経済効率(どれだけのお金がかかる診療行為で、どれだけの効果が上がるか)に関して、しっかりとした経済分析も行われるのもNICEの診療ガイドラインの特徴である。多くの診療行為は、実は臨床研究に基づいているわけでなく、長い医学の経験の歴史の中から見つけられてきたことも多いので、臨床研究をまとめるだけでは不十分である。また、すべてのことが経済効率だけで筋が通るわけがなく、これだけではいけないのは当然だ。
そこで、実際に診療行為をしている様々な分野の医師や看護師、心理学者、一般の患者などに集まってもらい、臨床研究のまとめと経済分析の結果を検討してもらった上で、自分達の専門家としての知識・経験に照らし合わせて議論をしてもらい、これが今考えられる最適の診療行為であろうというものを考え作ってもらう。ここに一般患者が「患者という視点で見る専門家」として参加しているのはNICEの大きな特徴である。
作ってもらったものを今度は、インターネットで公開し、各学会から患者団体に至るまで、関心ある人すべての意見を募集する。その意見一つひとつをしっかりと検討した上で、必要に応じていったん作った最適な診療行為を書き直したりして、最終的にこれが最適な診療行為ではないだろうかというのものを作成し、再度インターネットに公開する。
しかし、同じ病名がついていても、患者さん個人個人の状態というのは必ず違うものである。なので、診療ガイドラインというのはあくまでも参考にすべきものであって、順守するものではない。これは絶対の原則である。
では国として、これだけお金をかけて、誰も守らないのでは意味が無いのでは?という質問を良く受ける。
実は拘束力はないにも関わらす、NICEの診療ガイドラインは大きな影響を及ぼし、一つのガイドラインが出るたびに各新聞がトップで取り上げ、国中の専門家がその動向を注目している。写真は私の担当しているガイドラインに関して、新聞社に情報を漏らされ、挙句の果てに見当違いの方向で書かれてしまった例である。いつも正しい情報が行くとは限らないが、スパイじみた取材をするほど内容に関心が高いのも事実である。こういうように国民レベルで関心を呼び、内容が大きく影響され、実際の診療を変えることになるというのも事実である。
これには幾つか理由がある。
まず第一に、「国」の作った診療ガイドラインであり、診療ガイドラインの内容そのものは法律でもなければ、拘束力もないが、当然ながら、保健省としても出来上がったものにお墨付きを与えるわけで、国の予算は診療ガイドラインの進める方向に沿うわけである。
第二に、各トラスト(病院運営母体)は第三者機関から評価を受け、その結果は公開されるし、政府の方針へもかかわってくる。この評価項目そのものに診療ガイドラインは入らなくても、診療ガバナンスへの努力は当然ながら評価される。診療ガイドラインは診療ガバナンスの重要な柱の一つなので、当然、診療ガイドラインを押さえていることは間接的に評価につながるわけである。
第三に、一般・患者さんの側の関与である。患者さん側の関与により、患者団体を通して、関心が高まるということもあるが、さらに重要なのは、一般の患者が、NICE診療ガイドラインの存在を知っており、自分や知り合いが何らかの診断を受けたり、症状を持つ場合、そのガイドラインから情報を手に入れていることも多いという点である。そのためNICEの診療ガイドラインでは必ず、分かりやすい言葉で書かれた一般用のガイドラインがすべてのガイドラインそれぞれに付属して存在している。日常診療の中で、家庭医側、患者側双方が、一般的、あるいは標準的な診療がどんなものかということをNICEの診療ガイドラインから情報を得ているわけである。
第四に、経済分析が必ず含まれていることである。治療効果がはっきりとあると研究の結果から分かっているものであっても、たいへん高額であるにもかかわらず、その治療効果そのものは他のものに比べると少ないという治療法がある場合、本当にそれだけの高い設備投資なりをする価値があるのか、という点は病院経営者にとっても切実な問題である。そのとき、「儲かるから」ではなく、「得られる治療効果が設備投資に比してどうか」という点が重要である。社会主義的運営母体を持つ英国の保健制度だからこそ、「儲かるから」ではなく「最大多数の人に最大幸福(健康)が得られるから」という考えに基づいて、進めていけるわけである。
第五に、方法論の内容に対しての信用である。できるだけ客観的な臨床研究の結果を検討した上で、どこかの学会だけの独占でなく、様々な科の医師、さまざまな場所で働く看護師、医療に関与するその他の専門家達、一般の患者代表、そのすべての人に発言権が与えられ、一般公開の際には極言すれば英国国民であれば、だれでも意見することができる。こういった透明性、客観性をできるだけ確保し、民主的な方法で出てきた結論をみんなで守ろうとするのは民主主義の基本理念である。それを支えるのは、ガイドラインの作成過程に対する信用であると思う(私自身も関与しているので、少々手前味噌であるが…)。
まだまだあるが、英国でのNICEの診療ガイドラインのあり方というのは、一般的な診療ガイドラインのあり方とは少し異なり、国の政策に非常に近い位置を占めているということが、その性格、影響力を決めているわけである。
中でも注目に値するのは、一般社会との知識の共有により、よりよいものを探していくという態度と、最大多数の最大幸福という全体の利益のためにする義務とともに個人としての自由と権利がある、という本物の個人主義の在り方が根底にあることである。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
2008年10月6日月曜日
患者・一般参画 (PPI: Patient and Public Involvement)
地下鉄では乗客がみな新聞を読んでいる、というのがロンドンの毎朝の風景である。騒音があまりにうるさくて新聞を読むぐらいしかできないということもあるが、政治に関心の強い国民性もある…というのはこじつけだろうか。英国で仕事をしていると、何気ないときに「政治に関心の強い国民性」を感じることが多い。こうした政治への関心の高さが、実は患者・消費者の積極的な政策決定への参加に影響しているのではないだろうかと筆者は考えている。
患者・一般参画という言葉はブレア政権の目玉、英国保健制度改革でのキーワードのひとつである。2001年に発効された医療・社会ケア法(the Health and Social Care Act)にて、すべての英国国立保健サービス(NHS: National Health Service)の病院運営母体(トラスト)は、その方針決定に患者・一般代表の参画が義務付けられた。ブレア政権も長期化し、この患者・一般参画ということも末端まで浸透してしてきた。今ではどこに行っても、病院運営における方針決定場面で患者消費者代表の存在をごく当たり前のように感じるようになってきた。
私は今、NICE(National Institute of Health and Clinical Excellence)という国立保健サービス内の組織の下で、母子保健分野の診療ガイドライン作りに携わっている。NICEの診療ガイドラインはなかなか斬新な方法で作っていると、世界の注目を集めている。その特徴の一つがこの患者・消費者参加で、上に挙げた患者・一般参画という動きの一つである。
「患者・消費者参加といっても形だけで、患者・消費者の方と一緒に作ったのだと宣伝するために参加するだけで、実際の発言力はない、ということはないですか」という質問を受けたことがある。こういう質問の背景にある、患者・消費者の味方の「ふり」をする政治的な輩がどこの国にも少なからずいるものである。私がNICEの診療ガイドラインの作成過程で感じてきた患者・消費者参加は本物であると感じている。一方で、平等の権利、発言力でもって診療ガイドライン作りに患者・消費者の方に参加してもらう、というのは表面的に聞こえる以上に周到な準備と長い歴史が必要である。
周到な準備とはその患者・消費者代表の選び方と研修である。
NICEでは診療ガイドラインの内容が決まると同時に、それに参加する患者・消費者代表の方の公募が始まる。患者団体を通して応募する人も多いが、個人として応募する人も多い。「患者」としてその分野の診療にどのように携わってきたか、どのような経験があるか、どのような考えにあるか、決まった形式の応募用紙に、ワープロできっちりまとめてくる人から、手書きでびっしり書いてくる人までいろいろである。原則的には英国内に在住しておれば、応募する権利がある。
次は選考である。詳細な選考基準をつくるというのはなかなか難しい。実際には書いた文章からその人の背景が見えてくるし、そのガイドラインを作成するに当たって必要なのはどういう人かという像がはっきりしておれば、選考する側の意見が分かれて困るという経験は通常ない。選考時に電話面接を行うこともある。応募用紙や電話面接の内容から得た像から大きく外れた人物が当日現れる、ということはまれである。
選考が済んだら、次は研修である。医療というだけで特殊な言葉を使うことが多くなるが、科学的根拠に基づくガイドラインということもあって、会議中も書類中にも医療疫学の特殊な言葉も数多く使われる。こういった内容の理解を助けるための研修である。
こういった選考や研修も、患者・消費者代表の方を含めた会議の成功の重要な要素であるが、もう一つとても重要な要素がある。それが議長術である。実はこの議長術、単なる技術ではなく、それなりに長い歴史が必要である。
こういう診療ガイドライン作りが始まる前に、患者・消費者側だけでなく、議長にも研修を受けてもらう。過去に参加した患者・消費者代表が、何を困難と感じたか、どういうことをありがたいと感じたか、を伝える。また、あまり難しい術語が多くなると、やさしい言葉に替えるように注意をする。また、会議では状況に応じて一方的に話をする人を止めることも必要だし、発言の少ない人を促すことも時には必要である。会議の成功はこの議長術にかかっているといっても過言ではない。実際にこういったことにきっちりとした配慮のできる議長の進める会議に参加すると、自然に会議が流れ、患者・消費者代表も「普通」に参加しているように感じる。
なんだそんなこと分かっているし、普段からしている、という人もいるかもしれない。しかし、そういう人は英国でこのような会議に参加する機会があれば、ぜひ見学して欲しい。議長の一つ一つの細やかな配慮が、これしかないというタイミングで入り、会議が流れていく様子はまさに芸術のようである。私もこのような研修を受けたこともあるが、例えば声のトーンを少し変えること、誰に視線を合わせるか、といったような技術的なことから、意見を聞き入れること、会議の流れを読むこと、時には威厳を持って会議を止めること、そして議長が一方的な意見を持たないというような本質的なことまで、多岐にわたる。根底にあるのは違う背景を持った相手に敬意を払い、理解しようとするという当たり前のことに他ならない。個人個人がすべてしっかりとした意見を持ちながら、社会全体としても機能させるという英国流個人主義の歴史と無縁ではないと感じる。あまり英国を持ち上げたくはないが、やはり学ぶべきことも多いのも事実である。
あらためてNICEの診療ガイドライン作りを見るとと、やはり「患者・消費者側の視点」が診療ガイドラインの中に反映されていると確信する。とくにQOLや痛みに関すること、治療の選択など、個々の推奨のなかにこういった視点が静かな形で生かされていると思う。こういったバランスの取れた診療ガイドラインほど、現場が使いやすい、あるいは使いたくなるのは物の道理である。
重要な決定事項はそのサービスを受ける側も含めて話し合いをして決める、というのは考えればごく当たり前のことである。日本でも患者・消費者代表が参加して診療ガイドラインが作成されたと聞く。お隣のフランスでも同じように、患者・消費者代表が参加する診療ガイドライン作りが始まった。これからもこのような動きはますます拡大していくのではないだろうか。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
患者・一般参画という言葉はブレア政権の目玉、英国保健制度改革でのキーワードのひとつである。2001年に発効された医療・社会ケア法(the Health and Social Care Act)にて、すべての英国国立保健サービス(NHS: National Health Service)の病院運営母体(トラスト)は、その方針決定に患者・一般代表の参画が義務付けられた。ブレア政権も長期化し、この患者・一般参画ということも末端まで浸透してしてきた。今ではどこに行っても、病院運営における方針決定場面で患者消費者代表の存在をごく当たり前のように感じるようになってきた。
私は今、NICE(National Institute of Health and Clinical Excellence)という国立保健サービス内の組織の下で、母子保健分野の診療ガイドライン作りに携わっている。NICEの診療ガイドラインはなかなか斬新な方法で作っていると、世界の注目を集めている。その特徴の一つがこの患者・消費者参加で、上に挙げた患者・一般参画という動きの一つである。
「患者・消費者参加といっても形だけで、患者・消費者の方と一緒に作ったのだと宣伝するために参加するだけで、実際の発言力はない、ということはないですか」という質問を受けたことがある。こういう質問の背景にある、患者・消費者の味方の「ふり」をする政治的な輩がどこの国にも少なからずいるものである。私がNICEの診療ガイドラインの作成過程で感じてきた患者・消費者参加は本物であると感じている。一方で、平等の権利、発言力でもって診療ガイドライン作りに患者・消費者の方に参加してもらう、というのは表面的に聞こえる以上に周到な準備と長い歴史が必要である。
周到な準備とはその患者・消費者代表の選び方と研修である。
NICEでは診療ガイドラインの内容が決まると同時に、それに参加する患者・消費者代表の方の公募が始まる。患者団体を通して応募する人も多いが、個人として応募する人も多い。「患者」としてその分野の診療にどのように携わってきたか、どのような経験があるか、どのような考えにあるか、決まった形式の応募用紙に、ワープロできっちりまとめてくる人から、手書きでびっしり書いてくる人までいろいろである。原則的には英国内に在住しておれば、応募する権利がある。
次は選考である。詳細な選考基準をつくるというのはなかなか難しい。実際には書いた文章からその人の背景が見えてくるし、そのガイドラインを作成するに当たって必要なのはどういう人かという像がはっきりしておれば、選考する側の意見が分かれて困るという経験は通常ない。選考時に電話面接を行うこともある。応募用紙や電話面接の内容から得た像から大きく外れた人物が当日現れる、ということはまれである。
選考が済んだら、次は研修である。医療というだけで特殊な言葉を使うことが多くなるが、科学的根拠に基づくガイドラインということもあって、会議中も書類中にも医療疫学の特殊な言葉も数多く使われる。こういった内容の理解を助けるための研修である。
こういった選考や研修も、患者・消費者代表の方を含めた会議の成功の重要な要素であるが、もう一つとても重要な要素がある。それが議長術である。実はこの議長術、単なる技術ではなく、それなりに長い歴史が必要である。
こういう診療ガイドライン作りが始まる前に、患者・消費者側だけでなく、議長にも研修を受けてもらう。過去に参加した患者・消費者代表が、何を困難と感じたか、どういうことをありがたいと感じたか、を伝える。また、あまり難しい術語が多くなると、やさしい言葉に替えるように注意をする。また、会議では状況に応じて一方的に話をする人を止めることも必要だし、発言の少ない人を促すことも時には必要である。会議の成功はこの議長術にかかっているといっても過言ではない。実際にこういったことにきっちりとした配慮のできる議長の進める会議に参加すると、自然に会議が流れ、患者・消費者代表も「普通」に参加しているように感じる。
なんだそんなこと分かっているし、普段からしている、という人もいるかもしれない。しかし、そういう人は英国でこのような会議に参加する機会があれば、ぜひ見学して欲しい。議長の一つ一つの細やかな配慮が、これしかないというタイミングで入り、会議が流れていく様子はまさに芸術のようである。私もこのような研修を受けたこともあるが、例えば声のトーンを少し変えること、誰に視線を合わせるか、といったような技術的なことから、意見を聞き入れること、会議の流れを読むこと、時には威厳を持って会議を止めること、そして議長が一方的な意見を持たないというような本質的なことまで、多岐にわたる。根底にあるのは違う背景を持った相手に敬意を払い、理解しようとするという当たり前のことに他ならない。個人個人がすべてしっかりとした意見を持ちながら、社会全体としても機能させるという英国流個人主義の歴史と無縁ではないと感じる。あまり英国を持ち上げたくはないが、やはり学ぶべきことも多いのも事実である。
あらためてNICEの診療ガイドライン作りを見るとと、やはり「患者・消費者側の視点」が診療ガイドラインの中に反映されていると確信する。とくにQOLや痛みに関すること、治療の選択など、個々の推奨のなかにこういった視点が静かな形で生かされていると思う。こういったバランスの取れた診療ガイドラインほど、現場が使いやすい、あるいは使いたくなるのは物の道理である。
重要な決定事項はそのサービスを受ける側も含めて話し合いをして決める、というのは考えればごく当たり前のことである。日本でも患者・消費者代表が参加して診療ガイドラインが作成されたと聞く。お隣のフランスでも同じように、患者・消費者代表が参加する診療ガイドライン作りが始まった。これからもこのような動きはますます拡大していくのではないだろうか。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
2008年10月3日金曜日
診療ガバナンス
最近、ガバナンスという言葉が流行している。国際社会で汚職にまみれて機能していない政府を「ガバナンスが足りない」と言うようになったし、一般企業にお勤めなら「コーポレート・ガバナンス」という言葉を聞いたことがあると思う。英国の医療分野でも、「診療ガバナンス」という言葉が頻繁に聞かれる。昨今の英国保健制度改革のキーワードの一つでもある。
この診療ガバナンス、英国政府保健省の定義を意訳すると、「最適な医療を生み出すような環境を作り出すことで、継続的に医療における質を改善し、高い水準を保つようにするシステム」といったところだろうか。英国においては、この医療の質と安全に関連して、診療ガバナンスという概念がかなり末端まで浸透してきたと実感している。
例えば、英国では研修医であろうと、上級医師であろうと、職場を変わるときは面接がある。面接はする側も受ける側も人事担当者に監視されるので、真剣勝負である。その面接で、最近必ずと言ってもいいぐらい聞かれるのが「診療ガバナンスについてはどう思うか。今までこのためにどのようなことを努力してきたか」というようなことである。実は私も就職のときに聞かれた。「診療ガバナンス」は、英国で医師として働くからには絶対に避けて通れない言葉なのである。
では具体的にどんなことを指して、診療ガバナンスというのだろうか。例えば、これはとあるロンドン郊外の病院での実際の話である。運営側(英国の場合、病院の運営母体はトラストと言う)の方針で、小児部門に「診療ガバナンスの担当者」を設置することになり、上級小児科医師と上級看護師からなるチームが指名された。診療ガバナンスを実現するための四つの柱、つまり(1)リスク・マネージメント、(2)診療監査、(3)教育、(4)診療ガイドライン——について検討が重ねられた。
チームはまず、病院運営の利害関係者たちと話をすることにした(利害関係者分析という)。病院の理事長、院長、婦長、人事担当者、診療部長といった面々と個別に会い、関係者たちの考え方を調査し協力を求めた(実はこの話し合いは時間がかかっただけで、あんまり実にならなかったようである…)。
その次にしたことは、職員達との話し合いである(職員ワークショップ)。いろいろな職種・部門の職員達と計8回ほど、それぞれ2時間にわたる話し合いを持った。その後、各部門の上級職員たちと1対1の面接もした。こういう職員との対話の中で、診療に直接かかわることと、職員間の問題点が浮かび上がってきた。
診療に直接かかわることでは、診療ガイドラインや最新の科学的根拠などと照らし合わせて、日常の診断や治療に関して幾つかの問題が浮かび上がった。例えば、母乳率を改善する工夫をする余地があるとか、不要で行き過ぎた治療が行われている可能性がある、といったようなことである。また、職場の人間関係においても重要な発見があった。小児病棟の一部の看護職員が平等に扱われていないと感じていたり、職員間のコミュニケーションがうまくいっていなかったり…というようなことである。
一方で、6カ月間にわたり、小児病棟・新生児病棟に入院している児の親を対象に質問票を使った調査も実施した。この調査の中で、別の問題点も浮かび上がってきた。例えば、新生児病棟内で誰が上級看護婦か分かりづらいとか、救急外来から小児病棟に上がるまで繰り返し同じことを聞かれるとか、救急外来での待合室に関する不満などが指摘されたのである。
以上のことを踏まえて次の6つのプロジェクトが立ち上がった。
新生児病棟
1) 不必要な新生児病棟への入院を減らし、こういった児の産科病棟でのケアを促進すること
2) CPAP(持続性陽圧呼吸療法)を受けている児に関して、不要な治療がないか検討し、早期退院を促進すること
3) 低出生体重児を対象にカンガルーケアを導入することで、母乳哺育を促進すること
小児病棟
1) 3つある小児病棟間で、適性を考えた看護職員の配置を再度検討すること
2) 救急外来より小児病棟入院までの繰り返しの仕事を無くし、迅速な入院を促進すること
3) 開業医より紹介されてきた、「入院扱い」として救急外来で診られている児の取り扱いに関して、再度検討すること
これらのプロジェクトが導入されていくにつれ、病院内に好意的な雰囲気が見られるようになった。母乳率の大幅な向上など実際の診療内容もさることながら、異職種間のチームワークや、コミュニケーション、職員のモラルの向上にも役に立ったようである。その後、これらのプロジェクトをきっかけに臨床研究が始まったり、学会発表や論文の執筆なども盛んになったりしたようである。
この中で重要な点が幾つかある。問題点を見つけていく手法が(1)利害関係者分析、(2)職員ワークショップ、(3)1対1面接、(4)質問票など系統的に考えられていることもその一例である。また、こういうプロジェクトなどが導入された場合、数字や臨床疫学研究の手法を用いた「プロジェクト評価」が必ず求められるのも、診療ガバナンスの重要な側面である。この評価で使った研究を科学的根拠として学会発表や論文という形で周りに伝えることが勧められているのである。さらに、医師の視点、看護師の視点、患者(の親)の視点、また診療内容、人間関係、作業手順など、さまざまな職種、さまざまな医療の内容が検討されている点は注目に値する。
なんだ、こんなことウチでもやっている、と言われる方がいるかもしれない。しかしその一つ一つを系統的にしているだろうか。疫学などの技術を使ってしっかりとした評価をしているだろうか。職種間の壁は高くないだろうか。上級医師から研修医までこういった概念がしっかりと根付いているだろうか。
診療ガバナンスという言葉は病院経営者や、公衆衛生学者たちだけの言葉でなく、英国では日常診療に携わる、医師や看護師など一人ひとりに関係があることとして浸透しつつある。一方で、現場の診療に携わる人のために標準的な診療もしくは最適な医療というものを提示する、科学的根拠に基づく診療ガイドラインの存在も、診療ガバナンスに大きくかかわっている。また、昨今の英国では、どのような場面でも決定に患者・消費者の参加が見られるのも、診療ガバナンスの特徴である。
この診療ガバナンス、英国政府保健省の定義を意訳すると、「最適な医療を生み出すような環境を作り出すことで、継続的に医療における質を改善し、高い水準を保つようにするシステム」といったところだろうか。英国においては、この医療の質と安全に関連して、診療ガバナンスという概念がかなり末端まで浸透してきたと実感している。
例えば、英国では研修医であろうと、上級医師であろうと、職場を変わるときは面接がある。面接はする側も受ける側も人事担当者に監視されるので、真剣勝負である。その面接で、最近必ずと言ってもいいぐらい聞かれるのが「診療ガバナンスについてはどう思うか。今までこのためにどのようなことを努力してきたか」というようなことである。実は私も就職のときに聞かれた。「診療ガバナンス」は、英国で医師として働くからには絶対に避けて通れない言葉なのである。
では具体的にどんなことを指して、診療ガバナンスというのだろうか。例えば、これはとあるロンドン郊外の病院での実際の話である。運営側(英国の場合、病院の運営母体はトラストと言う)の方針で、小児部門に「診療ガバナンスの担当者」を設置することになり、上級小児科医師と上級看護師からなるチームが指名された。診療ガバナンスを実現するための四つの柱、つまり(1)リスク・マネージメント、(2)診療監査、(3)教育、(4)診療ガイドライン——について検討が重ねられた。
チームはまず、病院運営の利害関係者たちと話をすることにした(利害関係者分析という)。病院の理事長、院長、婦長、人事担当者、診療部長といった面々と個別に会い、関係者たちの考え方を調査し協力を求めた(実はこの話し合いは時間がかかっただけで、あんまり実にならなかったようである…)。
その次にしたことは、職員達との話し合いである(職員ワークショップ)。いろいろな職種・部門の職員達と計8回ほど、それぞれ2時間にわたる話し合いを持った。その後、各部門の上級職員たちと1対1の面接もした。こういう職員との対話の中で、診療に直接かかわることと、職員間の問題点が浮かび上がってきた。
診療に直接かかわることでは、診療ガイドラインや最新の科学的根拠などと照らし合わせて、日常の診断や治療に関して幾つかの問題が浮かび上がった。例えば、母乳率を改善する工夫をする余地があるとか、不要で行き過ぎた治療が行われている可能性がある、といったようなことである。また、職場の人間関係においても重要な発見があった。小児病棟の一部の看護職員が平等に扱われていないと感じていたり、職員間のコミュニケーションがうまくいっていなかったり…というようなことである。
一方で、6カ月間にわたり、小児病棟・新生児病棟に入院している児の親を対象に質問票を使った調査も実施した。この調査の中で、別の問題点も浮かび上がってきた。例えば、新生児病棟内で誰が上級看護婦か分かりづらいとか、救急外来から小児病棟に上がるまで繰り返し同じことを聞かれるとか、救急外来での待合室に関する不満などが指摘されたのである。
以上のことを踏まえて次の6つのプロジェクトが立ち上がった。
新生児病棟
1) 不必要な新生児病棟への入院を減らし、こういった児の産科病棟でのケアを促進すること
2) CPAP(持続性陽圧呼吸療法)を受けている児に関して、不要な治療がないか検討し、早期退院を促進すること
3) 低出生体重児を対象にカンガルーケアを導入することで、母乳哺育を促進すること
小児病棟
1) 3つある小児病棟間で、適性を考えた看護職員の配置を再度検討すること
2) 救急外来より小児病棟入院までの繰り返しの仕事を無くし、迅速な入院を促進すること
3) 開業医より紹介されてきた、「入院扱い」として救急外来で診られている児の取り扱いに関して、再度検討すること
これらのプロジェクトが導入されていくにつれ、病院内に好意的な雰囲気が見られるようになった。母乳率の大幅な向上など実際の診療内容もさることながら、異職種間のチームワークや、コミュニケーション、職員のモラルの向上にも役に立ったようである。その後、これらのプロジェクトをきっかけに臨床研究が始まったり、学会発表や論文の執筆なども盛んになったりしたようである。
この中で重要な点が幾つかある。問題点を見つけていく手法が(1)利害関係者分析、(2)職員ワークショップ、(3)1対1面接、(4)質問票など系統的に考えられていることもその一例である。また、こういうプロジェクトなどが導入された場合、数字や臨床疫学研究の手法を用いた「プロジェクト評価」が必ず求められるのも、診療ガバナンスの重要な側面である。この評価で使った研究を科学的根拠として学会発表や論文という形で周りに伝えることが勧められているのである。さらに、医師の視点、看護師の視点、患者(の親)の視点、また診療内容、人間関係、作業手順など、さまざまな職種、さまざまな医療の内容が検討されている点は注目に値する。
なんだ、こんなことウチでもやっている、と言われる方がいるかもしれない。しかしその一つ一つを系統的にしているだろうか。疫学などの技術を使ってしっかりとした評価をしているだろうか。職種間の壁は高くないだろうか。上級医師から研修医までこういった概念がしっかりと根付いているだろうか。
診療ガバナンスという言葉は病院経営者や、公衆衛生学者たちだけの言葉でなく、英国では日常診療に携わる、医師や看護師など一人ひとりに関係があることとして浸透しつつある。一方で、現場の診療に携わる人のために標準的な診療もしくは最適な医療というものを提示する、科学的根拠に基づく診療ガイドラインの存在も、診療ガバナンスに大きくかかわっている。また、昨今の英国では、どのような場面でも決定に患者・消費者の参加が見られるのも、診療ガバナンスの特徴である。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
2008年10月1日水曜日
イエローカード
イエローカードと黒い三角
森 臨太郎
英国はサッカーの母国である。好むスポーツにも「階級」というものがあり、上位に位置する人々はどちらかというとクリケットが好きで、サッカー(英国ではフットボール)はどちらかというと労働者階級の楽しみである。階級差がなかなか超えられないフラストレーションは、熱狂的なフットボール応援へと変わるといわれている。
イエローカードというのはもう多くの人がご存知のとおり、サッカーで反則があった際に使用される黄色いカードのことである。これが医療安全にも利用されている。もちろんあの審判が掲げるイエローカードそのものが使われているわけではないが。
英国では医薬品や医療機器の承認を担当する国の機関があり、MHRA(Medicines and Healthcare products Regulartory Agency http://www.mhra.gov.uk/)と呼ぶ。医薬品などのリストを作る制度は、学会が誕生したヘンリー8世の時代からあったようだが、しっかりした承認制度は1971年に始まった。
欧州共同体の動きとあいまって、医薬品などの承認を欧州内で統一する動きも早くから始まっており、ロンドンに本部があるEMEA (European Agency for the Evaluation of Medical Products http://www.emea.eu.int/) という組織も1995年より動き始めている。今では新しい医薬品の承認などは最初からEMEAに申請する決まりになっている。
実際、EMEAで承認されると英国でも承認されたということになるし、たとえEMEAに承認されておらず、MHRAも承認していなくても、欧州共同体内のほかの国で承認されていれば、簡単な申請でその薬品は手に入る。
もっとも、特殊な状況下でまだ承認されていない医薬品を使用したいときは、患者側、医療者側双方の署名が必要な書類を申請し、通れば使用可能ではある。こういう薬を英国では通称「specials」と呼ぶ。
MHRAでは承認するだけでなく、医薬品の副反応情報を監視する役割も担っている。これに関しては、二つ有名な制度がある。一つはイエローカード制度(http://www.yellowcard.gov.uk/)、もう一つを「黒三角制度」(http://www.mhra.gov.uk/home/idcplg?IdcService=SS_GET_PAGE&nodeId=748)という。
イエローカード制度は1960年代初頭に問題になったサリドマイドの薬害をきっかけに1964年に立ち上がった制度で、英国で診療をするすべての医師、看護師、薬剤師、コメディカル、患者など、関係者なら誰でも、薬剤などの副反応と思われる事例を黄色い指定用紙に書いて、MHRAに報告できる制度である。
報告は義務ではないが、「専門家の義務として認識されるべきだ」という考え方は浸透している。ただし製薬会社は報告を義務付けられている。患者や患者の家族が報告できるようになったのは最近のことだが、注目に値する。
このイエローカード、文字通り黄色い紙で、家庭医の使う処方箋用紙に必ず添付されている。報告はこの黄色い用紙に記入してMHRAに送るという旧式のやり方もあるが、現在はWebサイトからでも、電話でもできる。
報告しない例をできるだけ少なくなるため、その医薬品の有害事象であると確定できなくても疑いがあるというだけでの報告も勧められている。
小児科では様々な理由で小児用に承認されている医薬品が極端に少ないため、通常の医療行為であっても承認されていない医薬品を使用する機会が多い。このため、小児に使用する医薬品の有害事象の監視に関しては特に強化されて行われている。同様に、HIV感染に関連した有害事象の監視も強化されている。
この制度が始まって以来、平均すると年1回ぐらいの割合でこの制度により新たに認識された有害事象に関連して、注意を喚起したり、医薬品の承認を取り消ししたり、ということがあった。
この有害事象の報告は1960年代からデータベース化されており、最近、国民や医療関係者の意見が集められる機会を経て、情報公開法(Freedom of Information Act)の 動きともあいまって、一定の手続きを踏めば一般の人でも閲覧可能になった。もちろん個人を特定するのは難しい仕掛けになっている。
さらに1976年からは黒三角制度が始まった。これは承認された新薬などに関連するものである。新薬の名前を出すときはどこに出す場合にも逆三角形▼のマークをつけることが義務化されており、いかなる事象も報告することになっている。
承認という一つの防壁だけでは医薬品・医療機器の安全性を確保することは不可能である。承認後も、まれだけれども重篤な事象が起こる可能性はいつでもあるし、承認後、数十年たってから問題が分かることもあり得る。英国のイエローカードや黒い三角といった制度は、承認制度を補完する役割を果たしている。
医療安全というのはなにも医薬品や医療機器に限られた話ではない。病棟の構造であったり、衛生であったりもする。こういう広い視点から安全性について検討したり、監視する組織もある。その一つがNPSA:National Patient Safety Agency ( http://www.npsa.nhs.uk/ )である。これはブレア政権保健医療制度改革で出来た組織の一つである。
例えば、ある静脈注射用の医薬品による事故が複数回起こり、その原因をNPSAが調査した結果、じつはまったく別の医薬品と入れ物が酷似していたため間違えたということが判明し、NPSAの指導により区別がつくような入れ物になったというようなこともあった。
このNPSAは筆者の働くNICEのようなその他の国立の組織や、CEMACH:Confidential Enqueiry into Maternal and Child Health、NCEPOD:National Confidential Enquiry into Patient Outcome and Deathと呼ばれるような、死因について深く調べる国単位のサーベイランス組織などとも提携して、安全の改善に寄与している。
医療の安全というのは、なにか一つの組織や制度があるから確保できるものではなく、末端のものも含めてどの組織にも浸透するべき概念でありつつ、以上に挙げたような安全そのものを統括して監視する複数の組織・制度に助けられて向上するのではないかと思う。独立性を保つことがとても重要である。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
森 臨太郎
英国はサッカーの母国である。好むスポーツにも「階級」というものがあり、上位に位置する人々はどちらかというとクリケットが好きで、サッカー(英国ではフットボール)はどちらかというと労働者階級の楽しみである。階級差がなかなか超えられないフラストレーションは、熱狂的なフットボール応援へと変わるといわれている。
イエローカードというのはもう多くの人がご存知のとおり、サッカーで反則があった際に使用される黄色いカードのことである。これが医療安全にも利用されている。もちろんあの審判が掲げるイエローカードそのものが使われているわけではないが。
英国では医薬品や医療機器の承認を担当する国の機関があり、MHRA(Medicines and Healthcare products Regulartory Agency http://www.mhra.gov.uk/)と呼ぶ。医薬品などのリストを作る制度は、学会が誕生したヘンリー8世の時代からあったようだが、しっかりした承認制度は1971年に始まった。
欧州共同体の動きとあいまって、医薬品などの承認を欧州内で統一する動きも早くから始まっており、ロンドンに本部があるEMEA (European Agency for the Evaluation of Medical Products http://www.emea.eu.int/) という組織も1995年より動き始めている。今では新しい医薬品の承認などは最初からEMEAに申請する決まりになっている。
実際、EMEAで承認されると英国でも承認されたということになるし、たとえEMEAに承認されておらず、MHRAも承認していなくても、欧州共同体内のほかの国で承認されていれば、簡単な申請でその薬品は手に入る。
もっとも、特殊な状況下でまだ承認されていない医薬品を使用したいときは、患者側、医療者側双方の署名が必要な書類を申請し、通れば使用可能ではある。こういう薬を英国では通称「specials」と呼ぶ。
MHRAでは承認するだけでなく、医薬品の副反応情報を監視する役割も担っている。これに関しては、二つ有名な制度がある。一つはイエローカード制度(http://www.yellowcard.gov.uk/)、もう一つを「黒三角制度」(http://www.mhra.gov.uk/home/idcplg?IdcService=SS_GET_PAGE&nodeId=748)という。
イエローカード制度は1960年代初頭に問題になったサリドマイドの薬害をきっかけに1964年に立ち上がった制度で、英国で診療をするすべての医師、看護師、薬剤師、コメディカル、患者など、関係者なら誰でも、薬剤などの副反応と思われる事例を黄色い指定用紙に書いて、MHRAに報告できる制度である。
報告は義務ではないが、「専門家の義務として認識されるべきだ」という考え方は浸透している。ただし製薬会社は報告を義務付けられている。患者や患者の家族が報告できるようになったのは最近のことだが、注目に値する。
このイエローカード、文字通り黄色い紙で、家庭医の使う処方箋用紙に必ず添付されている。報告はこの黄色い用紙に記入してMHRAに送るという旧式のやり方もあるが、現在はWebサイトからでも、電話でもできる。
報告しない例をできるだけ少なくなるため、その医薬品の有害事象であると確定できなくても疑いがあるというだけでの報告も勧められている。
小児科では様々な理由で小児用に承認されている医薬品が極端に少ないため、通常の医療行為であっても承認されていない医薬品を使用する機会が多い。このため、小児に使用する医薬品の有害事象の監視に関しては特に強化されて行われている。同様に、HIV感染に関連した有害事象の監視も強化されている。
この制度が始まって以来、平均すると年1回ぐらいの割合でこの制度により新たに認識された有害事象に関連して、注意を喚起したり、医薬品の承認を取り消ししたり、ということがあった。
この有害事象の報告は1960年代からデータベース化されており、最近、国民や医療関係者の意見が集められる機会を経て、情報公開法(Freedom of Information Act)の 動きともあいまって、一定の手続きを踏めば一般の人でも閲覧可能になった。もちろん個人を特定するのは難しい仕掛けになっている。
さらに1976年からは黒三角制度が始まった。これは承認された新薬などに関連するものである。新薬の名前を出すときはどこに出す場合にも逆三角形▼のマークをつけることが義務化されており、いかなる事象も報告することになっている。
承認という一つの防壁だけでは医薬品・医療機器の安全性を確保することは不可能である。承認後も、まれだけれども重篤な事象が起こる可能性はいつでもあるし、承認後、数十年たってから問題が分かることもあり得る。英国のイエローカードや黒い三角といった制度は、承認制度を補完する役割を果たしている。
医療安全というのはなにも医薬品や医療機器に限られた話ではない。病棟の構造であったり、衛生であったりもする。こういう広い視点から安全性について検討したり、監視する組織もある。その一つがNPSA:National Patient Safety Agency ( http://www.npsa.nhs.uk/ )である。これはブレア政権保健医療制度改革で出来た組織の一つである。
例えば、ある静脈注射用の医薬品による事故が複数回起こり、その原因をNPSAが調査した結果、じつはまったく別の医薬品と入れ物が酷似していたため間違えたということが判明し、NPSAの指導により区別がつくような入れ物になったというようなこともあった。
このNPSAは筆者の働くNICEのようなその他の国立の組織や、CEMACH:Confidential Enqueiry into Maternal and Child Health、NCEPOD:National Confidential Enquiry into Patient Outcome and Deathと呼ばれるような、死因について深く調べる国単位のサーベイランス組織などとも提携して、安全の改善に寄与している。
医療の安全というのは、なにか一つの組織や制度があるから確保できるものではなく、末端のものも含めてどの組織にも浸透するべき概念でありつつ、以上に挙げたような安全そのものを統括して監視する複数の組織・制度に助けられて向上するのではないかと思う。独立性を保つことがとても重要である。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
2008年9月29日月曜日
医師として英国では働くには?
昨今は米国で臨床研修を受ける日本人医師も増えていると聞く。一方で、私が診療してきたオーストラリアや英国で臨床研修をしたり、診療をしたりしている日本人医師はそれほど多くない。そこで今回は、英国で医師登録する方法を伝授する。
英国では英国の医学校を卒業できたらそのまま医師登録できる。国家試験というものはない。実は英国の医学校だけでなく、一部のオセアニアやアジア地区の医学校の卒業でもそのまま医師登録ができる。もちろん、英国の医学教育と同等であることが確認済みの医学校に限られており、どの学校でもというわけではない。ちなみに英国の医学校は5年制である。
外国人医師、あるいは上記以外の医学校を卒業した者が英国で医師登録し、診療行為をしたいときのオーソドックスな方法は、PLAB(Professional and Linguistic Assessment Board)という試験に合格することである。この試験はWHO認定の医学校の卒業生なら誰でも受けられる(日本の医学校卒業生は問題ない。)
ただし、このPLAB試験を受けるためには、IELTSという英連邦で使われている英語の試験で一定の点数を確保できていなければいけない。実は日本人にとってはこれが難関である。
PLABの試験には2段階ある。第1段階の試験は英国以外の国でも受けられる。日本から近いのはインドかオーストラリアだろうか。選択式と空欄式の問題が含まれている、基本的知識を問う試験である。
第2段階は実技試験である。ロンドンでしか受けられない。Objective Structured Clinical Examination (OSCE)と呼ばれる、英国で診療している者なら誰でも知っている方式である。15ある小部屋それぞれに、様々な、医師が出会うであろう「状況」が用意されている。5分おきにその小部屋を順番に移動し、診察したり、手技をしたりする様子を試験されるわけである。緩和ケアの状況であったり、救急蘇生の状況であったりもする。一つだけ休憩のための小部屋があり、水分補給ができるらしい…。
晴れて英語の試験、さらにPLABの試験に通れば、英国で医師登録ができ、SHO(Senior House Officer、研修医)として働くことが許される。もちろん、南アジアにはPLABの試験に通り、英国で働こうと考えている医師が数多くいるので、競争は激しく、医師登録ができたからといってすぐに働けるとは限らないが。
しかし、このような正面突破型だけではなく、別の方法で医師登録をすることもできる。
その一つが、英国のいくつかの学会が実施しているInternational Sponsorship Schemeと呼ばれる制度である。私の知る限りでは、内科学会と小児科学会が行っている。その他の学会でも同様の制度があるかもしれないので、気になる方は調べていただきたい。
比較的ちゃんとした専門医制度を持つ海外(日本を含む)でその学会に見合う専門医を取得し、上記の英語の試験(ただし上記のPLABより基準が厳しい)で規定の点数を超え、さらに、本国(出身国)で身分を保証してくれる医師1人と、推薦してくれる医師2人を確保できれば、この制度に申請できる。
ただ、この申請に通ったからといって、すぐに医師登録ができるわけではなく、その後、雇ってくれる病院が確保できて始めて、医師登録が可能となる。その後は上記のPLABと同様であるが、こちらの医師登録には条件付きとなっている。もっとも、この医師登録下で1年間以上ちゃんと働けば、制限なしの登録に進むことも可能である。
この方法は最も簡単に思えるが、日本人にとっては案外英語の壁が厚い。ただ、一般的な日本の医師が英国でしばらく臨床研修したいときにはお勧めできる方法である。
次の方法は、OES: Overseas Equivalence Schemeという方法である。一部の国(オーストラリアやカナダなど)では英国並みの専門医制度を持つところがあり、こういった国で専門医を取得し、その医師の専門に至るまでの研修が英国で同じ科の専門医に至るまでの研修と同等であると認定されると、英国で専門医としてそのまま登録される。もちろん厳しい英語の試験の点数を確保してという前提だが。
この審査は個人の経歴に基づいて審査される。しかしながら、通常6年間の研修期間が必要とされるので、日本の専門医のすべてがこの方法を適応されるとは限らないが、一部の専門医は可能である。もちろん科によって基準が違うので、詳細は対応する学会に問い合わせていただきたい。
このOESにはAcademic Routeというものもある。これは研究業績が優れたものには、多少臨床の履歴が足りなくても補完されるという考え方で認められるものである。これも審査は個人によって違うので、ここで一定の基準についてお話できないが、自信がある方は試されてもよいと思う。
さらに別の方法で医師登録をする方法もあるが、ここでは詳細を省く。また、特殊な方法として、日本政府と英国政府の間で特別の規定があり、日本人医師9人まで英国内で日本人を対象として診療するという場合に限り、上記のような基準なしに医師登録が許される場合がある。英国内にある日系の診療所で働く医師はこのような医師登録をしていると聞く。
筆者は日本での経験とオーストラリアでの経験を合わせて上記のOESという制度で英国の小児科専門医として医師登録が許されたが、個人の経歴によって判断されるということもあり、かなり特殊なケースである。
結局、入口にPLABという統一試験が用意されているものの、個人個人の経歴に応じて「特殊」な方法がいろいろ用意されているのも英国の特徴である。欧州出身の医師が英国の医師登録をする場合は以上のような方法は適用されないのであしからず了承されたい。
英国で臨床研修をすることを勧めているわけではないが、自分自身の過去を振り返って、日本で診療していた経験を基に、海外で医師として診療行為をした経験は今の自分の礎になっているし、それだけ衝撃的で、なおかつ知識、技術はもちろん、ものの見方に至るまで大きく勉強したと自信を持って言える。もちろん海外での経験をどう生かすかは人それぞれである。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
英国では英国の医学校を卒業できたらそのまま医師登録できる。国家試験というものはない。実は英国の医学校だけでなく、一部のオセアニアやアジア地区の医学校の卒業でもそのまま医師登録ができる。もちろん、英国の医学教育と同等であることが確認済みの医学校に限られており、どの学校でもというわけではない。ちなみに英国の医学校は5年制である。
外国人医師、あるいは上記以外の医学校を卒業した者が英国で医師登録し、診療行為をしたいときのオーソドックスな方法は、PLAB(Professional and Linguistic Assessment Board)という試験に合格することである。この試験はWHO認定の医学校の卒業生なら誰でも受けられる(日本の医学校卒業生は問題ない。)
ただし、このPLAB試験を受けるためには、IELTSという英連邦で使われている英語の試験で一定の点数を確保できていなければいけない。実は日本人にとってはこれが難関である。
PLABの試験には2段階ある。第1段階の試験は英国以外の国でも受けられる。日本から近いのはインドかオーストラリアだろうか。選択式と空欄式の問題が含まれている、基本的知識を問う試験である。
第2段階は実技試験である。ロンドンでしか受けられない。Objective Structured Clinical Examination (OSCE)と呼ばれる、英国で診療している者なら誰でも知っている方式である。15ある小部屋それぞれに、様々な、医師が出会うであろう「状況」が用意されている。5分おきにその小部屋を順番に移動し、診察したり、手技をしたりする様子を試験されるわけである。緩和ケアの状況であったり、救急蘇生の状況であったりもする。一つだけ休憩のための小部屋があり、水分補給ができるらしい…。
晴れて英語の試験、さらにPLABの試験に通れば、英国で医師登録ができ、SHO(Senior House Officer、研修医)として働くことが許される。もちろん、南アジアにはPLABの試験に通り、英国で働こうと考えている医師が数多くいるので、競争は激しく、医師登録ができたからといってすぐに働けるとは限らないが。
しかし、このような正面突破型だけではなく、別の方法で医師登録をすることもできる。
その一つが、英国のいくつかの学会が実施しているInternational Sponsorship Schemeと呼ばれる制度である。私の知る限りでは、内科学会と小児科学会が行っている。その他の学会でも同様の制度があるかもしれないので、気になる方は調べていただきたい。
比較的ちゃんとした専門医制度を持つ海外(日本を含む)でその学会に見合う専門医を取得し、上記の英語の試験(ただし上記のPLABより基準が厳しい)で規定の点数を超え、さらに、本国(出身国)で身分を保証してくれる医師1人と、推薦してくれる医師2人を確保できれば、この制度に申請できる。
ただ、この申請に通ったからといって、すぐに医師登録ができるわけではなく、その後、雇ってくれる病院が確保できて始めて、医師登録が可能となる。その後は上記のPLABと同様であるが、こちらの医師登録には条件付きとなっている。もっとも、この医師登録下で1年間以上ちゃんと働けば、制限なしの登録に進むことも可能である。
この方法は最も簡単に思えるが、日本人にとっては案外英語の壁が厚い。ただ、一般的な日本の医師が英国でしばらく臨床研修したいときにはお勧めできる方法である。
次の方法は、OES: Overseas Equivalence Schemeという方法である。一部の国(オーストラリアやカナダなど)では英国並みの専門医制度を持つところがあり、こういった国で専門医を取得し、その医師の専門に至るまでの研修が英国で同じ科の専門医に至るまでの研修と同等であると認定されると、英国で専門医としてそのまま登録される。もちろん厳しい英語の試験の点数を確保してという前提だが。
この審査は個人の経歴に基づいて審査される。しかしながら、通常6年間の研修期間が必要とされるので、日本の専門医のすべてがこの方法を適応されるとは限らないが、一部の専門医は可能である。もちろん科によって基準が違うので、詳細は対応する学会に問い合わせていただきたい。
このOESにはAcademic Routeというものもある。これは研究業績が優れたものには、多少臨床の履歴が足りなくても補完されるという考え方で認められるものである。これも審査は個人によって違うので、ここで一定の基準についてお話できないが、自信がある方は試されてもよいと思う。
さらに別の方法で医師登録をする方法もあるが、ここでは詳細を省く。また、特殊な方法として、日本政府と英国政府の間で特別の規定があり、日本人医師9人まで英国内で日本人を対象として診療するという場合に限り、上記のような基準なしに医師登録が許される場合がある。英国内にある日系の診療所で働く医師はこのような医師登録をしていると聞く。
筆者は日本での経験とオーストラリアでの経験を合わせて上記のOESという制度で英国の小児科専門医として医師登録が許されたが、個人の経歴によって判断されるということもあり、かなり特殊なケースである。
結局、入口にPLABという統一試験が用意されているものの、個人個人の経歴に応じて「特殊」な方法がいろいろ用意されているのも英国の特徴である。欧州出身の医師が英国の医師登録をする場合は以上のような方法は適用されないのであしからず了承されたい。
英国で臨床研修をすることを勧めているわけではないが、自分自身の過去を振り返って、日本で診療していた経験を基に、海外で医師として診療行為をした経験は今の自分の礎になっているし、それだけ衝撃的で、なおかつ知識、技術はもちろん、ものの見方に至るまで大きく勉強したと自信を持って言える。もちろん海外での経験をどう生かすかは人それぞれである。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
2008年3月9日日曜日
日本の医療
今回は海外から見た日本の医療のことを考えてみたい。仕事の合間を縫って京都東山、高尾山など紅葉の美しいところを回ることができた。日本は相変わらず美しい国である。
日本の医療などちっぽけなこのコラムで書き切れるわけがない(もっとも英国の医療もそうである)。ただ、私が日本に滞在していつも思うことに「良心」がある。今回は医療の良心について書きたい。
日本でがんばっておられる医療者の方と意見交換すると、「英国はすばらしいですね、それにしても日本は…」と、日本の医療が遅れているという認識を持たれている方が多い。
確かに日本の医療は遅れている部分がある。全体としてのシステムを考えること、患者や医療者の権利・人権を守ること、臨床研究を正しくすることで医学そのものに貢献すること、日本や米国以外の国の医療を考えること(途上国も含めて)、遅れているという部分は数え切れない。
それでも、実際に患者さんが受けられている医療は平均的に日本の方が、少なくとも英国や米国と比べても、高い質が保たれていると実は感じる。私が経験してきた限り、そう思う。世界一の平均寿命や周産期死亡率は、単に社会的な要因だけから支えられているわけではない。
私も以前は日本で医療者として働いていた。最近になってようやく海外で医療者として働いている時間の方が長くなったが、つい最近までは半々ぐらいであった。地方で身を粉にして働く小児科医の一員であった。
最近、新聞での報道もあり、小児科医と産婦人科医が足りなくて困っているということが周知の事実となりつつある。小児科医も産婦人科医も忙しい。
私がオーストラリアへ渡る直前の1カ月の生活を今でも覚えている。予定日よりも4カ月半早く生まれた私の担当の赤ちゃんの出生体重は、普通の赤ちゃんの10分の1であった。その赤ちゃんが生まれてから、私は夜昼関係なく、曜日関係なく、外来の途中であろうと、真夜中であろうと、3〜4時間おきに起きて様子を見たり血糖を測ったりする生活が続いた。当然休日など無い。別に強制されていたわけではない。同じ患者さんを同じ医師が診続ける方が容態がより把握できるので、自らそうしていただけである。本当に「元気に退院して欲しい」という気持ちからそのように働いていたと思う。もっともそれが出来る体力があったからなのだが。とにかく忙しい生活であった。労働基準法を守れている小児科医など見たことがない。
同僚たちのことも覚えている。昼間は丁寧に一人ひとりの患者さんを診るために夜になってから必死に事務仕事をしている医師たち、飲み会中でも手術や手技の手付きを練習している研修医、緊急時に発揮する医師と助産師のあうんの呼吸、気が付かないところで患者さんに細やかな心遣いをしている看護師、病気のことをたくさん調べて質問に来る検査技師、着実に美しいレントゲン写真を仕上げてくれる放射線技師、時には叱咤しながら辛抱強く患者さんの社会復帰を願う訓練士、患者さんの家族や退院後の環境も考えているソーシャルワーカー、実際の薬の飲み方まで患者さんへ丁寧に説明してくれる薬剤師、患者さんについて医師が見落としがちな点まで上手に教えてくれる心理士、私のぞんざいな事務仕事をいつも補足してくれていた事務の方々、あちらこちらに残された隙間の仕事を埋めてくれながら笑顔を欠かさないボランティア…枚挙にいとまがない。
実はこの良心、病院にいる医療者だけではない。厚生労働省をはじめ医療政策や公衆衛生に携わる医療者たちも含む。全体としてのシステムが欠けていると書いているが、これは何も厚生労働省の方の責任でもない。全体的な問題があると政府や役人が問題と見る向きもあるが、本当はみんなの問題である。実際にこういった省庁で働く方々の働きぶりや考えていることを聞くと、ここにも良心に支えられた丁寧で効果的な仕事が見えてくる。霞ヶ関の夜遅くまで明かりの付いた下で動く人影を見るといつも思う。いろいろ問題はあるにせよ、厚生労働省の役人一人ひとりのがんばりに支えられて日本の医療体制があり、その体制により質の高い医療が患者さんに伝わっているのも事実である。
医師、看護師、助産師、その他すべての領域の医療者たちの多くに、自分を譲ってでも患者さん達の健康を優先する気持ちが見られる。患者さん側からは見えない部分でも、こういう良心で一杯である。日本の医療がこういった医療者たちの良心によりシステムのほころびが埋められていることを知っていて欲しい。英国にそれが無いとは言えないが、日本ほど多くの人がこういう良心を持っている場所はなかなかない。
法律(たとえば労働基準法)を守ったら医療そのものが成り立たなくなる、というのも変な話である。今日明日、1日1秒の日本の医療がこういった医療者たちの良心で成り立っていることを心して、医療の質と安全を高めるシステム、医療者たちの勤務状況を改善するシステム、経済効率を高めるシステムを一刻も早く導入していただきたいと思う。もっとも今の法律や制度が現状そのものさえ反映していないので、様々な職種の役割分担など、抜本的な改革はいずれ必要であろうが…。
一方で、どのようなすばらしいシステムを導入しても、かならず隙間が生まれることも認識しておく必要もある。もちろん、人々のやる気を喚起させるシステムを考えることもとても重要だし、日本ではまだまだ欠けていると思うが、こういうシステムにも限界がある。数字に表れる部分はシステムの改善がかなう余地も大きい。ただ、一人ひとりの患者さんの受け取る医療の質や安全には数字にならない部分の影響もかなり大きいのである。
もう一つ、日本の医療者が海外で日本を紹介する際、決して卑下する必要はない、遅れた部分、海外に学ぶべき部分はたくさんあるが、一方でこのように誇りに出来る部分もたくさんあるのである。自信を持って海外から学びたい。
良心に頼ってはいけない。良心を失ってはならない。
(既出・日経メディカルオンライン・既出・一部改編・禁無断転載)
日本の医療などちっぽけなこのコラムで書き切れるわけがない(もっとも英国の医療もそうである)。ただ、私が日本に滞在していつも思うことに「良心」がある。今回は医療の良心について書きたい。
日本でがんばっておられる医療者の方と意見交換すると、「英国はすばらしいですね、それにしても日本は…」と、日本の医療が遅れているという認識を持たれている方が多い。
確かに日本の医療は遅れている部分がある。全体としてのシステムを考えること、患者や医療者の権利・人権を守ること、臨床研究を正しくすることで医学そのものに貢献すること、日本や米国以外の国の医療を考えること(途上国も含めて)、遅れているという部分は数え切れない。
それでも、実際に患者さんが受けられている医療は平均的に日本の方が、少なくとも英国や米国と比べても、高い質が保たれていると実は感じる。私が経験してきた限り、そう思う。世界一の平均寿命や周産期死亡率は、単に社会的な要因だけから支えられているわけではない。
私も以前は日本で医療者として働いていた。最近になってようやく海外で医療者として働いている時間の方が長くなったが、つい最近までは半々ぐらいであった。地方で身を粉にして働く小児科医の一員であった。
最近、新聞での報道もあり、小児科医と産婦人科医が足りなくて困っているということが周知の事実となりつつある。小児科医も産婦人科医も忙しい。
私がオーストラリアへ渡る直前の1カ月の生活を今でも覚えている。予定日よりも4カ月半早く生まれた私の担当の赤ちゃんの出生体重は、普通の赤ちゃんの10分の1であった。その赤ちゃんが生まれてから、私は夜昼関係なく、曜日関係なく、外来の途中であろうと、真夜中であろうと、3〜4時間おきに起きて様子を見たり血糖を測ったりする生活が続いた。当然休日など無い。別に強制されていたわけではない。同じ患者さんを同じ医師が診続ける方が容態がより把握できるので、自らそうしていただけである。本当に「元気に退院して欲しい」という気持ちからそのように働いていたと思う。もっともそれが出来る体力があったからなのだが。とにかく忙しい生活であった。労働基準法を守れている小児科医など見たことがない。
同僚たちのことも覚えている。昼間は丁寧に一人ひとりの患者さんを診るために夜になってから必死に事務仕事をしている医師たち、飲み会中でも手術や手技の手付きを練習している研修医、緊急時に発揮する医師と助産師のあうんの呼吸、気が付かないところで患者さんに細やかな心遣いをしている看護師、病気のことをたくさん調べて質問に来る検査技師、着実に美しいレントゲン写真を仕上げてくれる放射線技師、時には叱咤しながら辛抱強く患者さんの社会復帰を願う訓練士、患者さんの家族や退院後の環境も考えているソーシャルワーカー、実際の薬の飲み方まで患者さんへ丁寧に説明してくれる薬剤師、患者さんについて医師が見落としがちな点まで上手に教えてくれる心理士、私のぞんざいな事務仕事をいつも補足してくれていた事務の方々、あちらこちらに残された隙間の仕事を埋めてくれながら笑顔を欠かさないボランティア…枚挙にいとまがない。
実はこの良心、病院にいる医療者だけではない。厚生労働省をはじめ医療政策や公衆衛生に携わる医療者たちも含む。全体としてのシステムが欠けていると書いているが、これは何も厚生労働省の方の責任でもない。全体的な問題があると政府や役人が問題と見る向きもあるが、本当はみんなの問題である。実際にこういった省庁で働く方々の働きぶりや考えていることを聞くと、ここにも良心に支えられた丁寧で効果的な仕事が見えてくる。霞ヶ関の夜遅くまで明かりの付いた下で動く人影を見るといつも思う。いろいろ問題はあるにせよ、厚生労働省の役人一人ひとりのがんばりに支えられて日本の医療体制があり、その体制により質の高い医療が患者さんに伝わっているのも事実である。
医師、看護師、助産師、その他すべての領域の医療者たちの多くに、自分を譲ってでも患者さん達の健康を優先する気持ちが見られる。患者さん側からは見えない部分でも、こういう良心で一杯である。日本の医療がこういった医療者たちの良心によりシステムのほころびが埋められていることを知っていて欲しい。英国にそれが無いとは言えないが、日本ほど多くの人がこういう良心を持っている場所はなかなかない。
法律(たとえば労働基準法)を守ったら医療そのものが成り立たなくなる、というのも変な話である。今日明日、1日1秒の日本の医療がこういった医療者たちの良心で成り立っていることを心して、医療の質と安全を高めるシステム、医療者たちの勤務状況を改善するシステム、経済効率を高めるシステムを一刻も早く導入していただきたいと思う。もっとも今の法律や制度が現状そのものさえ反映していないので、様々な職種の役割分担など、抜本的な改革はいずれ必要であろうが…。
一方で、どのようなすばらしいシステムを導入しても、かならず隙間が生まれることも認識しておく必要もある。もちろん、人々のやる気を喚起させるシステムを考えることもとても重要だし、日本ではまだまだ欠けていると思うが、こういうシステムにも限界がある。数字に表れる部分はシステムの改善がかなう余地も大きい。ただ、一人ひとりの患者さんの受け取る医療の質や安全には数字にならない部分の影響もかなり大きいのである。
もう一つ、日本の医療者が海外で日本を紹介する際、決して卑下する必要はない、遅れた部分、海外に学ぶべき部分はたくさんあるが、一方でこのように誇りに出来る部分もたくさんあるのである。自信を持って海外から学びたい。
良心に頼ってはいけない。良心を失ってはならない。
(既出・日経メディカルオンライン・既出・一部改編・禁無断転載)
2008年2月28日木曜日
英国の医学雑誌
英国の医学雑誌の二大巨頭はランセット(Lancet)とBMJ (British Medical Journal)である。世界の中で総合医学学術雑誌でもっとも質の高いとされている4つの雑誌の半分を占める。ちなみに後の二つはNew England Journal of Medicine、JAMA: Journal of American Medical Associationである。米国と英国から二誌づつとなっている。
ランセットはBMJよりも質が高いとされているが、逆に学問的過ぎてあまり英国の一般読者は読まない。すなわち、ランセットは専門誌、BMJは一般誌なのである。もちろん、どちらの雑誌も質の高い医学研究を掲載するが、読者が飛びつくような内容に偏るという点は否めない。これまた当然だが、この二つとも国際雑誌であるとはいえ、英国国内での話題が優先される傾向もある。
1823年に発行されたランセットだが、最近は国民の強い非難にさらされたこともあった。その一つは新三種混合ワクチン(MMR)と自閉症に関しての研究の掲載に関してである。
事件は1998年に掲載されたウェイクフィールド医師という以前お話した王立フリー病院で働く小児科医の論文が発端である。ウェイクフィールドは論文の中で、MMRのワクチンを受けたことと自閉症の発症が関係あると結論付けた。
英国のマスコミはランセットやBMJの記事には注意をいつも払っているので、この研究は瞬く間に新聞やインターネットの記事を通して取り上げられ、国のMMRの接種率が下がってしまったのである。(図)
ランセットはBMJよりも質が高いとされているが、逆に学問的過ぎてあまり英国の一般読者は読まない。すなわち、ランセットは専門誌、BMJは一般誌なのである。もちろん、どちらの雑誌も質の高い医学研究を掲載するが、読者が飛びつくような内容に偏るという点は否めない。これまた当然だが、この二つとも国際雑誌であるとはいえ、英国国内での話題が優先される傾向もある。
1823年に発行されたランセットだが、最近は国民の強い非難にさらされたこともあった。その一つは新三種混合ワクチン(MMR)と自閉症に関しての研究の掲載に関してである。
事件は1998年に掲載されたウェイクフィールド医師という以前お話した王立フリー病院で働く小児科医の論文が発端である。ウェイクフィールドは論文の中で、MMRのワクチンを受けたことと自閉症の発症が関係あると結論付けた。
英国のマスコミはランセットやBMJの記事には注意をいつも払っているので、この研究は瞬く間に新聞やインターネットの記事を通して取り上げられ、国のMMRの接種率が下がってしまったのである。(図)
これは一大事である。MMRに含まれる麻疹という病気は重篤な病気で、途上国では子供達が亡くなっていく大きな原因となっている。ちなみに日本は医療のレベルが高いため、麻疹で亡くなるこども達の数は少ないが、麻疹にかかる子供の数は多く、「麻疹輸出国」として他の国から迷惑がられている。ワクチンにはひとり一人の子供達を守るというためということもあるが、麻疹は感染率が高いため、接種率を高めることで国全体を守るという理由が大きい。(集団で集団を守るので、接種率を上げることはひとり一人の子供を守る以上の効果でみんなを守ることが出来る。)という訳で、接種率が下がれば、こども達の危機である。
それでもワクチンと自閉症の発症が関係があるかもしれないと言われると、親として接種に躊躇するのは当然である。
その後、そのランセットの論文を見た臨床医や疫学研究者、新聞記者たちが、本当に関係があるのかちゃんと確かめようと、努力が払われた。その中で、例の研究で使われた方法があまりずさんで、ランセットの編集者はそれを知りながら、論文に注目が集まるであろうことを重視して掲載したことが分かった。
ちなみにそれ以降なされた数多くのしっかりした方法で行われた研究で、この関係(MMRと自閉症)は否定されている。今年の10月にはそれまでなされた研究を集めて検討する論文が発行され、これで一件落着と言ったところであろうか。(この研究でも関係は否定されている。)
ランセットの名誉のために言っておくが、こういう経過を経て今ではしっかりした編集方針が敷かれていると聞いておく。それでも、一般的に言ってランセットが質の高い医学研究を掲載してきたのも事実である。ほんの少数の人たちのために名誉に傷がついたことは残念である。一方で、周りのひとの努力でこういう問題が明るみになり、正しい方向に向かったことは頼もしいことでもある。いずれはランセットにまつわる良い話も紹介する。
さて、BMJである。
BMJがここ最近熱心に打ち出している内容に利益の相反(Conflict of Interst)という概念がある。BMJだけでなく、英国医療界全体にもいえることである。これは診療ガバナンスの動きにも重なってくるが、「利害関係」とも言えるだろうか。
臨床研究する際には研究のすべての段階で出来るだけ客観性を保つことが求められる。これは自然科学の根本である。いろいろ議論はあるにせよ、客観性の強い事実の方が信用できるのは事実である。
この際、研究の内容だけでなく、研究者自身にも踏み込んだのが、利益の相反という概念である。端的に言えば、ある薬剤の効果に関する研究で、研究の内容がいかに客観的にされていても、その研究者がその薬剤を作っている製薬会社から研究費を得ていたら、その事実はその研究結果を理解するうえで重要な要素の一つになる、ということである。
最近は、医療や保健に関する活動で少しでも公的な要素があれば、この利益の相反に関して強く問われる。BMJは自ら果たしてこの利益の相反が研究結果に影響するかというような研究など(結果は影響するという結論である。)積極的にこの概念を浸透させるために熱心にしている。
BMJは英国の医療を照準にしているため、英国の医療システムや治療方針などに関しての情報も多いため、単に研究者が読むだけでなく、実際に臨床のみに携わっている医師や看護師、コメディカル、そしてジャーナリストなど、読者の層が広く、多いのも特徴である。ランセットよりもBMJを読むという人の方が多い。
BMJに関して言えば、もう一つ英国で働く医師にとって欠かせないのが、BMJ Careerである。これはBMJの姉妹雑誌で、医師や医学関係の求人雑誌である。インターネット版もある。(http://www.bmjcareers.com/index.php)
英国医療サービス内での医師職のポストはすべてこのBMJ Careerに掲載することになっているため、多くの医師が日常的にこのサイトを見て、仕事探しをしている。英国内だけでなく、オーストラリアやニュージランドなど旧英連邦内の仕事も多く載っている。毎週木曜日に更新なので、木曜日にアクセスすると極端に遅くなる・・・。
研修医も中級専門医も、医療系研究職も、自分の最後の仕事場が決まるまで、BMJ Careerを目を皿のようにしていいポストを探しては応募する、という繰り返しである。私もしばらく一年契約の仕事を続けていた時期には、常に仕事をしながら次の仕事を探していたような気がする。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
2008年2月21日木曜日
英国の学会
医師は二種類に分けられることは、ご存知の方も多いと思う。内科医と外科医である。もともとの袂が違うため、この二種類の医師にはいまでも大きく違う点がある。
英国で医学校を修了するとMBBSという称号をもらうことになる。これはBachelor of Medicine / Bachelor of Surgeryの略である。日本語で言えば「内科学士・外科学士」とも言うべきであろうか。すなわち内科と外科は学位で区別するぐらい違うものなのである。
呼び方も違う。内科系の医師はDr○○と呼ぶが、外科系の医師はMr/Miss○○と呼ぶのが慣わしである。Drが付くからといって内科が偉いわけではない。外科系医師たちはMr○○と呼ばれることに誇りを感じるのである。
一般の方にはその違いが分からないかもしれない。端的な違いは「手術をするかしないか」である。英国では単なる医師ではなく、内科系(内科、小児科、家庭医など)で確固として自分の専門を確立した医師をPhysicianと呼び、外科医(Surgeon)と区別する。
それでも英国では伝統的にPhysicianが一般的な医師像の代表である。このためPhysicianたちの集まり(学会)であるRoyal College of Physicians(王立内科医協会)は英国でも別格である。この王立内科医協会は国王ヘンリー8世により1518年に創設された。
英国にも学会は数多く存在する。中でも昔ながら続いている学会や規模の大きい学会は英王室のメンバーがパトロンとして就くため、ロイヤル・カレッジ(Royal College)と呼ぶ。
日本では内科学会と小児科学会は別物であるが、英国の王立内科医協会は10年前まで内科医と小児科医の集まりであった。10年前より小児科のみが独立して別の学会、王立小児保健協会(Royal College of Paediatrics and Child Health)という学会を作った。
カレッジと聞くと大学と思われるかもしれない。英国の学会は大学ではないし、正式には完全に私的な団体(慈善団体)である。しかしながら、大学に順ずるような役割を担っている。たとえば内科学会の正式会員になるとMRCP (Member of Royal College of Physicians)という称号が与えられ、特別会員(フェロー)になるとFRCP (Fellow of )という称号が付き、学会内でも特別扱いである。
当然ながら会員になるのは簡単ではない。普通の会員になるためには卒業後のインターンと研修期間を修了し、難しい専門医の試験を通らなければならない。ただし、専門医の試験に通り、会員になったからと言って専門医になれるわけではない。前にも書いたが、会員になってようやくその専門の研修を受けさせてもらえるようになるだけである。
会員になってから規定の研修ポスト(ポストの数は限られる)で一定期間(最低5年)研修を受け、その研修を指導した医師のお墨付きをもらってはじめてコンサルタントという職に付くことが出来る。英国内でこのコンサルタントの職を5年以上すれば、特別会員に推薦してもらえる。ここで本当の意味での「専門医」として確立するわけである。
称号を与えると言う意味で大学に近い存在であるが、さらに大学と同じように、MRCPやFRCPになるとそれぞれの段階に応じて、正式な角帽・ガウンも着ることができ、学会の儀式では着用することになっている。添付の写真は学会のものではないが筆者がロンドン大学熱帯医学公衆衛生学大学院での学位を頂いたときの帽子とガウンである。
この学会の会長(president)になると自動的に称号はPRCP(President of)に変わり、正式な儀式では例のガウン・帽子とともに、金色の大きな鍵を身につける。
学会はどこも大きな建物を持っているし、どこもロンドンにある由緒のある建物を利用しているので古くて美しいと言うのが相場である。(実は内科学会の建物は新しい現代風の建物であるが。)たいていの学会の建物内には歴代の学会長の肖像が掲げられている。会議をするときなどは先人達に睨まれている気になったり、守られている気になったり、と不思議である。
学会員はこういった建物を利用することが出来るが、当然ながらただの会員と特別会員では使えるものが違う・・・。
英国の学会はこのような古めかしい伝統に支えられているのも事実だが、長く続いてきたのは、時代に応じてしっかりと変化してきたから、ということも言える。
どこの学会にもClincial Effectiveness Unitという部門を持つ。ここの部門はその領域における世界中のガイドラインや系統的レビューの情報を入れながら、こういったものが自国で使えるかどうかの評価をしたり、学会でガイドラインや勧告、政策案などを出す場合の臨床疫学的(科学的根拠に基づく医療)な根拠を作っていたり、整理していたりする。
もう一つ大きな部門は教育部門である。もちろん専門医試験など、国内向けのものもあるのだが、外国人のための部門もある。図書館をもつ学会も多い。
伝統を保ちながら、必要なところは変えていく、といったところであろうか。実は上に掲げた専門医に関わることや、勧告など外向けの部分は案外現代的であるが、その大きな組織の奥に入っていけば行くほど、魔物のような伝統が待ち構えている。不思議なところである。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
英国で医学校を修了するとMBBSという称号をもらうことになる。これはBachelor of Medicine / Bachelor of Surgeryの略である。日本語で言えば「内科学士・外科学士」とも言うべきであろうか。すなわち内科と外科は学位で区別するぐらい違うものなのである。
呼び方も違う。内科系の医師はDr○○と呼ぶが、外科系の医師はMr/Miss○○と呼ぶのが慣わしである。Drが付くからといって内科が偉いわけではない。外科系医師たちはMr○○と呼ばれることに誇りを感じるのである。
一般の方にはその違いが分からないかもしれない。端的な違いは「手術をするかしないか」である。英国では単なる医師ではなく、内科系(内科、小児科、家庭医など)で確固として自分の専門を確立した医師をPhysicianと呼び、外科医(Surgeon)と区別する。
それでも英国では伝統的にPhysicianが一般的な医師像の代表である。このためPhysicianたちの集まり(学会)であるRoyal College of Physicians(王立内科医協会)は英国でも別格である。この王立内科医協会は国王ヘンリー8世により1518年に創設された。
英国にも学会は数多く存在する。中でも昔ながら続いている学会や規模の大きい学会は英王室のメンバーがパトロンとして就くため、ロイヤル・カレッジ(Royal College)と呼ぶ。
日本では内科学会と小児科学会は別物であるが、英国の王立内科医協会は10年前まで内科医と小児科医の集まりであった。10年前より小児科のみが独立して別の学会、王立小児保健協会(Royal College of Paediatrics and Child Health)という学会を作った。
カレッジと聞くと大学と思われるかもしれない。英国の学会は大学ではないし、正式には完全に私的な団体(慈善団体)である。しかしながら、大学に順ずるような役割を担っている。たとえば内科学会の正式会員になるとMRCP (Member of Royal College of Physicians)という称号が与えられ、特別会員(フェロー)になるとFRCP (Fellow of )という称号が付き、学会内でも特別扱いである。
当然ながら会員になるのは簡単ではない。普通の会員になるためには卒業後のインターンと研修期間を修了し、難しい専門医の試験を通らなければならない。ただし、専門医の試験に通り、会員になったからと言って専門医になれるわけではない。前にも書いたが、会員になってようやくその専門の研修を受けさせてもらえるようになるだけである。
会員になってから規定の研修ポスト(ポストの数は限られる)で一定期間(最低5年)研修を受け、その研修を指導した医師のお墨付きをもらってはじめてコンサルタントという職に付くことが出来る。英国内でこのコンサルタントの職を5年以上すれば、特別会員に推薦してもらえる。ここで本当の意味での「専門医」として確立するわけである。
称号を与えると言う意味で大学に近い存在であるが、さらに大学と同じように、MRCPやFRCPになるとそれぞれの段階に応じて、正式な角帽・ガウンも着ることができ、学会の儀式では着用することになっている。添付の写真は学会のものではないが筆者がロンドン大学熱帯医学公衆衛生学大学院での学位を頂いたときの帽子とガウンである。
この学会の会長(president)になると自動的に称号はPRCP(President of)に変わり、正式な儀式では例のガウン・帽子とともに、金色の大きな鍵を身につける。
学会はどこも大きな建物を持っているし、どこもロンドンにある由緒のある建物を利用しているので古くて美しいと言うのが相場である。(実は内科学会の建物は新しい現代風の建物であるが。)たいていの学会の建物内には歴代の学会長の肖像が掲げられている。会議をするときなどは先人達に睨まれている気になったり、守られている気になったり、と不思議である。
学会員はこういった建物を利用することが出来るが、当然ながらただの会員と特別会員では使えるものが違う・・・。
英国の学会はこのような古めかしい伝統に支えられているのも事実だが、長く続いてきたのは、時代に応じてしっかりと変化してきたから、ということも言える。
どこの学会にもClincial Effectiveness Unitという部門を持つ。ここの部門はその領域における世界中のガイドラインや系統的レビューの情報を入れながら、こういったものが自国で使えるかどうかの評価をしたり、学会でガイドラインや勧告、政策案などを出す場合の臨床疫学的(科学的根拠に基づく医療)な根拠を作っていたり、整理していたりする。
もう一つ大きな部門は教育部門である。もちろん専門医試験など、国内向けのものもあるのだが、外国人のための部門もある。図書館をもつ学会も多い。
伝統を保ちながら、必要なところは変えていく、といったところであろうか。実は上に掲げた専門医に関わることや、勧告など外向けの部分は案外現代的であるが、その大きな組織の奥に入っていけば行くほど、魔物のような伝統が待ち構えている。不思議なところである。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
2008年2月16日土曜日
英国医師会
英国医師会(BMA: British Medical Association)は、例の7月に起きたロンドン地下鉄・バス同時爆破テロ事件で一躍有名になったので、BMA ハウスと呼ばれるその建物をニュースでご覧になった方もいるかもしれない。30番のバスがBMAハウスの目の前で爆発したので、中で会議中だった医師たちが目の前の公園で救命処置をした、という話である。直後にはバスの破片や血糊がこびりついていた建物だが、今ではすっかり元の状態に戻っている。
余談だが、BMAハウスは歴史的建造物に指定されていて由緒もあり、施設も整っているので、結婚式まで受けている。外からは見えないがきれいな中庭もある。建物は違うが文豪チャールズ・ディケンズが住んでいた場所に建てられている。
英国医師会は医師の労働組合である。そのため、医師たちの意見を集約して、政治的に働きかけるという役割もある。英国社会の中でもその発言力は無視できない存在である。
労働組合だからと言って英国で働く医師、みんながみんな入会しているわけではない。入会している医師の多くはコンサルタントと呼ばれる上位の医師たちと、家庭医たちというのが通例である。このあたり日本の医師会と似ているかもしれない。現在では無視できない存在になっている外国人部隊の医師たちはあまり入会していない。
英国で新たに医師登録する医師たちは年に1万5000人ほどである。このうち英国本国出身者は5000人で残りのほぼ1万人は海外からの医師である。出身国はインド4000人、パキスタン1000人、ドイツ700人と続く。英国で毎年医学校を卒業するのは毎年8000人に満たない。実はこの医学生の中に外国人や移民の二世、三世の割合もかなり高い。外国人医師がいなければ英国医療は成り立たないと言うわけである。
このように英国で働く医師の中で外国人の存在は大きくなりつつあるが、医師を代表する組合である医師会に参加するのは上位の本国出身者が多いため、英国医師会が政治に働きかけをする際、外国人に不利に働くようになることも多い。
なにもこれは英国医師会が外国人医師の入会を制限しているわけではなく、単に入会のメリットがさほど無いだけである。会員費は年間約7万円余りであるが、医師会の発行する雑誌であるBMJが送られてくる以外は、医師の職業保険や職業上の相談に乗ってくれたりするが、実際にはみな保険は個人で入っているし、BMJもほとんどの病院の図書館にあるうえに、今では無料でインターネット上で閲覧できる。
こんな訳だから、自然と懐に余裕があり、仕事の範囲に運営など政治や組織がらみのことが含まれるコンサルタントや家庭医たちが多くなるわけである。
会員の構成が実際の現場を反映していないため、上記のように少し偏った働きかけをしている例も見られるが、もちろん、医師の職業倫理や、医師の評価など、権利を主張するだけでなく、医師の質の向上にも取り組んでいる。このため、一般には医師会は偏っていると言う意見もある一方で、一目置かれる存在でもある。
最近熱心に行っているのがタバコに関してで、レストランなどでタバコを禁止にする件などでもいろいろ強い働きかけをしている。
実はこれには長い歴史がある。タバコを吸うと肺がんになる確率が高くなることは今では常識のようなことだが、これを臨床研究ではじめて証明したのがBritish Doctors Studyと呼ばれる有名な疫学研究である。
これは1951年に始まって、つい最近まで続いていた息の長い研究で、1951年に英国医師会の会員であった男性医師すべてに質問表が送られ、結局はその3分の2(約3万5000人)が参加した。タバコを吸う医師と吸わない医師で肺がんや心臓の病気で死亡する確率を長期に観察し、さまざまな統計処理をした上で、肺がんや心筋梗塞をはじめ、様々な病気がタバコと直接関係があることを示した。英国医師会の会員医師は海外に行ってしまう可能性が低いのでちゃんと長期に観察できる可能性が高いことと、回答率が高いのではという期待などから医師が選ばれたらしい。
最近のもう一つ大きな変化は医師の再評価(revalidation)である。これは医師会とは別の、GMC(General Medical Council)と呼ばれる医師の登録などを請け負う組織が担当している。簡単に言えば医師免許を最初に許可したらそのままというのではなく、医師の技量や知識を継続的に再評価していくというシステムである。
ただ、このシステムは今年の(2005年)4月に導入予定だったのが、すったもんだの挙句、医師会が内容の変更を求めたために、現在導入が延期されている。内容が固まったらまた改めて報告する。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
余談だが、BMAハウスは歴史的建造物に指定されていて由緒もあり、施設も整っているので、結婚式まで受けている。外からは見えないがきれいな中庭もある。建物は違うが文豪チャールズ・ディケンズが住んでいた場所に建てられている。
英国医師会は医師の労働組合である。そのため、医師たちの意見を集約して、政治的に働きかけるという役割もある。英国社会の中でもその発言力は無視できない存在である。
労働組合だからと言って英国で働く医師、みんながみんな入会しているわけではない。入会している医師の多くはコンサルタントと呼ばれる上位の医師たちと、家庭医たちというのが通例である。このあたり日本の医師会と似ているかもしれない。現在では無視できない存在になっている外国人部隊の医師たちはあまり入会していない。
英国で新たに医師登録する医師たちは年に1万5000人ほどである。このうち英国本国出身者は5000人で残りのほぼ1万人は海外からの医師である。出身国はインド4000人、パキスタン1000人、ドイツ700人と続く。英国で毎年医学校を卒業するのは毎年8000人に満たない。実はこの医学生の中に外国人や移民の二世、三世の割合もかなり高い。外国人医師がいなければ英国医療は成り立たないと言うわけである。
このように英国で働く医師の中で外国人の存在は大きくなりつつあるが、医師を代表する組合である医師会に参加するのは上位の本国出身者が多いため、英国医師会が政治に働きかけをする際、外国人に不利に働くようになることも多い。
なにもこれは英国医師会が外国人医師の入会を制限しているわけではなく、単に入会のメリットがさほど無いだけである。会員費は年間約7万円余りであるが、医師会の発行する雑誌であるBMJが送られてくる以外は、医師の職業保険や職業上の相談に乗ってくれたりするが、実際にはみな保険は個人で入っているし、BMJもほとんどの病院の図書館にあるうえに、今では無料でインターネット上で閲覧できる。
こんな訳だから、自然と懐に余裕があり、仕事の範囲に運営など政治や組織がらみのことが含まれるコンサルタントや家庭医たちが多くなるわけである。
会員の構成が実際の現場を反映していないため、上記のように少し偏った働きかけをしている例も見られるが、もちろん、医師の職業倫理や、医師の評価など、権利を主張するだけでなく、医師の質の向上にも取り組んでいる。このため、一般には医師会は偏っていると言う意見もある一方で、一目置かれる存在でもある。
最近熱心に行っているのがタバコに関してで、レストランなどでタバコを禁止にする件などでもいろいろ強い働きかけをしている。
実はこれには長い歴史がある。タバコを吸うと肺がんになる確率が高くなることは今では常識のようなことだが、これを臨床研究ではじめて証明したのがBritish Doctors Studyと呼ばれる有名な疫学研究である。
これは1951年に始まって、つい最近まで続いていた息の長い研究で、1951年に英国医師会の会員であった男性医師すべてに質問表が送られ、結局はその3分の2(約3万5000人)が参加した。タバコを吸う医師と吸わない医師で肺がんや心臓の病気で死亡する確率を長期に観察し、さまざまな統計処理をした上で、肺がんや心筋梗塞をはじめ、様々な病気がタバコと直接関係があることを示した。英国医師会の会員医師は海外に行ってしまう可能性が低いのでちゃんと長期に観察できる可能性が高いことと、回答率が高いのではという期待などから医師が選ばれたらしい。
最近のもう一つ大きな変化は医師の再評価(revalidation)である。これは医師会とは別の、GMC(General Medical Council)と呼ばれる医師の登録などを請け負う組織が担当している。簡単に言えば医師免許を最初に許可したらそのままというのではなく、医師の技量や知識を継続的に再評価していくというシステムである。
ただ、このシステムは今年の(2005年)4月に導入予定だったのが、すったもんだの挙句、医師会が内容の変更を求めたために、現在導入が延期されている。内容が固まったらまた改めて報告する。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
2008年2月4日月曜日
フライング・ドクター
オーストラリアでの医師としての経験でいまだに自分の心に強く残っているのは、フライング・ドクターの経験である。小さな飛行機からみる、どこまでも続く赤土の大地は、言葉の意味を失わせる体験である。
オーストラリアのフライング・ドクター(www.flyingdoctor.net)の歴史は元をたどればオーストラリアの歴史より長い。正式にはRoyal Flying Doctors Service of Australia (RFDS)という。建国以前、まだ英国の領土であった時代に、都市部から遠く離れた農場で働く人たちが落馬して骨を折ったとか、毒蛇に咬まれた(大きい農場には血清などは保存してある)とか、急な病気などの場合に、医師を乗せた飛行機が現場に急行し、病院に搬送する、という形で始まった。
何しろ、一番大きな農場は広島県より大きいという国柄である。どこの町や村に行っても舗装はされてなくても滑走路はある。ちなみに、どこの町に行ってもあるのがパブと教会とクリケット・グラウンドである。
新生児科医の大きな仕事の一つに、状態の悪い赤ちゃんを別の病院から搬送することがある。新生児医療というものはどこの病院でもできる類のものではなく、設備や人的資源が特殊になるため、一部の限られた病院でしか提供できない。ところが、「出産」というのはどこの病院でも、はたまた自宅でもあり得ることである。そうすると自然に、状態の悪化した赤ちゃんをより大きい病院に搬送する機会が増えるわけである。
ニュー・サウス・ウェールズ州などのように人口の多い州は、この新生児搬送用の飛行機を所有しているが、私の働いていた南オーストラリア州はそこまで人口も多くなく(人口せいぜい100〜200万人で日本の約3倍以上の州土)、フライング・ドクターと提携して新生児搬送を行っていた。
数え切れないぐらいの搬送をこなしたが、いまだに覚えているものも幾つかある。南オーストラリア州では北部準州も守備範囲になるため、オーストラリアの真ん中にあるアリス・スプリングスという町(エアーズ・ロックに近い)にも3回ほど飛んだ。往復で12時間かかったこともあった。
海辺の小さい町に飛んだときには、搬送元から体長1メートル近いクレイ・フィッシュ(ザリガニ)を戴いたこともある。飛行機の翼(自然の冷蔵庫)に入れて持ち帰り、さっそくBBQ(バーベキュー)で頂いた。
近辺の町であれば、ヘリコプターで行くことも多い。ヘリコプターの中で新年を迎えた年もあった。ヘリコプターの場合はどこの町にもあるクリケット・グラウンドがヘリポートとなる。ヘリコプターから眺めるアデレード市の夜景は絶品である。
この新生児搬送の体験で、2つ伝えたいことがある。
1つは、この搬送でいつも驚いたのが、搬送元の医療レベルの高さと標準化である。どんなに小さな病院に行っても、初期医療は標準化された形にのっとって行われており、挿管や点滴、抗生剤の種類、量、蘇生の手順など、州内はほぼ統一化された形になっていた。これは英国でも見られない、オーストラリア医療の隠れたすばらしい業績である。集中医療ではベストの治療方針というのは「治療方針を変えないこと」ということもよくあり、州内の最も大きい病院での治療方針にのっとって行われているため、あれだけ広い国土にもかかわらず、全体として高いレベルで標準化が実現しているのである。
もう1つはお母さんの搬送である。日本でも英国でも救急車の収容人数と言うこともあり、生まれたての赤ちゃんの状態が悪化すると、その赤ちゃんだけを搬送し、お母さんは分娩した場所に取り残されることになる。しかし、オーストラリアではお母さんと赤ちゃんはまだ一体であるという考え方の基に、救急車をもう1台手配してでも同時に2人とも搬送するのである。これは後々のお母さんと赤ちゃんの関係に大きく影響しないわけがない。私は現在ロンドンの新生児搬送医療にも関与しているが、ロンドンでもこういう形になるように現在努力中である。
オーストラリアの医療は、日本ではあまり注目されていない。しかし、最新の研究とか、最先端の機器とかいうのではなく、実際の医療のレベルを全体的に標準化しつつ上げていくということに関しては、とてもよくできている。そしてこういった派手に見えないけれど着実な努力を要することも、よりよい医療サービスを提供する上でとても重要なことである。
(既出・日経メディカルオンライン・一部改編・禁無断転載)
オーストラリアのフライング・ドクター(www.flyingdoctor.net)の歴史は元をたどればオーストラリアの歴史より長い。正式にはRoyal Flying Doctors Service of Australia (RFDS)という。建国以前、まだ英国の領土であった時代に、都市部から遠く離れた農場で働く人たちが落馬して骨を折ったとか、毒蛇に咬まれた(大きい農場には血清などは保存してある)とか、急な病気などの場合に、医師を乗せた飛行機が現場に急行し、病院に搬送する、という形で始まった。
何しろ、一番大きな農場は広島県より大きいという国柄である。どこの町や村に行っても舗装はされてなくても滑走路はある。ちなみに、どこの町に行ってもあるのがパブと教会とクリケット・グラウンドである。
新生児科医の大きな仕事の一つに、状態の悪い赤ちゃんを別の病院から搬送することがある。新生児医療というものはどこの病院でもできる類のものではなく、設備や人的資源が特殊になるため、一部の限られた病院でしか提供できない。ところが、「出産」というのはどこの病院でも、はたまた自宅でもあり得ることである。そうすると自然に、状態の悪化した赤ちゃんをより大きい病院に搬送する機会が増えるわけである。
ニュー・サウス・ウェールズ州などのように人口の多い州は、この新生児搬送用の飛行機を所有しているが、私の働いていた南オーストラリア州はそこまで人口も多くなく(人口せいぜい100〜200万人で日本の約3倍以上の州土)、フライング・ドクターと提携して新生児搬送を行っていた。
数え切れないぐらいの搬送をこなしたが、いまだに覚えているものも幾つかある。南オーストラリア州では北部準州も守備範囲になるため、オーストラリアの真ん中にあるアリス・スプリングスという町(エアーズ・ロックに近い)にも3回ほど飛んだ。往復で12時間かかったこともあった。
海辺の小さい町に飛んだときには、搬送元から体長1メートル近いクレイ・フィッシュ(ザリガニ)を戴いたこともある。飛行機の翼(自然の冷蔵庫)に入れて持ち帰り、さっそくBBQ(バーベキュー)で頂いた。
近辺の町であれば、ヘリコプターで行くことも多い。ヘリコプターの中で新年を迎えた年もあった。ヘリコプターの場合はどこの町にもあるクリケット・グラウンドがヘリポートとなる。ヘリコプターから眺めるアデレード市の夜景は絶品である。
この新生児搬送の体験で、2つ伝えたいことがある。
1つは、この搬送でいつも驚いたのが、搬送元の医療レベルの高さと標準化である。どんなに小さな病院に行っても、初期医療は標準化された形にのっとって行われており、挿管や点滴、抗生剤の種類、量、蘇生の手順など、州内はほぼ統一化された形になっていた。これは英国でも見られない、オーストラリア医療の隠れたすばらしい業績である。集中医療ではベストの治療方針というのは「治療方針を変えないこと」ということもよくあり、州内の最も大きい病院での治療方針にのっとって行われているため、あれだけ広い国土にもかかわらず、全体として高いレベルで標準化が実現しているのである。
もう1つはお母さんの搬送である。日本でも英国でも救急車の収容人数と言うこともあり、生まれたての赤ちゃんの状態が悪化すると、その赤ちゃんだけを搬送し、お母さんは分娩した場所に取り残されることになる。しかし、オーストラリアではお母さんと赤ちゃんはまだ一体であるという考え方の基に、救急車をもう1台手配してでも同時に2人とも搬送するのである。これは後々のお母さんと赤ちゃんの関係に大きく影響しないわけがない。私は現在ロンドンの新生児搬送医療にも関与しているが、ロンドンでもこういう形になるように現在努力中である。
オーストラリアの医療は、日本ではあまり注目されていない。しかし、最新の研究とか、最先端の機器とかいうのではなく、実際の医療のレベルを全体的に標準化しつつ上げていくということに関しては、とてもよくできている。そしてこういった派手に見えないけれど着実な努力を要することも、よりよい医療サービスを提供する上でとても重要なことである。
(既出・日経メディカルオンライン・一部改編・禁無断転載)
2008年1月28日月曜日
人間関係
英語には尊敬語や丁寧語がなく、ファースト・ネームで呼び合うのであまり上下関係がないと言う人がいる。ところが現実はそんなに簡単ではない。
政治がらみの仕事や組織の上層部に行けば行くほど、目に見えない形で、しっかりとした上下関係があり、実はこういうことを言葉の表現の中ににじませるような努力も必要になってくる。英語に尊敬語がない訳ではない。英語の尊敬語は微妙な表現の中にあるのである。このあたり米国の事情を聞いてみたいが、英国での英語ではかなり「語彙」にこだわる傾向があるように思う。
医師もポジションによりいくつかの層に分かれており、それぞれの「階級」の間の溝は案外深い。 コンサルタントと言われる立場がある。これは日本語では顧問医とか、上級専門医、もしくは部長などと訳されている。これは専門医などの研修も済まし、まったく独立して診療ができる医師で、病棟や外来などで指導的な役割を担っている。基本的には同じ病院で同じ科でもコンサルタントが違えば診療方針も違う。具体的には病棟などを回診して治療方針の大きな方向性を決め、あとは教育や病院の運営、研究に携わる。
その下がレジストラーと呼ばれる中堅の医師たちである。日本語では中級専門医などと訳されている。病棟や外来での実際の仕事をほとんどこなす実働部隊といった役割である。英国では専門医試験を通り、初期研修が終了して自分の専門学会に正式に入会すればこの仕事を取れる権利が与えられる。その後この中級専門医として認定された研修期間を終われれば(小児科であれば5年間)コンサルタントの仕事を取る権利が与えられる。研修医達を教えながら、こまごまとしたことの方針はすべてレジストラーたちが行う。
この中級専門医達の下で働くのがハウス・オフィサーたちである。日本語では研修医であろうか。インターンを終えた新入り医師たちが2-4年ぐらいこの立場で将来自分の専門を考える上で様々な専門を経験したり、もしくは自分の専門の中で研修する。通常専門医の試験はこの時代に受ける。専門医の試験を受けてしっかりと知識をつけてから研修が始まるというこの英国の制度は、研修を受けて最後に試験が通れば専門医になれる日本とは逆になる。 それぞれの立場の差は実際の仕事の差でもあるが、周囲もコンサルタントという場合とハウス・オフィサーという場合では接し方も違うし、やはり「階級」ということを強く感じざるを得ない。企業における「部長」だとか「課長」とかいうのと似ているのかもしれない。
日本からみた大きな違いは、仕事の領域配分である。日本であれば同じ科に何人かの医師がいる場合、上になるにしたがって、徐々に指導的な役割が増えるので、だれが「実働部隊」で、だれが「研修医」ということもはっきりとしなく、逆にそれぞれの医師の力量に応じて病院ごとに微妙に違ったりする。 しかし、英国では、コンサルタントの仕事はコンサルタントの仕事であり、力量や年数に関わらず、同じ役割が求められる。レジストラーも同じである。求められている仕事以上の仕事は期待されていないし、してはいけない。他人の領域に踏み出すのは禁忌である。
私自身もこういう環境で働くことで、刺激を受ける反面、求められている仕事をしっかりとこなすという歯車のような働き方に疑問に感じるときもあった。 給料も違えば、その他の待遇、当直の有無など大きく変わってくるので、多くの医師たちがより上の段階に上がろうと努力する。この努力が専門医の試験に通ることであったり、研修のためとして認められているポジションを取るために履歴書を上手に書いたり、自分をうまく見せる努力も必要になるわけである。
専門医制度が厳しいためか、一般的に日本の医師に比べると英国の医師はよく勉強しているし、知識も多い。EBM(根拠に基づく医療)という考え方が試験や日常診療の中でも問われるということもあって、現在までの臨床研究についてや、正しい論文の読み方もかなり年上の医師たちでも精通している。
実はこのEBM、上に掲げた上下関係を打破するための道具でもある。EBMという言葉が生まれて10年以上経つが、さすがにEBMを引っ張ってきた国の一つ、その考え方はかなり浸透しているため、下の医師からEBMを武器に治療方針はこうあるべきではないか、と言われ、それが正しいと思われたら、上の医師も受け入れざるを得ない。下克上の道具なのである。また、もちろんそうすると上位の医師たちも必死で勉強する羽目になるわけである。
この上下関係に本国部隊と外国人部隊という関係も微妙に影響する。英国の場合は本国(英国)で生まれ育った医師たちと、欧州部隊(ヨーロッパ大陸から来た医師たち)と、外国人部隊(南アジアやアフリカなど)という大きく分けて3グループがあり、その中でポジションや研修などの情報交換は自然と活発である。
欧州部隊はEUの推進によって英語の基準無しに欧州大陸から英国に渡り、臨床医として働くことが可能となったので、最近勢力を伸ばしつつある。最近特に東欧からの医師が多い。より英語の上手な外国人部隊を押しのけて仕事を取る権利があるので、現場は少し混乱している。 上に掲げた「出世競争」に勝ち残るには情報戦が重要なのであるが、私の場合は「日本人部隊」などというものが存在しない場所で診療行為をしてきたので、時と場合に応じて様々なグループの友人達(ほとんどが外国人部隊)から情報を得てきた。今でもこういうネットワークはとても重要であると感じている。
ちなみに、この「外国人部隊」は私も含めて英国・豪州・カナダ・ニュージーランドなど旧英連邦内で移動していることも多い。(米国は別枠である) かつては外国人部隊はコンサルタントにはなれないなどと言われたが、最近ではそういった差別意識も徐々になくなり、自然と人種の違うコンサルタントが働くようにはなってきた。 こういった外国人医師として生き残る道に関しては項を改めてお話したい。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
政治がらみの仕事や組織の上層部に行けば行くほど、目に見えない形で、しっかりとした上下関係があり、実はこういうことを言葉の表現の中ににじませるような努力も必要になってくる。英語に尊敬語がない訳ではない。英語の尊敬語は微妙な表現の中にあるのである。このあたり米国の事情を聞いてみたいが、英国での英語ではかなり「語彙」にこだわる傾向があるように思う。
医師もポジションによりいくつかの層に分かれており、それぞれの「階級」の間の溝は案外深い。 コンサルタントと言われる立場がある。これは日本語では顧問医とか、上級専門医、もしくは部長などと訳されている。これは専門医などの研修も済まし、まったく独立して診療ができる医師で、病棟や外来などで指導的な役割を担っている。基本的には同じ病院で同じ科でもコンサルタントが違えば診療方針も違う。具体的には病棟などを回診して治療方針の大きな方向性を決め、あとは教育や病院の運営、研究に携わる。
その下がレジストラーと呼ばれる中堅の医師たちである。日本語では中級専門医などと訳されている。病棟や外来での実際の仕事をほとんどこなす実働部隊といった役割である。英国では専門医試験を通り、初期研修が終了して自分の専門学会に正式に入会すればこの仕事を取れる権利が与えられる。その後この中級専門医として認定された研修期間を終われれば(小児科であれば5年間)コンサルタントの仕事を取る権利が与えられる。研修医達を教えながら、こまごまとしたことの方針はすべてレジストラーたちが行う。
この中級専門医達の下で働くのがハウス・オフィサーたちである。日本語では研修医であろうか。インターンを終えた新入り医師たちが2-4年ぐらいこの立場で将来自分の専門を考える上で様々な専門を経験したり、もしくは自分の専門の中で研修する。通常専門医の試験はこの時代に受ける。専門医の試験を受けてしっかりと知識をつけてから研修が始まるというこの英国の制度は、研修を受けて最後に試験が通れば専門医になれる日本とは逆になる。 それぞれの立場の差は実際の仕事の差でもあるが、周囲もコンサルタントという場合とハウス・オフィサーという場合では接し方も違うし、やはり「階級」ということを強く感じざるを得ない。企業における「部長」だとか「課長」とかいうのと似ているのかもしれない。
日本からみた大きな違いは、仕事の領域配分である。日本であれば同じ科に何人かの医師がいる場合、上になるにしたがって、徐々に指導的な役割が増えるので、だれが「実働部隊」で、だれが「研修医」ということもはっきりとしなく、逆にそれぞれの医師の力量に応じて病院ごとに微妙に違ったりする。 しかし、英国では、コンサルタントの仕事はコンサルタントの仕事であり、力量や年数に関わらず、同じ役割が求められる。レジストラーも同じである。求められている仕事以上の仕事は期待されていないし、してはいけない。他人の領域に踏み出すのは禁忌である。
私自身もこういう環境で働くことで、刺激を受ける反面、求められている仕事をしっかりとこなすという歯車のような働き方に疑問に感じるときもあった。 給料も違えば、その他の待遇、当直の有無など大きく変わってくるので、多くの医師たちがより上の段階に上がろうと努力する。この努力が専門医の試験に通ることであったり、研修のためとして認められているポジションを取るために履歴書を上手に書いたり、自分をうまく見せる努力も必要になるわけである。
専門医制度が厳しいためか、一般的に日本の医師に比べると英国の医師はよく勉強しているし、知識も多い。EBM(根拠に基づく医療)という考え方が試験や日常診療の中でも問われるということもあって、現在までの臨床研究についてや、正しい論文の読み方もかなり年上の医師たちでも精通している。
実はこのEBM、上に掲げた上下関係を打破するための道具でもある。EBMという言葉が生まれて10年以上経つが、さすがにEBMを引っ張ってきた国の一つ、その考え方はかなり浸透しているため、下の医師からEBMを武器に治療方針はこうあるべきではないか、と言われ、それが正しいと思われたら、上の医師も受け入れざるを得ない。下克上の道具なのである。また、もちろんそうすると上位の医師たちも必死で勉強する羽目になるわけである。
この上下関係に本国部隊と外国人部隊という関係も微妙に影響する。英国の場合は本国(英国)で生まれ育った医師たちと、欧州部隊(ヨーロッパ大陸から来た医師たち)と、外国人部隊(南アジアやアフリカなど)という大きく分けて3グループがあり、その中でポジションや研修などの情報交換は自然と活発である。
欧州部隊はEUの推進によって英語の基準無しに欧州大陸から英国に渡り、臨床医として働くことが可能となったので、最近勢力を伸ばしつつある。最近特に東欧からの医師が多い。より英語の上手な外国人部隊を押しのけて仕事を取る権利があるので、現場は少し混乱している。 上に掲げた「出世競争」に勝ち残るには情報戦が重要なのであるが、私の場合は「日本人部隊」などというものが存在しない場所で診療行為をしてきたので、時と場合に応じて様々なグループの友人達(ほとんどが外国人部隊)から情報を得てきた。今でもこういうネットワークはとても重要であると感じている。
ちなみに、この「外国人部隊」は私も含めて英国・豪州・カナダ・ニュージーランドなど旧英連邦内で移動していることも多い。(米国は別枠である) かつては外国人部隊はコンサルタントにはなれないなどと言われたが、最近ではそういった差別意識も徐々になくなり、自然と人種の違うコンサルタントが働くようにはなってきた。 こういった外国人医師として生き残る道に関しては項を改めてお話したい。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
2008年1月25日金曜日
英国病院の運営体
「トラスト」という言葉を聞くと、「ナショナル・トラスト」を思い浮かべる人も多いと思う。これは限りなく公的に近い私的団体というべきなのだろうか。NHSトラストという場合は、病院や地域の医療サービスの運営母体のことを指す。同様に限りなく公的と私的の中間に位置する団体である。
以前、このコラムで国民保健サービス(NHS)は完全国営で始まったと書いた。ところが、時代が経るにしたがって、組織疲弊を起こし、効率よく質の高い医療を提供できない状態になっていった。
1990年サッチャー政権下で改革が行われ、「NHSトラスト」という組織が各地に作られた。これは完全に保健省の統制下にあった国営企業たる保健サービスを、地域ごとに独立させ、さまざまに効率を上げることが目的であった。独立と言っても人事権や予算の配分など、国の統制がそれでも強く残っている。
このトラストには大きく分けて、下の5つある。
1) 急性期トラスト(Acute Trust) (言ってみれば通常の総合病院の集合体)
2) 救急搬送トラスト(Ambulance Trust) (救急車などの搬送のみ扱う)
3) ケアトラスト(Care Trust) (新しくできた形態のトラストで、「治療」というよりケアに焦点をあてた保健サービスを提供する)
4) 精神保健トラスト(Mental Health Trust) (精神疾患関連は別枠にトラスト形成していることも多い。)
5) プライマリーケアトラスト(Primary Care Trust) (地域に根ざした一次医療を担っていく家庭医などを含めたトラスト)
一般的にはこの急性期トラストというものがトラストの代表格となる。(http://www.nhs.uk/England/AuthoritiesTrusts/Acute/Default.aspx)
実際にはこの急性期トラスト、地域の2-3の病院の集合体である。たとえば、筆者の勤める王立ロンドン病院は、聖バーソロミュー病院、ロンドン胸部病院と合わせて「バーツとロンドン・トラスト」と言う名前のトラストの運営である。日本で言えば一つの医療法人がいくつかの病院を経営しているような感じであろうか。
蛇足だが、この王立ロンドン病院、例のロンドン地下鉄・バステロで被害のあったオールドゲート駅に最も近い大きな総合病院だったので、かなりの被害者を収容した。
各トラストには運営委員会のようなものがあり、経営の専門家、医療部門の代表、看護部門の代表、財務の専門家などからなる。この委員会が国の指導を受けながら運営しているといったところである。この委員会のトップは通常医師ではない。
わざわざこう書くのは、洋の東西を問わず、病院や医療サービスの意志決定にまつわる人間関係の中に、医師集団とそれ以外の職種集団によく摩擦が見られるのである。一般の方には分かりにくいと思うが、病院で働く方にはよく理解していただけると思う。
現在行われているブレア政権のNHS改革では数多くの面でトラストに直接・間接に影響を及ぼしているが、私の目から見て大きな点が二つある。
一つにはファンダメーション・トラストということ。もう一つが患者・消費者代表参加である。
このファンダメーション・トラストというのは通常のトラストの独立性をさらに強く進めた形で新しい形のトラストである。どちらかというとサッチャー政権下の改革と同じ方向性(というよりはその延長)にあるので、労働党内でもいろいろ紛糾した上で決まった事項であった。上にかがけた急性期トラストのうち、条件を満たしたものはこのファンダメーション・トラストへの昇格が許される。
このファンダメーション・トラストに昇格すると、それまで政府の決定事項であった予算決定権や人事権など、独立して決定できる事項が増え、独立性が強くなるわけである。これは「アメ」の部分で、この昇格のためには運営の透明化や診療ガバナンスなどに関して努力しなければいけない「ムチ」の部分もある。現在までにこのファンダメーション・トラストに昇格したトラストは37ある。しかしながら、将来的にはすべてのトラストがこのファンダメーション・トラストに移行される予定ではある。
もう一つは患者・消費者代表の参加であるが、このこと、とても重要なことなので、項を改めて紹介する予定である。端的に言えばトラストの担当する地域の住民代表が患者・消費者側の代表として運営陣に加わることが法律で決められた。これはトラストの運営に限らず、英国の保健医療サービスのほかの多くの部門でも同様に変わった重要な動きである。
もっとも考えれば、医療を受ける側の住民や患者の代表が運営に口出せない方がおかしいとは思うが・・・。
医療現場から見て、こういったトラストの変化は現実にはどのような影響を及ぼしているのだろうか。
以上のことに限らず、待機時間の短縮から各診療行為に至るまで、国の改革はすべてトラストを通して医療現場に到達されるため、当初はうっとうしがられていたが、全体としてトラストの動きが活性し、現場への関与も増えたため、現場そのものもどこかしら前向きに活性化しているように感じる。
診療行為の一つ一つまでに口出しされたかなわないという医師たちが数多くいるにはいるが、どちらかといえば、こういう流れに乗って、積極的に診療行為も変えていこうという動きの方が強い。
改革とか変化というのは実はその内容や理論だけが鍵になるのではなく、現場の雰囲気や態度、やる気を改善することも同じだけ重要である。現在のブレア政権の保健制度改革が一定の成果を得ているのは、こういうところに配慮があるからではないかと思う。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
以前、このコラムで国民保健サービス(NHS)は完全国営で始まったと書いた。ところが、時代が経るにしたがって、組織疲弊を起こし、効率よく質の高い医療を提供できない状態になっていった。
1990年サッチャー政権下で改革が行われ、「NHSトラスト」という組織が各地に作られた。これは完全に保健省の統制下にあった国営企業たる保健サービスを、地域ごとに独立させ、さまざまに効率を上げることが目的であった。独立と言っても人事権や予算の配分など、国の統制がそれでも強く残っている。
このトラストには大きく分けて、下の5つある。
1) 急性期トラスト(Acute Trust) (言ってみれば通常の総合病院の集合体)
2) 救急搬送トラスト(Ambulance Trust) (救急車などの搬送のみ扱う)
3) ケアトラスト(Care Trust) (新しくできた形態のトラストで、「治療」というよりケアに焦点をあてた保健サービスを提供する)
4) 精神保健トラスト(Mental Health Trust) (精神疾患関連は別枠にトラスト形成していることも多い。)
5) プライマリーケアトラスト(Primary Care Trust) (地域に根ざした一次医療を担っていく家庭医などを含めたトラスト)
一般的にはこの急性期トラストというものがトラストの代表格となる。(http://www.nhs.uk/England/AuthoritiesTrusts/Acute/Default.aspx)
実際にはこの急性期トラスト、地域の2-3の病院の集合体である。たとえば、筆者の勤める王立ロンドン病院は、聖バーソロミュー病院、ロンドン胸部病院と合わせて「バーツとロンドン・トラスト」と言う名前のトラストの運営である。日本で言えば一つの医療法人がいくつかの病院を経営しているような感じであろうか。
蛇足だが、この王立ロンドン病院、例のロンドン地下鉄・バステロで被害のあったオールドゲート駅に最も近い大きな総合病院だったので、かなりの被害者を収容した。
各トラストには運営委員会のようなものがあり、経営の専門家、医療部門の代表、看護部門の代表、財務の専門家などからなる。この委員会が国の指導を受けながら運営しているといったところである。この委員会のトップは通常医師ではない。
わざわざこう書くのは、洋の東西を問わず、病院や医療サービスの意志決定にまつわる人間関係の中に、医師集団とそれ以外の職種集団によく摩擦が見られるのである。一般の方には分かりにくいと思うが、病院で働く方にはよく理解していただけると思う。
現在行われているブレア政権のNHS改革では数多くの面でトラストに直接・間接に影響を及ぼしているが、私の目から見て大きな点が二つある。
一つにはファンダメーション・トラストということ。もう一つが患者・消費者代表参加である。
このファンダメーション・トラストというのは通常のトラストの独立性をさらに強く進めた形で新しい形のトラストである。どちらかというとサッチャー政権下の改革と同じ方向性(というよりはその延長)にあるので、労働党内でもいろいろ紛糾した上で決まった事項であった。上にかがけた急性期トラストのうち、条件を満たしたものはこのファンダメーション・トラストへの昇格が許される。
このファンダメーション・トラストに昇格すると、それまで政府の決定事項であった予算決定権や人事権など、独立して決定できる事項が増え、独立性が強くなるわけである。これは「アメ」の部分で、この昇格のためには運営の透明化や診療ガバナンスなどに関して努力しなければいけない「ムチ」の部分もある。現在までにこのファンダメーション・トラストに昇格したトラストは37ある。しかしながら、将来的にはすべてのトラストがこのファンダメーション・トラストに移行される予定ではある。
もう一つは患者・消費者代表の参加であるが、このこと、とても重要なことなので、項を改めて紹介する予定である。端的に言えばトラストの担当する地域の住民代表が患者・消費者側の代表として運営陣に加わることが法律で決められた。これはトラストの運営に限らず、英国の保健医療サービスのほかの多くの部門でも同様に変わった重要な動きである。
もっとも考えれば、医療を受ける側の住民や患者の代表が運営に口出せない方がおかしいとは思うが・・・。
医療現場から見て、こういったトラストの変化は現実にはどのような影響を及ぼしているのだろうか。
以上のことに限らず、待機時間の短縮から各診療行為に至るまで、国の改革はすべてトラストを通して医療現場に到達されるため、当初はうっとうしがられていたが、全体としてトラストの動きが活性し、現場への関与も増えたため、現場そのものもどこかしら前向きに活性化しているように感じる。
診療行為の一つ一つまでに口出しされたかなわないという医師たちが数多くいるにはいるが、どちらかといえば、こういう流れに乗って、積極的に診療行為も変えていこうという動きの方が強い。
改革とか変化というのは実はその内容や理論だけが鍵になるのではなく、現場の雰囲気や態度、やる気を改善することも同じだけ重要である。現在のブレア政権の保健制度改革が一定の成果を得ているのは、こういうところに配慮があるからではないかと思う。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
2008年1月22日火曜日
英国の周産期医療
ロンドンから西に向かうとオックスフォードのその向こうはコッズウォルツと呼ばれる、美しい村々の風景がある。そのコッズウォルツの先、ウェールズとの国境手前にブリストルという地方都市がある。ブリストルには王立小児病院があり、その地域の三次医療施設として、高度医療も担っている。しかし、その病院を舞台に事件は起きた。
この病院に新しく赴任した麻酔科医が目にしたのは、他の病院に比べて高い心臓手術後の死亡率であった。この麻酔科医は、告発文をしたため院長に直訴するも無視されたが、マスコミの知るところとなり、大きな事件として報道された。くだんの麻酔科医は現在、豪州で診療している。
その後、その病院で心臓手術後死亡した子供達の家族が集まって、医師と病院を相手に医療訴訟をおこした。医師の登録監査機関であるGeneral Medical Councilは院長と一人の心臓外科医を医師免許停止、もう一人の心臓外科医を一定期間心臓手術に携われないという処分を行った。
しかしながら遺族は、さらに詳しい調査を求めた。こういった背景により、英国政府は特別調査委員会を設置し、詳細な疫学研究と詳細な面接、カルテを含む90万ページに及ぶ記録の調査、そして7回に及ぶ公聴会が開かれ、原因の究明と将来への対策が練られた。疫学研究と面接、記録の調査からは、個人ではなくシステムに問題があるという点が強調され、公聴会を通して、1)制度や病院運営に患者・一般の参画、2)危険な診療と問題から学ぶ姿勢の制度化、3)国レベルでの標準診療を示す必要性、4)診療成績を透明化・外部からの評価の必要性、など198に及ぶ推奨が示された。
当時、すでに英国で診療ガバナンスという言葉が作られ、大きく取り上げられるようになっていた。診療ガバナンスというのは、1)科学的根拠に基づいた最適な診療を提示し、2)その最適な診療を適切な形で現場に導入し、3)診療成績を継続して監査することで、医療の質と安全の向上をシステムとして促していく考え方である。
ブリストルの事件や診療ガバナンスといったことを背景に、英国の医療制度改革を旗印にして、保守党政権が長らく続いた後に生まれたのが、ブレア労働党政権である。社会主義(第一の道)でもなく、自由主義(第二の道)でもない、「第三の道」を標語として、NICEという科学的根拠に基づく最適な診療を示す組織と、診療成績を監査するHealthcare Commissionという組織を設立し、国全体での診療ガバナンスの実現とともに、各病院や学会レベルでも同様に実現することが求められている。ここに英国の個人ではなく「システム」により物事を変えていこうとする、「population-base」の考え方が見える。
英国の医療制度は国民医療サービス(NHS:National Health Service)と呼ばれる。1948年、戦後に始まったこの制度は、「ゆりかごから墓場まで」を標語に、英国に住む人にはだれでも無料で医療サービスを提供するという社会主義的な制度である。戦前までは慈善病院、王立病院、公立病院、私立病院とばらばらだった状態から、病院、勤務している職員をすべて一旦国が買い上げ、すべて国立とするところから始まった。野放しであった、医療サービスを、公共サービス、すなわちインフラストラクチャーとして整備しようとしての再出発であった。財源の多くは国民の税金から賄われている。先進七カ国内の比較で、医療費の国内総生産(GDP)に占める比率では、英国は日本と並んでもっとも低い。
英国の実際の周産期医療現場はどうなっているのだろうか。
周産期に携わるスタッフは産婦人科医、助産師、産科麻酔科医、新生児科医など産科麻酔科医以外は日本と変わらない。医師はコンサルタント、レジストラー、SHOという役職に分かれており、コンサルタントは担当部署の管理者、レジストラーは実働部隊、SHOは研修医と言ったような役割である。産科側も新生児科側もすべての医師がシフト制で勤務していることが多く、コンサルタントは3-10人ぐらいで病棟・外来の管理者の役割を担い、残りの時間は、研究、教育、運営などに割かれている。コンサルタントは夜のオンコールはあっても当直は無い。レジストラーは同様に5-9人ぐらいで、ときおりフェローと呼ばれる半分研究・半分臨床といった医師もこのレベルのシフトに入ることも多い。SHOも同様である。外国人医師が多いのも特徴で、働いている医師の約30%は外国人である。外国人医師たちはSHOやレジストラーレベルでの一定期間の研修・勤務を終えると母国に帰ることも多く、そのため、英国人のコンサルタントに、外国人のレジストラー・SHOというのが日常光景である。
シフト制をとっているため、勤務時間は日本と大きく異なる。さらに、European Working Time Directiveと呼ばれる欧州共同体の標準勤務時間に合わせるための努力が現在なされており、2009年までに週48時間という目標が設定されており、政府と学会を挙げて、病院の再編、当直体制の見直し、医師職の増員など様々な工夫をしている。
「新生児科医」という定義はあいまいなので、小児科医で比較すると、英国では小児科医の担当する範囲は18歳までであり、なおかつプライマリーケアは専門の違う一般家庭医、救急科は専門の違う救急医が担当するため、単純な比較はできないが、英国の小児(19歳未満)人口10万人あたりの小児科医数29.2人は日本の小児(15歳未満)人口10万人あたりの小児科医数79.9人に比べてかなり少ない。この小児科医の数のうち、49%は女性で、その他の専門科のなかでは最も女性の比率が高い。また小児科医全体の42%はパートタイムで勤務しており、コンサルタントと呼ばれる管理職の女性30%以上、中間レベルの小児科女性医師の50%以上がパートタイムで勤務している。
ただし、英国では小児科医は二次医療以上の専門の病気を診る役割であり、日本のように小児に関して一次医療(プライマリーケア)から三次医療までを診ることは無い。このため英国では小児科医が開業してプライマリーケアを担当するという概念は無く、これは英国では一般家庭医の役割である。そこで、日本の小児科医数から開業医数を除き、病院勤務医だけで計算すると、日本小児科学会の概算では、日本の人口10万人あたりの病院小児科医数は36.6人となる。さらに、日本の小児科標榜病院数は3528病院と報告されているが、英国では全国で204病院しかない。このため1病院あたりの小児科勤務医数では、日本の1.8人に比べ、英国では20.8人と10倍以上である。図は、病院とは微妙に違うが、病院の地域運営母体ごとの小児科医数を日英で比較している。英国で一病院あたりの小児科医数が多いのは、集中化で効率を高めているだけではなく、上記のように、二次医療の高度医療を担当する小児科医はサブ・スペシャリティの充実が前提になっており、一つの病院で小児循環器・新生児・腎臓・小児神経・感染症など基本的なスペシャリティを網羅するには一定の人数が必要、という認識があるからである。
英語圏の4カ国、米国、英国、オーストラリア、カナダの周産期医療、特に新生児医療の効率を比較する研究が行われた。(Pediatrics. 2002;109:1036-43.)この4カ国内では、上記の医師の役割分担や、背景にある人々(移民が多い)、NICUベッドの定義などが比較的似ているため、制度・システムの比較が可能となる。逆にこれらの理由で日本の医療とは単純には比較できない。
この研究では、まず、出生一万あたりのNICUベッド数では、米国が最も多く3.3で、オーストラリア、カナダがともに2.6という数字に比較して、英国では0.67と極端に低い。また出生一万あたりの新生児科医数は米国が最も多く6.1に対し、英国2.7、豪州3.7、カナダ3.3となっている。ちなみに新生児科医一人あたりが診るNICUベッド数は、カナダ0.78、オーストラリア0.70、米国0.54、英国0.25となる。
以上のような医療人材・設備資源で、どのような成績をもたらしているかというと、1000g未満の超低出生体重児の新生児死亡率で、米国を1とすると、カナダは1.12、英国は0.99、豪州は0.84となる。また1000グラム以上2500グラム未満の低出生体重児の新生児死亡率で米国を1とすると、カナダは1.26、豪州は0.97、英国は0.95と英国がもっとも低い。
単純比較で、数字には限界はあるが、少なくとも英国の新生児医療は米国の新生児医療に比べて少ない資源で、効果を上げている、すなわち効率が高いという計算になる。
NICU内での医療は必ずしも日本ほどきめ細かくは無く、レベルもそれほど高いとはいえなくても、効果を上げているのは、「全体を見る」という見方から、優先順位を起き方や全体の統制により無駄を省いているところに鍵がある。そのための臨床疫学研究も非常に盛んである。
さらに現在、英国では、最初の話にある診療ガバナンスに基づいた、医療の質・安全・標準化をさらに推し進めている。筆者は属しているNICEという組織で正常出産の最適なあり方を示すガイドラインを作成しているが、こういったガイドラインを目標とし、各学会や病院レベル、またHealthcare Commission といったような組織によりその成果を監視することにより、さらに標準化、またシステムとしての質・安全の向上に取り組んでいる。
英国は疫学・公衆衛生学の母国であり、上記のように、木もそうであるが、「森を見る」というところに長けた国である。こういった「全体を見る」あるいは「population-base」という考え方は、これから医療資源の限界を迎える各先進国にも、もともと医療資源の限界と戦っている途上国でも非常に重要考え方になる。さらに、この背景に、成熟した個人主義に基づいた民主主義という考え方があることを指摘しておきたい。個人の自由は責任を伴い、それによって全体も支える、という欧州の長い民主主義の伝統が凝縮されてきた「全体を見る」見方である。この世に生まれてきた人すべては出産を経験するが、すべての人が老人になるわけではない。また、胎内環境や、出生直後の環境が、その人のその先の人生に精神面であれ、肉体面であれ、大きく影響していることが最近わかりつつあることは周知の通りである。すなわち、周産期医療というのは、人類の将来にとってとても大切な、すべての人が通る道を担う重要な事柄を扱っている。そういう意味からも、それぞれの役割にいる専門家すべてがこのように「全体を見る」考え方を持つ必要がある。
(既出・GE Today・一部改編・禁無断転載)
この病院に新しく赴任した麻酔科医が目にしたのは、他の病院に比べて高い心臓手術後の死亡率であった。この麻酔科医は、告発文をしたため院長に直訴するも無視されたが、マスコミの知るところとなり、大きな事件として報道された。くだんの麻酔科医は現在、豪州で診療している。
その後、その病院で心臓手術後死亡した子供達の家族が集まって、医師と病院を相手に医療訴訟をおこした。医師の登録監査機関であるGeneral Medical Councilは院長と一人の心臓外科医を医師免許停止、もう一人の心臓外科医を一定期間心臓手術に携われないという処分を行った。
しかしながら遺族は、さらに詳しい調査を求めた。こういった背景により、英国政府は特別調査委員会を設置し、詳細な疫学研究と詳細な面接、カルテを含む90万ページに及ぶ記録の調査、そして7回に及ぶ公聴会が開かれ、原因の究明と将来への対策が練られた。疫学研究と面接、記録の調査からは、個人ではなくシステムに問題があるという点が強調され、公聴会を通して、1)制度や病院運営に患者・一般の参画、2)危険な診療と問題から学ぶ姿勢の制度化、3)国レベルでの標準診療を示す必要性、4)診療成績を透明化・外部からの評価の必要性、など198に及ぶ推奨が示された。
当時、すでに英国で診療ガバナンスという言葉が作られ、大きく取り上げられるようになっていた。診療ガバナンスというのは、1)科学的根拠に基づいた最適な診療を提示し、2)その最適な診療を適切な形で現場に導入し、3)診療成績を継続して監査することで、医療の質と安全の向上をシステムとして促していく考え方である。
ブリストルの事件や診療ガバナンスといったことを背景に、英国の医療制度改革を旗印にして、保守党政権が長らく続いた後に生まれたのが、ブレア労働党政権である。社会主義(第一の道)でもなく、自由主義(第二の道)でもない、「第三の道」を標語として、NICEという科学的根拠に基づく最適な診療を示す組織と、診療成績を監査するHealthcare Commissionという組織を設立し、国全体での診療ガバナンスの実現とともに、各病院や学会レベルでも同様に実現することが求められている。ここに英国の個人ではなく「システム」により物事を変えていこうとする、「population-base」の考え方が見える。
英国の医療制度は国民医療サービス(NHS:National Health Service)と呼ばれる。1948年、戦後に始まったこの制度は、「ゆりかごから墓場まで」を標語に、英国に住む人にはだれでも無料で医療サービスを提供するという社会主義的な制度である。戦前までは慈善病院、王立病院、公立病院、私立病院とばらばらだった状態から、病院、勤務している職員をすべて一旦国が買い上げ、すべて国立とするところから始まった。野放しであった、医療サービスを、公共サービス、すなわちインフラストラクチャーとして整備しようとしての再出発であった。財源の多くは国民の税金から賄われている。先進七カ国内の比較で、医療費の国内総生産(GDP)に占める比率では、英国は日本と並んでもっとも低い。
英国の実際の周産期医療現場はどうなっているのだろうか。
周産期に携わるスタッフは産婦人科医、助産師、産科麻酔科医、新生児科医など産科麻酔科医以外は日本と変わらない。医師はコンサルタント、レジストラー、SHOという役職に分かれており、コンサルタントは担当部署の管理者、レジストラーは実働部隊、SHOは研修医と言ったような役割である。産科側も新生児科側もすべての医師がシフト制で勤務していることが多く、コンサルタントは3-10人ぐらいで病棟・外来の管理者の役割を担い、残りの時間は、研究、教育、運営などに割かれている。コンサルタントは夜のオンコールはあっても当直は無い。レジストラーは同様に5-9人ぐらいで、ときおりフェローと呼ばれる半分研究・半分臨床といった医師もこのレベルのシフトに入ることも多い。SHOも同様である。外国人医師が多いのも特徴で、働いている医師の約30%は外国人である。外国人医師たちはSHOやレジストラーレベルでの一定期間の研修・勤務を終えると母国に帰ることも多く、そのため、英国人のコンサルタントに、外国人のレジストラー・SHOというのが日常光景である。
シフト制をとっているため、勤務時間は日本と大きく異なる。さらに、European Working Time Directiveと呼ばれる欧州共同体の標準勤務時間に合わせるための努力が現在なされており、2009年までに週48時間という目標が設定されており、政府と学会を挙げて、病院の再編、当直体制の見直し、医師職の増員など様々な工夫をしている。
「新生児科医」という定義はあいまいなので、小児科医で比較すると、英国では小児科医の担当する範囲は18歳までであり、なおかつプライマリーケアは専門の違う一般家庭医、救急科は専門の違う救急医が担当するため、単純な比較はできないが、英国の小児(19歳未満)人口10万人あたりの小児科医数29.2人は日本の小児(15歳未満)人口10万人あたりの小児科医数79.9人に比べてかなり少ない。この小児科医の数のうち、49%は女性で、その他の専門科のなかでは最も女性の比率が高い。また小児科医全体の42%はパートタイムで勤務しており、コンサルタントと呼ばれる管理職の女性30%以上、中間レベルの小児科女性医師の50%以上がパートタイムで勤務している。
ただし、英国では小児科医は二次医療以上の専門の病気を診る役割であり、日本のように小児に関して一次医療(プライマリーケア)から三次医療までを診ることは無い。このため英国では小児科医が開業してプライマリーケアを担当するという概念は無く、これは英国では一般家庭医の役割である。そこで、日本の小児科医数から開業医数を除き、病院勤務医だけで計算すると、日本小児科学会の概算では、日本の人口10万人あたりの病院小児科医数は36.6人となる。さらに、日本の小児科標榜病院数は3528病院と報告されているが、英国では全国で204病院しかない。このため1病院あたりの小児科勤務医数では、日本の1.8人に比べ、英国では20.8人と10倍以上である。図は、病院とは微妙に違うが、病院の地域運営母体ごとの小児科医数を日英で比較している。英国で一病院あたりの小児科医数が多いのは、集中化で効率を高めているだけではなく、上記のように、二次医療の高度医療を担当する小児科医はサブ・スペシャリティの充実が前提になっており、一つの病院で小児循環器・新生児・腎臓・小児神経・感染症など基本的なスペシャリティを網羅するには一定の人数が必要、という認識があるからである。
英語圏の4カ国、米国、英国、オーストラリア、カナダの周産期医療、特に新生児医療の効率を比較する研究が行われた。(Pediatrics. 2002;109:1036-43.)この4カ国内では、上記の医師の役割分担や、背景にある人々(移民が多い)、NICUベッドの定義などが比較的似ているため、制度・システムの比較が可能となる。逆にこれらの理由で日本の医療とは単純には比較できない。
この研究では、まず、出生一万あたりのNICUベッド数では、米国が最も多く3.3で、オーストラリア、カナダがともに2.6という数字に比較して、英国では0.67と極端に低い。また出生一万あたりの新生児科医数は米国が最も多く6.1に対し、英国2.7、豪州3.7、カナダ3.3となっている。ちなみに新生児科医一人あたりが診るNICUベッド数は、カナダ0.78、オーストラリア0.70、米国0.54、英国0.25となる。
以上のような医療人材・設備資源で、どのような成績をもたらしているかというと、1000g未満の超低出生体重児の新生児死亡率で、米国を1とすると、カナダは1.12、英国は0.99、豪州は0.84となる。また1000グラム以上2500グラム未満の低出生体重児の新生児死亡率で米国を1とすると、カナダは1.26、豪州は0.97、英国は0.95と英国がもっとも低い。
単純比較で、数字には限界はあるが、少なくとも英国の新生児医療は米国の新生児医療に比べて少ない資源で、効果を上げている、すなわち効率が高いという計算になる。
NICU内での医療は必ずしも日本ほどきめ細かくは無く、レベルもそれほど高いとはいえなくても、効果を上げているのは、「全体を見る」という見方から、優先順位を起き方や全体の統制により無駄を省いているところに鍵がある。そのための臨床疫学研究も非常に盛んである。
さらに現在、英国では、最初の話にある診療ガバナンスに基づいた、医療の質・安全・標準化をさらに推し進めている。筆者は属しているNICEという組織で正常出産の最適なあり方を示すガイドラインを作成しているが、こういったガイドラインを目標とし、各学会や病院レベル、またHealthcare Commission といったような組織によりその成果を監視することにより、さらに標準化、またシステムとしての質・安全の向上に取り組んでいる。
英国は疫学・公衆衛生学の母国であり、上記のように、木もそうであるが、「森を見る」というところに長けた国である。こういった「全体を見る」あるいは「population-base」という考え方は、これから医療資源の限界を迎える各先進国にも、もともと医療資源の限界と戦っている途上国でも非常に重要考え方になる。さらに、この背景に、成熟した個人主義に基づいた民主主義という考え方があることを指摘しておきたい。個人の自由は責任を伴い、それによって全体も支える、という欧州の長い民主主義の伝統が凝縮されてきた「全体を見る」見方である。この世に生まれてきた人すべては出産を経験するが、すべての人が老人になるわけではない。また、胎内環境や、出生直後の環境が、その人のその先の人生に精神面であれ、肉体面であれ、大きく影響していることが最近わかりつつあることは周知の通りである。すなわち、周産期医療というのは、人類の将来にとってとても大切な、すべての人が通る道を担う重要な事柄を扱っている。そういう意味からも、それぞれの役割にいる専門家すべてがこのように「全体を見る」考え方を持つ必要がある。
(既出・GE Today・一部改編・禁無断転載)
2008年1月20日日曜日
英国の家庭医
今回は英国の家庭医(general practitioner;GP)についてお話したい。
英国の家庭医は日本での開業医に近い役割を担ってはいるものの、実際には同じとはいえない。英国の医療制度において家庭医の担う役割は大きい。通常、一般市民は家庭医の紹介無しには病院を受診できない。「プライマリケアを担うのは開業医(家庭医)である」ということが、日本よりもはっきりしているように思う。逆にいうと、日本はプライマリケアを中小の病院と開業医が地域に応じてすみ分けをしているといったところだろうか。
英国へ移住したら、まず近くの家庭医に登録する。実はここでつまずくことも多い。近くの家庭医に登録しようと思っても断られることが結構あるのである。自分の担当患者の数が多すぎる、というような理由である。担当患者の数に応じて使える予算も変わってくると言っても、そこまでして患者を増やそうと考えるGPはいない。断られたら、少し遠くのところでまた探すことになる
私の家庭医は南アジア系である。ちなみに英国では家庭医の診療所をサージェリー(surgery)という。外科という意味ではない。
受診するときの最も大きな違いは、実は予約ではないかと思う。最近は日本の開業医でも病院でも、予約制にすることで待ち時間を減らすという努力をしていると思うが、英国では原則的に予約をしないと診てもらえない。
実はこれ、家庭医に限らず、何でもそうである。レストランでも人と会う約束でもアポなしはかなり嫌われることがある。予約に限らず、この国は自分からアプローチしていかないと何も始まらない。血液検査の結果を知りたいとと思っても、当然病院や診療所からの連絡は期待してはいけない。以前にも書いたがなかなか思うように予約が取れないということもある。
では、実際の家庭医の質はどうだろうか。確かに地域に根ざした家庭医の医師に日常の健康・医療に関して継続的に診てもらうというのはいいのだが、現実的には、かなり医師によって当たり外れがある。
ちゃんとした研修を受けようが、受けまいが、やはり医師としての技量や人間性は千差万別である。これは日本も同じだと思う。セクハラまがいで問題になった医師から、最近は担当患者を殺害した疑いで裁判にかかっている有名な家庭医もいるのでニュースで知っている方もおられるかもしれない。
一方で、大学の教授を兼ねている家庭医もいる。オックスフォード大にあるEBM(科学的根拠に基づく医療)センターの有名な教授は家庭医で、今でも週何回かは外来をこなしている。もちろん大学の教授だからといって医師としての技量が高いとは限らないが、彼に限らず、医療の質を上げていくために日々努力している家庭医は多い。
全般的に見ると、英国の家庭医は当たり外れはあるものの、医師としての技量や知識に関しては一定の水準は保っているように思う。あくまで一般的な話である。人間性や態度に関しては文化背景なども違うので一概には言えないが…。
では英国では医学校を卒業した医学生が、どのようにして家庭医になっていくのだろうか。
日本では内科や外科などの研修を受けた医師が開業していくことが多いと聞くが、英国ではインターンを終えた医師が直接「家庭医」の研修を受ける。すなわち「内科」や「外科」という専門を専攻するのと同様、「家庭医」という専門を専攻するわけである。
この家庭医の研修、英国では最低3年間だが、中身の条件が厳しく、3年で皆が修了するという類のものではない。通常、1年から1年半の診療所での研修と、2年から2年半の病院での関連の強い領域(例えば内科、老年科、小児科、精神科、救急科など)での研修というところである。
このような研修の間に、専門医(家庭医)試験に通らなければいけない。試験は2種類の筆記試験、診察技術試験、面接である。診察技術試験は通常、自分が患者を診察する風景をビデオで撮影されたものを試験官が採点する。
試験と研修を無事終えると、王立家庭医協会(Royal College of General Practitioners;RCGP)という学会への入会が認められる。ところがこれで終わりではない。家庭医としてしばらく働いた後、さらに実際に自分の受け持った地域に関しての試験があり、これに通ってようやく王立家庭医協会のフェローとして認められるわけである。
この地域に関しての試験は、自分が診察したり担当した患者さんたちのデータをまとめた結果について問われたり、地域に根ざしてどのように積極的な健康増進に関連した働きかけをしたか、というような公衆衛生的なことから、ひとり一人の患者さんへの対応のような、臨床的なことまで広く含まれる。ちなみにフェローとして認められるということは学位を持つことと同様の意味で、FRCGPという称号が付く。つまり、家庭医の専門医ということである。
周りの医師仲間を見ていると、家庭医という方向を選ぶのは1)地域に根ざした医療という医療の原点に戻りたいという情熱を持った人か、2)内科や外科は専門医になるのも大変だし、そこそこの給料をもらって生活を楽しみたいという人が多い。
専門医制度がしっかりとしてきた背景には、実は外国人医師の流入がある。英国では資格さえあれば国籍はあまり関係ない(はず)なので、その資格の部分が重要となってくるわけである。日本の状況とはここが大きな違いである。日本も海外からの医師を数多く受け入れるようになるのだろうか。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
英国の家庭医は日本での開業医に近い役割を担ってはいるものの、実際には同じとはいえない。英国の医療制度において家庭医の担う役割は大きい。通常、一般市民は家庭医の紹介無しには病院を受診できない。「プライマリケアを担うのは開業医(家庭医)である」ということが、日本よりもはっきりしているように思う。逆にいうと、日本はプライマリケアを中小の病院と開業医が地域に応じてすみ分けをしているといったところだろうか。
英国へ移住したら、まず近くの家庭医に登録する。実はここでつまずくことも多い。近くの家庭医に登録しようと思っても断られることが結構あるのである。自分の担当患者の数が多すぎる、というような理由である。担当患者の数に応じて使える予算も変わってくると言っても、そこまでして患者を増やそうと考えるGPはいない。断られたら、少し遠くのところでまた探すことになる
私の家庭医は南アジア系である。ちなみに英国では家庭医の診療所をサージェリー(surgery)という。外科という意味ではない。
受診するときの最も大きな違いは、実は予約ではないかと思う。最近は日本の開業医でも病院でも、予約制にすることで待ち時間を減らすという努力をしていると思うが、英国では原則的に予約をしないと診てもらえない。
実はこれ、家庭医に限らず、何でもそうである。レストランでも人と会う約束でもアポなしはかなり嫌われることがある。予約に限らず、この国は自分からアプローチしていかないと何も始まらない。血液検査の結果を知りたいとと思っても、当然病院や診療所からの連絡は期待してはいけない。以前にも書いたがなかなか思うように予約が取れないということもある。
では、実際の家庭医の質はどうだろうか。確かに地域に根ざした家庭医の医師に日常の健康・医療に関して継続的に診てもらうというのはいいのだが、現実的には、かなり医師によって当たり外れがある。
ちゃんとした研修を受けようが、受けまいが、やはり医師としての技量や人間性は千差万別である。これは日本も同じだと思う。セクハラまがいで問題になった医師から、最近は担当患者を殺害した疑いで裁判にかかっている有名な家庭医もいるのでニュースで知っている方もおられるかもしれない。
一方で、大学の教授を兼ねている家庭医もいる。オックスフォード大にあるEBM(科学的根拠に基づく医療)センターの有名な教授は家庭医で、今でも週何回かは外来をこなしている。もちろん大学の教授だからといって医師としての技量が高いとは限らないが、彼に限らず、医療の質を上げていくために日々努力している家庭医は多い。
全般的に見ると、英国の家庭医は当たり外れはあるものの、医師としての技量や知識に関しては一定の水準は保っているように思う。あくまで一般的な話である。人間性や態度に関しては文化背景なども違うので一概には言えないが…。
では英国では医学校を卒業した医学生が、どのようにして家庭医になっていくのだろうか。
日本では内科や外科などの研修を受けた医師が開業していくことが多いと聞くが、英国ではインターンを終えた医師が直接「家庭医」の研修を受ける。すなわち「内科」や「外科」という専門を専攻するのと同様、「家庭医」という専門を専攻するわけである。
この家庭医の研修、英国では最低3年間だが、中身の条件が厳しく、3年で皆が修了するという類のものではない。通常、1年から1年半の診療所での研修と、2年から2年半の病院での関連の強い領域(例えば内科、老年科、小児科、精神科、救急科など)での研修というところである。
このような研修の間に、専門医(家庭医)試験に通らなければいけない。試験は2種類の筆記試験、診察技術試験、面接である。診察技術試験は通常、自分が患者を診察する風景をビデオで撮影されたものを試験官が採点する。
試験と研修を無事終えると、王立家庭医協会(Royal College of General Practitioners;RCGP)という学会への入会が認められる。ところがこれで終わりではない。家庭医としてしばらく働いた後、さらに実際に自分の受け持った地域に関しての試験があり、これに通ってようやく王立家庭医協会のフェローとして認められるわけである。
この地域に関しての試験は、自分が診察したり担当した患者さんたちのデータをまとめた結果について問われたり、地域に根ざしてどのように積極的な健康増進に関連した働きかけをしたか、というような公衆衛生的なことから、ひとり一人の患者さんへの対応のような、臨床的なことまで広く含まれる。ちなみにフェローとして認められるということは学位を持つことと同様の意味で、FRCGPという称号が付く。つまり、家庭医の専門医ということである。
周りの医師仲間を見ていると、家庭医という方向を選ぶのは1)地域に根ざした医療という医療の原点に戻りたいという情熱を持った人か、2)内科や外科は専門医になるのも大変だし、そこそこの給料をもらって生活を楽しみたいという人が多い。
専門医制度がしっかりとしてきた背景には、実は外国人医師の流入がある。英国では資格さえあれば国籍はあまり関係ない(はず)なので、その資格の部分が重要となってくるわけである。日本の状況とはここが大きな違いである。日本も海外からの医師を数多く受け入れるようになるのだろうか。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
2008年1月18日金曜日
医師不足
救急患者さんのたらいまわし、産科医・小児科医をはじめ病院勤務医の不足、医療過誤や医療訴訟など、現在の日本医療は危機に直面している。最近の新聞報道を見ていても、医療従事者として病院の中から見ていても、これは現実の問題であり、対症療法ではなく根本的な治療法を考えない限り、解決できない。
上記の問題はすべて共通している問題が一つある。それは医師の相対的不足である。「相対的」と書いたのには理由がある。私はオーストラリア・英国の病院で7年間小児科医として働いてきた。日本の病院には決定的な問題がある。それは一つの病院で勤務する医師の数が絶対的に少ないこと、言い換えれば病院の平均的規模が明らかに小さいのである。
たとえば日本では小児科を標榜する病院は全国で約4000ある。この病院一つあたりで働く小児科医数は平均で1-2名である。英国の人口は日本の約半分であるが、小児科の病院がある数は全国で200である。英国の病院一つあたりで働く小児科医数は平均で約20名である。
病院規模が小さいことは悪いことだろうか?
三点考えることがある、一点目は医療の質と安全、二点目が医療資源と効率、三点目が医療従事者の勤務状況である。
病院規模が大きければ大きいほど、治療成績が良いことは容易に想像できる。もちろん個々の医療従事者の技術などに左右される要因は大きいが、ほかの条件がみな同じであれば、病院規模が大きいことは病院としての経験症例数も多くなるし、設備なども最新にものをそろえやすい。実際に、さまざまな調査結果でも概ねこういう傾向がある。ひとつの標榜科あたりの医師の数が増えるのもよいことである。たとえば小児科の中の専門領域というのは20以上ある。たとえば小児の心臓の専門、小児の救急の専門、小児の腎臓の専門など、昨今はこのような専門をそれぞれの専門家が追及して分業制にしていかないと専門知識は間に合わない時代になっている。病院の規模が大きいことでさまざまな病気に幅広く対応できる。
医療資源が効率良く配置できることも容易に想像できる。MRIなどの大規模で高価な医療機器があるが、とうぜん病院規模が大きいことで、効率よくこういう資源を活用でき、これは常に新しい機器を購入していくことも含んでいる。この「資源」は設備だけではなく、医師や看護師などの医療従事者も含めた話である。
病院が小さければ当然医師や看護師が数人減少しただけで大打撃である。女性の医師が出産・育児休暇をとるとなっても大変である。小児科医が二人しかいなければ、夜間の小児の救急患者さんはほかの専門科の医師に支援してもらうか、二日に一日は夜を担当することになる。
こう考えると、単純に「病院は規模が大きければ大きいほどよい」ということになってしまう。しかしながらことはそう単純ではない。
日本全体の医療従事者の数や医療費は限られるから、一つ一つの病院規模を大きくするとなると、病院の数が減ることになる。病院の数が減ると、患者さんが病院に行くまでの距離が相対的に長くなる。これには二つの問題がある。
一つが、普段のかかりつけ医にかかる際に通院時間が延びることである。患者さんというのはもちろん病気や病気の疑いがある方がほとんどなわけで、ほんのちょっと通院時間が延びるだけで大変である。これは大問題である。
もう一つが救急搬送の時間が延びる可能性があることである。かかりつけ医にかかる時間が延びるのは「不便さ」の問題だが、救急搬送の時間が延びるのは命にかかわる問題である。私の行った研究でも新生児の搬送時間が一時間をこえる場合には明らかに死亡率が上がっている。
こういう状況の中、昨今の搬送たらい回しや、勤務医不足の問題を解決しなければいけない。そこで考えられる解決策は非常に限られている。
医師をはじめ医療従事者が不足しているから増やせ、という専門家もいるが、それも一考である。ただし、医学部の入学人数を増やしても、医学部に入学するものが医師として自立するには10年はかかる。問題はそれほど悠長に構えていられない。外国人医師を輸入してはという議論があるが、これもよい方向性だと思うが、日本人の中にある外国人への差別意識と、法的な根拠を作っていくことを考えると時間がかかる解決策である。そもそも上記の日本と英国の小児科医数比較を見ても、人口あたりでの小児科医数は英国も日本もさほど変わらないことは注目できる。ちなみにこういうと「医療崩壊している英国に習う必要はない」という向きもあるが、実際に英国で小児科医として働いてきた私の目から見ると英国医療の問題点はまったく別の次元の問題である。
自分たちの住んでいる地域をよく観察してほしい。病院の数が多すぎる地域はないだろうか。実際、大都市でも地方としても都市部ではすぐ隣の総合病院が並んでいたりと病院が過剰になっている。過疎の地域では逆に病院が閉鎖になったりと上記の医療崩壊の影響をじかに受けている。
こうなると解決策は明らかである。交通事情・地理事情を考慮して、病院の数を整理し、統廃合を行い、過疎の地域では逆に手厚く資源を増やす、という手法が必要である。実施には病院の運営母体が違うためこれが難しい。
日本小児科学会では、「小児医療供給体制改革」と銘打って、病院小児科の役割分担を進めている。これは病院小児科を「地域小児科センター病院」と「外来型病院小児科」にわける。外来型病院小児科では、小児科の入院をやめ、外来のみの診療を続ける。このことにより「かかりつけ」がこのような病院であっても、そのままかわらず受診できるわけである。入院機能がないことで必要な医師の数は大幅に減り、そのあまった小児科医師を地域小児科センター病院へ異動していただく。地域小児科センター病院では地域の小児科の入院例をすべて受け入れ、全般的に子供たちが安心して入院できる環境整備、たとえば病院保育士や子供に配慮した病床・設備に投資できるようにするわけである。もちろんこの「地域小児科センター病院」の認定には地理的な要因を考慮することが大事で、日本中に住んでいるすべての子供たちが一時間以内に受診できる位置に配置することになる。実際に、日本小児科学会ではこのシュミレーションを行っており、現実的な解決策として認められている。ただし、完全に現実化するためには、「認定された地域小児科センター病院」に金銭的なインセンティヴをつけるという最後の行政にひと押しが必要な状態である。このことにより、上記の医療供給体制の改革が自然に進むことができる。
この改革により、患者さん側に大きな変化はあるだろうか。普段のかかりつけ医は変わらず存続するため、変わらないが、入院を必要とする場合には以前は近くの病院でできていたのが、ちょっと遠く(最大一時間ぐらいの距離)に入院する必要がある。ただし、この入院する病院は以前入院していた病院よりも医療レベルは上がっているはずで、なおかつ子供の療養環境や家族へのサポートは充実しているはずなので、普段の風邪なら近くの便利なお医者さんで、入院するぐらい重い病気ならちゃんとした病院で診てもらいたい、というのが通常ではないかと思う。
医療従事者にとってはどうだろうか。「外来型病院小児科」に勤務する医療従事者にとっては入院診療がなくなるため、負担が軽くなり、医師はより「かかりつけの小児科医」としてその専門に特化した手厚い診療を行うことができる。「地域小児科センター病院」に勤務する医療従事者は、病院が巨大化するため、業務が増えても人員が増えるため効率よく対処できる状態を作ることができる。
では救急搬送をする側や開業医にとってはどうだろうか。以前なら、近くの病院から患者の受け入れ先を当たっていたが、この改革により、紹介先の病院がすこし遠くなってしまうかもしれない。しかしながら、紹介先の「地域小児科センター」は地域のセンタであって患者の入院を断ることは減らせられるはずである。近いところから断られた末に遠いところに見つけるよりも、確実に受け入れてくれる病院があるというのは結局は搬送時間を短くするはずである。また心肺停止状態など危急の状態では、一番近くの病院で救急処置をしたのち、入院はセンター病院に言うということになる。以前なら救急処置をすると入院まで受け入れざるを得なかったが、センター病院で受け入れてくれるという安心感があれば、「救急処置をするだけなら」と一番近くの病院でも引き受けてくれる可能性は高い。
このように、昨今の医療崩壊を食い止めるには、全体の医療システムを俯瞰的に見て、それぞれのメリットとデメリットを考慮した上で、「役割分担」をし、財政的な支援をこのような目に見えて改善する方向で効率よくおこなう必要がある。
(未出・禁無断転載)
上記の問題はすべて共通している問題が一つある。それは医師の相対的不足である。「相対的」と書いたのには理由がある。私はオーストラリア・英国の病院で7年間小児科医として働いてきた。日本の病院には決定的な問題がある。それは一つの病院で勤務する医師の数が絶対的に少ないこと、言い換えれば病院の平均的規模が明らかに小さいのである。
たとえば日本では小児科を標榜する病院は全国で約4000ある。この病院一つあたりで働く小児科医数は平均で1-2名である。英国の人口は日本の約半分であるが、小児科の病院がある数は全国で200である。英国の病院一つあたりで働く小児科医数は平均で約20名である。
病院規模が小さいことは悪いことだろうか?
三点考えることがある、一点目は医療の質と安全、二点目が医療資源と効率、三点目が医療従事者の勤務状況である。
病院規模が大きければ大きいほど、治療成績が良いことは容易に想像できる。もちろん個々の医療従事者の技術などに左右される要因は大きいが、ほかの条件がみな同じであれば、病院規模が大きいことは病院としての経験症例数も多くなるし、設備なども最新にものをそろえやすい。実際に、さまざまな調査結果でも概ねこういう傾向がある。ひとつの標榜科あたりの医師の数が増えるのもよいことである。たとえば小児科の中の専門領域というのは20以上ある。たとえば小児の心臓の専門、小児の救急の専門、小児の腎臓の専門など、昨今はこのような専門をそれぞれの専門家が追及して分業制にしていかないと専門知識は間に合わない時代になっている。病院の規模が大きいことでさまざまな病気に幅広く対応できる。
医療資源が効率良く配置できることも容易に想像できる。MRIなどの大規模で高価な医療機器があるが、とうぜん病院規模が大きいことで、効率よくこういう資源を活用でき、これは常に新しい機器を購入していくことも含んでいる。この「資源」は設備だけではなく、医師や看護師などの医療従事者も含めた話である。
病院が小さければ当然医師や看護師が数人減少しただけで大打撃である。女性の医師が出産・育児休暇をとるとなっても大変である。小児科医が二人しかいなければ、夜間の小児の救急患者さんはほかの専門科の医師に支援してもらうか、二日に一日は夜を担当することになる。
こう考えると、単純に「病院は規模が大きければ大きいほどよい」ということになってしまう。しかしながらことはそう単純ではない。
日本全体の医療従事者の数や医療費は限られるから、一つ一つの病院規模を大きくするとなると、病院の数が減ることになる。病院の数が減ると、患者さんが病院に行くまでの距離が相対的に長くなる。これには二つの問題がある。
一つが、普段のかかりつけ医にかかる際に通院時間が延びることである。患者さんというのはもちろん病気や病気の疑いがある方がほとんどなわけで、ほんのちょっと通院時間が延びるだけで大変である。これは大問題である。
もう一つが救急搬送の時間が延びる可能性があることである。かかりつけ医にかかる時間が延びるのは「不便さ」の問題だが、救急搬送の時間が延びるのは命にかかわる問題である。私の行った研究でも新生児の搬送時間が一時間をこえる場合には明らかに死亡率が上がっている。
こういう状況の中、昨今の搬送たらい回しや、勤務医不足の問題を解決しなければいけない。そこで考えられる解決策は非常に限られている。
医師をはじめ医療従事者が不足しているから増やせ、という専門家もいるが、それも一考である。ただし、医学部の入学人数を増やしても、医学部に入学するものが医師として自立するには10年はかかる。問題はそれほど悠長に構えていられない。外国人医師を輸入してはという議論があるが、これもよい方向性だと思うが、日本人の中にある外国人への差別意識と、法的な根拠を作っていくことを考えると時間がかかる解決策である。そもそも上記の日本と英国の小児科医数比較を見ても、人口あたりでの小児科医数は英国も日本もさほど変わらないことは注目できる。ちなみにこういうと「医療崩壊している英国に習う必要はない」という向きもあるが、実際に英国で小児科医として働いてきた私の目から見ると英国医療の問題点はまったく別の次元の問題である。
自分たちの住んでいる地域をよく観察してほしい。病院の数が多すぎる地域はないだろうか。実際、大都市でも地方としても都市部ではすぐ隣の総合病院が並んでいたりと病院が過剰になっている。過疎の地域では逆に病院が閉鎖になったりと上記の医療崩壊の影響をじかに受けている。
こうなると解決策は明らかである。交通事情・地理事情を考慮して、病院の数を整理し、統廃合を行い、過疎の地域では逆に手厚く資源を増やす、という手法が必要である。実施には病院の運営母体が違うためこれが難しい。
日本小児科学会では、「小児医療供給体制改革」と銘打って、病院小児科の役割分担を進めている。これは病院小児科を「地域小児科センター病院」と「外来型病院小児科」にわける。外来型病院小児科では、小児科の入院をやめ、外来のみの診療を続ける。このことにより「かかりつけ」がこのような病院であっても、そのままかわらず受診できるわけである。入院機能がないことで必要な医師の数は大幅に減り、そのあまった小児科医師を地域小児科センター病院へ異動していただく。地域小児科センター病院では地域の小児科の入院例をすべて受け入れ、全般的に子供たちが安心して入院できる環境整備、たとえば病院保育士や子供に配慮した病床・設備に投資できるようにするわけである。もちろんこの「地域小児科センター病院」の認定には地理的な要因を考慮することが大事で、日本中に住んでいるすべての子供たちが一時間以内に受診できる位置に配置することになる。実際に、日本小児科学会ではこのシュミレーションを行っており、現実的な解決策として認められている。ただし、完全に現実化するためには、「認定された地域小児科センター病院」に金銭的なインセンティヴをつけるという最後の行政にひと押しが必要な状態である。このことにより、上記の医療供給体制の改革が自然に進むことができる。
この改革により、患者さん側に大きな変化はあるだろうか。普段のかかりつけ医は変わらず存続するため、変わらないが、入院を必要とする場合には以前は近くの病院でできていたのが、ちょっと遠く(最大一時間ぐらいの距離)に入院する必要がある。ただし、この入院する病院は以前入院していた病院よりも医療レベルは上がっているはずで、なおかつ子供の療養環境や家族へのサポートは充実しているはずなので、普段の風邪なら近くの便利なお医者さんで、入院するぐらい重い病気ならちゃんとした病院で診てもらいたい、というのが通常ではないかと思う。
医療従事者にとってはどうだろうか。「外来型病院小児科」に勤務する医療従事者にとっては入院診療がなくなるため、負担が軽くなり、医師はより「かかりつけの小児科医」としてその専門に特化した手厚い診療を行うことができる。「地域小児科センター病院」に勤務する医療従事者は、病院が巨大化するため、業務が増えても人員が増えるため効率よく対処できる状態を作ることができる。
では救急搬送をする側や開業医にとってはどうだろうか。以前なら、近くの病院から患者の受け入れ先を当たっていたが、この改革により、紹介先の病院がすこし遠くなってしまうかもしれない。しかしながら、紹介先の「地域小児科センター」は地域のセンタであって患者の入院を断ることは減らせられるはずである。近いところから断られた末に遠いところに見つけるよりも、確実に受け入れてくれる病院があるというのは結局は搬送時間を短くするはずである。また心肺停止状態など危急の状態では、一番近くの病院で救急処置をしたのち、入院はセンター病院に言うということになる。以前なら救急処置をすると入院まで受け入れざるを得なかったが、センター病院で受け入れてくれるという安心感があれば、「救急処置をするだけなら」と一番近くの病院でも引き受けてくれる可能性は高い。
このように、昨今の医療崩壊を食い止めるには、全体の医療システムを俯瞰的に見て、それぞれのメリットとデメリットを考慮した上で、「役割分担」をし、財政的な支援をこのような目に見えて改善する方向で効率よくおこなう必要がある。
(未出・禁無断転載)
2008年1月16日水曜日
患者・一般参画
患者・一般参画 (PPI: Patient and Public Involvement)
地下鉄では乗客がみな新聞を読んでいる、というのがロンドンの毎朝の風景である。騒音があまりにうるさくて新聞を読むぐらいしか出来ない、ということもあるが、政治に関心の強い国民性ということもある・・・というのはこじつけだろうか。英国で仕事をしていると何気ないときに「政治に関心の強い国民性」を感じるときも多い。こういう政治への関心の高さというのが実は患者・消費者の積極的な政策決定への参加に影響しているのではないだろうかと筆者は考えている。
患者・一般参画という言葉はブレア政権の目玉、英国保健制度改革でのキーワードのひとつである。2001年に発効された医療・社会ケア法(the Health and Social Care Act)にて、すべての英国国立保健サービス(NHS: National Health Service)の病院運営母体(トラスト)は、その方針決定に患者・一般代表の参画が義務付けられた。ブレア政権も長期化し、この患者・一般参画ということも末端まで浸透してしてきた。今ではどこに行っても、病院運営における方針決定場面に患者消費者代表の存在がごく当たり前のように感じるようになってきた。
私は今、NICE(National Institute of Health and Clinical Excellence)という国立保健サービス内の組織の下で、母子保健分野の診療ガイドライン作りに携わっている。NICEの診療ガイドラインはなかなか斬新な方法で作っていると、世界の注目を集めている。その特徴の一つがこの患者・消費者参加で、上に挙げた患者・一般参画という動きの一つである。
「患者・消費者参加といっても形だけで、これは患者・消費者の方と一緒に作ったのだと宣伝する為に参加するだけで、実際の発言力はない、ということはないですか」という質問を受けたことがある。こういう質問の背景にある、患者・消費者の味方の「ふり」をする政治的な輩がどこの国にも少なからずいるものである。私がNICEの診療ガイドラインの作成過程で感じてきた患者・消費者参加は本物であると感じている。一方で、平等の権利、発言力でもって診療ガイドライン作りに患者・消費者の方に参加してもらう、というのは表面的に聞こえる以上に周到な準備と長い歴史が必要である。
周到な準備とはその患者・消費者代表の選び方と研修である。
NICEでは診療ガイドラインの内容が決まると同時に、それに参加する患者・消費者代表の方の公募が始まる。患者団体を通して応募する人も多いが、個人として応募する人も多い。「患者」としてその分野の診療にどのように携わってきたか、どのような経験があるか、どのような考えにあるか、決まった形式の応募用紙に、ワープロできっちりまとめてくる人から、手書きでびっしり書いてくる人までいろいろである。原則的には英国内に在住しておれば、応募する権利がある。
次は選考である。詳細な選考基準をつくるというのはなかなか難しい。実際には書いた文章からその人の背景が見えてくるし、そのガイドラインを作成するにあたって必要なのはどういう人かという像がはっきりしておれば、選考する側の意見が分かれて困るという経験は通常ない。選考時に電話面接を行うこともある。応募用紙や電話面接の内容から得た像から大きく外れた人物が当日現れる、ということはまれである。
選考が済んだら、次は研修である。医療というだけで特殊な言葉を使うことが多くなるが、科学的根拠に基づくガイドラインということもあって、会議中も書類中にも医療疫学の特殊な言葉も数多く使われる。こういった内容の理解を助けるための研修である。
こういった選考や研修も、患者・消費者代表の方を含めた会議の成功の重要な要素であるが、もう一つとても重要な要素がある。それが議長術である。実はこの議長術、単なる技術ではなく、それなりに長い歴史が必要である。
こういう診療ガイドライン作りが始まる前に、患者・消費者側だけでなく、議長にも研修を受けてもらう。過去に参加した患者・消費者代表が、何を困難と感じたか、どういうことをありがたいと感じたか、を伝える。また、あまり難しい術語が多くなると、易しい言葉に変えるように注意をする。また、会議では状況に応じて一方的に話をする人を止めることも必要だし、発言の少ない人を促すことも時には必要である。会議の成功はこの議長術にかかっているといっても過言ではない。実際にこういったことにきっちりとした配慮のできる議長の進める会議に参加すると、自然に会議が流れ、患者・消費者代表も「普通」に参加しているように感じる。
なんだそんなこと分かっているし、普段からしている、という人もいるかもしれない。しかし、そういう人は英国でこのような会議に参加する機会があれば、ぜひ見学して欲しい。議長の一つ一つの細やかな配慮が、これしかないというタイミングで入り、会議が流れていく様子はまさに芸術のようである。私もこのような研修を受けたこともあるが、たとえば声のトーンを少し変えること、誰に視線を合わせるか、といったような技術的なことから、意見を聞き入れること、会議の流れを読むこと、時には威厳を持って会議を止めること、そして議長が一方的な意見を持たない、というような本質的なことまで、多岐にわたる。根底にあるのは違う背景を持った相手に敬意を払い、理解しようとするという当たり前のことに他ならない。個人個人がすべてしっかりとした意見を持ちながら、社会全体としても機能させるという英国流個人主義の歴史と無縁ではないと感じる。あまり英国を持ち上げたくはないが、やはり学ぶべきことも多いのも事実である。
あらためてNICEの診療ガイドライン作りを見るとと、やはり「患者・消費者側の視点」が診療ガイドラインの中に反映されていると確信する。とくにQOLや痛みに関すること、治療の選択など、個々の推奨のなかにこういった視点が静かな形で生かされていると思う。こういったバランスの取れた診療ガイドラインほど、現場が使いやすい、あるいは使いたくなるのは物の道理である。
重要な決定事項はそのサービスを受ける側も含めて話し合いをして決める、というのは考えればごく当たり前のことである。日本でも患者・消費者代表が参加して診療ガイドラインが作成されたと聞く。お隣のフランスでも同じように、患者・消費者代表が参加する診療ガイドライン作りが始まった。これからもこのような動きはますます拡大していくのではないだろうか。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
地下鉄では乗客がみな新聞を読んでいる、というのがロンドンの毎朝の風景である。騒音があまりにうるさくて新聞を読むぐらいしか出来ない、ということもあるが、政治に関心の強い国民性ということもある・・・というのはこじつけだろうか。英国で仕事をしていると何気ないときに「政治に関心の強い国民性」を感じるときも多い。こういう政治への関心の高さというのが実は患者・消費者の積極的な政策決定への参加に影響しているのではないだろうかと筆者は考えている。
患者・一般参画という言葉はブレア政権の目玉、英国保健制度改革でのキーワードのひとつである。2001年に発効された医療・社会ケア法(the Health and Social Care Act)にて、すべての英国国立保健サービス(NHS: National Health Service)の病院運営母体(トラスト)は、その方針決定に患者・一般代表の参画が義務付けられた。ブレア政権も長期化し、この患者・一般参画ということも末端まで浸透してしてきた。今ではどこに行っても、病院運営における方針決定場面に患者消費者代表の存在がごく当たり前のように感じるようになってきた。
私は今、NICE(National Institute of Health and Clinical Excellence)という国立保健サービス内の組織の下で、母子保健分野の診療ガイドライン作りに携わっている。NICEの診療ガイドラインはなかなか斬新な方法で作っていると、世界の注目を集めている。その特徴の一つがこの患者・消費者参加で、上に挙げた患者・一般参画という動きの一つである。
「患者・消費者参加といっても形だけで、これは患者・消費者の方と一緒に作ったのだと宣伝する為に参加するだけで、実際の発言力はない、ということはないですか」という質問を受けたことがある。こういう質問の背景にある、患者・消費者の味方の「ふり」をする政治的な輩がどこの国にも少なからずいるものである。私がNICEの診療ガイドラインの作成過程で感じてきた患者・消費者参加は本物であると感じている。一方で、平等の権利、発言力でもって診療ガイドライン作りに患者・消費者の方に参加してもらう、というのは表面的に聞こえる以上に周到な準備と長い歴史が必要である。
周到な準備とはその患者・消費者代表の選び方と研修である。
NICEでは診療ガイドラインの内容が決まると同時に、それに参加する患者・消費者代表の方の公募が始まる。患者団体を通して応募する人も多いが、個人として応募する人も多い。「患者」としてその分野の診療にどのように携わってきたか、どのような経験があるか、どのような考えにあるか、決まった形式の応募用紙に、ワープロできっちりまとめてくる人から、手書きでびっしり書いてくる人までいろいろである。原則的には英国内に在住しておれば、応募する権利がある。
次は選考である。詳細な選考基準をつくるというのはなかなか難しい。実際には書いた文章からその人の背景が見えてくるし、そのガイドラインを作成するにあたって必要なのはどういう人かという像がはっきりしておれば、選考する側の意見が分かれて困るという経験は通常ない。選考時に電話面接を行うこともある。応募用紙や電話面接の内容から得た像から大きく外れた人物が当日現れる、ということはまれである。
選考が済んだら、次は研修である。医療というだけで特殊な言葉を使うことが多くなるが、科学的根拠に基づくガイドラインということもあって、会議中も書類中にも医療疫学の特殊な言葉も数多く使われる。こういった内容の理解を助けるための研修である。
こういった選考や研修も、患者・消費者代表の方を含めた会議の成功の重要な要素であるが、もう一つとても重要な要素がある。それが議長術である。実はこの議長術、単なる技術ではなく、それなりに長い歴史が必要である。
こういう診療ガイドライン作りが始まる前に、患者・消費者側だけでなく、議長にも研修を受けてもらう。過去に参加した患者・消費者代表が、何を困難と感じたか、どういうことをありがたいと感じたか、を伝える。また、あまり難しい術語が多くなると、易しい言葉に変えるように注意をする。また、会議では状況に応じて一方的に話をする人を止めることも必要だし、発言の少ない人を促すことも時には必要である。会議の成功はこの議長術にかかっているといっても過言ではない。実際にこういったことにきっちりとした配慮のできる議長の進める会議に参加すると、自然に会議が流れ、患者・消費者代表も「普通」に参加しているように感じる。
なんだそんなこと分かっているし、普段からしている、という人もいるかもしれない。しかし、そういう人は英国でこのような会議に参加する機会があれば、ぜひ見学して欲しい。議長の一つ一つの細やかな配慮が、これしかないというタイミングで入り、会議が流れていく様子はまさに芸術のようである。私もこのような研修を受けたこともあるが、たとえば声のトーンを少し変えること、誰に視線を合わせるか、といったような技術的なことから、意見を聞き入れること、会議の流れを読むこと、時には威厳を持って会議を止めること、そして議長が一方的な意見を持たない、というような本質的なことまで、多岐にわたる。根底にあるのは違う背景を持った相手に敬意を払い、理解しようとするという当たり前のことに他ならない。個人個人がすべてしっかりとした意見を持ちながら、社会全体としても機能させるという英国流個人主義の歴史と無縁ではないと感じる。あまり英国を持ち上げたくはないが、やはり学ぶべきことも多いのも事実である。
あらためてNICEの診療ガイドライン作りを見るとと、やはり「患者・消費者側の視点」が診療ガイドラインの中に反映されていると確信する。とくにQOLや痛みに関すること、治療の選択など、個々の推奨のなかにこういった視点が静かな形で生かされていると思う。こういったバランスの取れた診療ガイドラインほど、現場が使いやすい、あるいは使いたくなるのは物の道理である。
重要な決定事項はそのサービスを受ける側も含めて話し合いをして決める、というのは考えればごく当たり前のことである。日本でも患者・消費者代表が参加して診療ガイドラインが作成されたと聞く。お隣のフランスでも同じように、患者・消費者代表が参加する診療ガイドライン作りが始まった。これからもこのような動きはますます拡大していくのではないだろうか。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
2008年1月14日月曜日
無料の病院
ロンドン北郊の高級住宅地であるハムステッドの一角にRoyal Free Hospitalという病院がある。そのまま訳せば、王立無料病院である。実はこの「無料」という言葉に今の英国の医療制度の歴史がある。
この病院、1828年にロンドンの東部(昔は中心がこの辺りだったので、いまでもシティと言われている。)にある「ハットン・ガーデン」という地域に設立された。ハットンという名前はエリザベス1世の時代の大法官であったハットン卿から来ている。16世紀にはハットン卿の建てた邸宅など、きれいな地域だったらしいが、その後下り坂になり、病院ができる頃にはスラム街と化していたらしい。
蛇足であるが、筆者の勤める病院の兄弟病院である聖バーソロミュー病院がすぐそばにあるこの辺り、散歩してみるといろいろ発見がある。ディケンズの家からローマ時代の壁がある辺りまで、あまり観光客のいない路地裏めぐりは通のおすすめである。
さて閑話休題、もともとこの病院、ウィリアム・マーズデンという外科医が、この辺りで貧しさのために医療の受けられない女の子を見たことをきっかけに作り、数年後に名前を「ロンドン無料病院」とした。その後、ビクトリア女王がパトロンとなったために王立無料病院と名前を代えた。名前の通り、貧しくても無料で受診できる、ボランティア的病院であった。(英国の主要な病院は王室のメンバーがパトロンになるのは今も変わらない。)
1832年のコレラ大流行の時にはこの病院が唯一、患者を受け入れたらしい。これは疫学の父、ジョン・スノウがロンドンのソーホー地区を中心としたコレラの大流行からコレラの感染経路が水であることを発見した20年ほど前のことになる。また後に医学校が併設されてからのことであるが、はじめて女性の学生を受け入れた、といろいろ逸話の残る病院である。
とはいえ、病院の運営はすべてボランティアを基本にしていたので、患者はいつもあふれているが、いつも人不足、資金不足とすべてがうまく行っていたわけではない。その裏で、全体としてはお金を持っている人がよりいい医療が受けられるという状態があった。
第二次世界大戦を経て、1948年に英国の国立保健サービス(NHS: National Health Service)が発足した。地域に家庭医がおり、日常的な診療を行い、複雑な病気の場合には、家庭医の紹介によってはじめて病院を受診する、また医療は原則的に無料で提供されるなど、当時の制度も現在の医療制度と大きな骨組みは変わらない。
設立には英国の政治も大きく影響している。有名な保守党の故チャーチル元首相から戦争終了と時期を前後して、左派の労働党政権樹立となった。左派の政権が社会主義的な医療制度設立に大きく影響したことは容易に想像できることである。
その後、保守党政権、労働党政権と政権が変わりつつ、調整や改革が繰り返されながら、現在までに至っている。この後半の歴史で注目するべき点が二つある。
一つは1979年に政権が始まったサッチャー元首相(保守党)の医療制度改革である。医療の進歩とともに、医療にかかる予算が急激に国家予算を逼迫するようになっていた。このような状況を踏まえた大きな改革として、内部市場(internal market)の創生が挙げられる。
簡単に言ってしまえば、国の医療制度に属する組織を、医療という商品を提供する側(provider)とその商品を買う側(purchaser)に分け、とくに提供側の独立度を強めたわけである。もちろん完全な市場化ではないが、市場的な競争の要素を取り入れることで、組織の効率性を高める、という目的であったわけである。
この改革は、市場競争により「効率」という要素がNHSに加わったという一定の成果は見られた。ところが、一方で、これにより地域差、組織差が拡大し、医療や保健指標が悪化してしまったのである。すなわち、端的に言えば、NHS創設以前の、ある一部の人が得するような状況になり、当然これはその他の人の健康の悪化を意味する。
そこで二つ目の注目する点が1997年に政権が始まったブレア現首相(労働党)の医療制度改革である。ブレア首相は以上の状況を踏まえて、20年近い保守党優位の時代の後、鉄道改革と医療制度改革を二本の改革の柱にして、久しぶりの労働党政権を打ち立てたが、その政策の内容は従来の労働党の政策からは一線を画して現実的な内容になっている。
この改革の詳しい内容は追って説明していくが、原則的には市場経済的要素が医療制度に与えた功罪を踏まえて、「市場経済ではなく、システムとして医療の質と安全が改善するような機構を作る」ことで、改革を目指している。この改革の成果は最近じわじわと目に見える形になってきている。
どこかの国の状況にそっくりな部分がないだろうか。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
この病院、1828年にロンドンの東部(昔は中心がこの辺りだったので、いまでもシティと言われている。)にある「ハットン・ガーデン」という地域に設立された。ハットンという名前はエリザベス1世の時代の大法官であったハットン卿から来ている。16世紀にはハットン卿の建てた邸宅など、きれいな地域だったらしいが、その後下り坂になり、病院ができる頃にはスラム街と化していたらしい。
蛇足であるが、筆者の勤める病院の兄弟病院である聖バーソロミュー病院がすぐそばにあるこの辺り、散歩してみるといろいろ発見がある。ディケンズの家からローマ時代の壁がある辺りまで、あまり観光客のいない路地裏めぐりは通のおすすめである。
さて閑話休題、もともとこの病院、ウィリアム・マーズデンという外科医が、この辺りで貧しさのために医療の受けられない女の子を見たことをきっかけに作り、数年後に名前を「ロンドン無料病院」とした。その後、ビクトリア女王がパトロンとなったために王立無料病院と名前を代えた。名前の通り、貧しくても無料で受診できる、ボランティア的病院であった。(英国の主要な病院は王室のメンバーがパトロンになるのは今も変わらない。)
1832年のコレラ大流行の時にはこの病院が唯一、患者を受け入れたらしい。これは疫学の父、ジョン・スノウがロンドンのソーホー地区を中心としたコレラの大流行からコレラの感染経路が水であることを発見した20年ほど前のことになる。また後に医学校が併設されてからのことであるが、はじめて女性の学生を受け入れた、といろいろ逸話の残る病院である。
とはいえ、病院の運営はすべてボランティアを基本にしていたので、患者はいつもあふれているが、いつも人不足、資金不足とすべてがうまく行っていたわけではない。その裏で、全体としてはお金を持っている人がよりいい医療が受けられるという状態があった。
第二次世界大戦を経て、1948年に英国の国立保健サービス(NHS: National Health Service)が発足した。地域に家庭医がおり、日常的な診療を行い、複雑な病気の場合には、家庭医の紹介によってはじめて病院を受診する、また医療は原則的に無料で提供されるなど、当時の制度も現在の医療制度と大きな骨組みは変わらない。
設立には英国の政治も大きく影響している。有名な保守党の故チャーチル元首相から戦争終了と時期を前後して、左派の労働党政権樹立となった。左派の政権が社会主義的な医療制度設立に大きく影響したことは容易に想像できることである。
その後、保守党政権、労働党政権と政権が変わりつつ、調整や改革が繰り返されながら、現在までに至っている。この後半の歴史で注目するべき点が二つある。
一つは1979年に政権が始まったサッチャー元首相(保守党)の医療制度改革である。医療の進歩とともに、医療にかかる予算が急激に国家予算を逼迫するようになっていた。このような状況を踏まえた大きな改革として、内部市場(internal market)の創生が挙げられる。
簡単に言ってしまえば、国の医療制度に属する組織を、医療という商品を提供する側(provider)とその商品を買う側(purchaser)に分け、とくに提供側の独立度を強めたわけである。もちろん完全な市場化ではないが、市場的な競争の要素を取り入れることで、組織の効率性を高める、という目的であったわけである。
この改革は、市場競争により「効率」という要素がNHSに加わったという一定の成果は見られた。ところが、一方で、これにより地域差、組織差が拡大し、医療や保健指標が悪化してしまったのである。すなわち、端的に言えば、NHS創設以前の、ある一部の人が得するような状況になり、当然これはその他の人の健康の悪化を意味する。
そこで二つ目の注目する点が1997年に政権が始まったブレア現首相(労働党)の医療制度改革である。ブレア首相は以上の状況を踏まえて、20年近い保守党優位の時代の後、鉄道改革と医療制度改革を二本の改革の柱にして、久しぶりの労働党政権を打ち立てたが、その政策の内容は従来の労働党の政策からは一線を画して現実的な内容になっている。
この改革の詳しい内容は追って説明していくが、原則的には市場経済的要素が医療制度に与えた功罪を踏まえて、「市場経済ではなく、システムとして医療の質と安全が改善するような機構を作る」ことで、改革を目指している。この改革の成果は最近じわじわと目に見える形になってきている。
どこかの国の状況にそっくりな部分がないだろうか。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
2008年1月13日日曜日
英国の医療制度
英国の医療制度、表と裏
英国の医療制度(NHS:National Health Service)は英国人の誇りである。戦後にはじまったこの制度は、「ゆりかごから墓場まで」を標語に、英国に住む人にはだれでも無料で医療サービスを提供する、社会主義的な制度である。医療の資本主義化が進んだアメリカの医療制度とよく対比される。この英国の医療制度を裏の部分を垣間見ていても、現在進んでいる医療制度改革を考えると、この社会主義的精神が医療を支えることそのものは根本的には間違っていないと感じる。
医療が病人(弱者)を救うという基本に立ち戻るなら、医療制度というものは社会主義的であるべきである一方で、制度や組織というものがさまざまな人の集まりから繰り出される「サービス」という要素がある限り、競争や人々のやる気を喚起するシステムも必要である。制度の哲学ということともに、システムが効率よく動いていくためにはどうするべきか、という裏と表両方の影響を考えながら議論されるべきである。
NHSという言葉を聞いたときの反応は人によってずいぶん違う。その社会主義精神を賞賛する医療制度学者も多いが、英国在住の日本人に聞くと概ね、憤慨や落胆した経験談が帰ってくる。
英国で受診する際は、開業医であれ、病院であれ、原則無料である。原則と書いたのは、たとえばメガネは払わないといけないし、処方代といって、薬を出してもらったら処方ごとに千円ぐらい払うことになる。また歯科の場合は治療費の一部負担である。それでも払う必要があるのはこんなところだから、「医療を無料で提供している」と言っても語弊はないと思う。
この財源の多くは国民の税金から賄われている。税金を払っていない英語学校で勉強する学生さん達もこの恩恵に預かることができる。その分、税金は高い。私などもロンドンの生活費は高い上に給料の三分の一以上、税金に持っていかれるので悲しい限りである。
国民みなが無料で医療を受けることができて、なおかつ英国の人口動態が日本ほどではないにしても高年齢化していることを考えれば、財源は膨大ではないか・・・と考える人もいるかもしれない。実は反対である。先進七カ国内の比較で、国内総生産比で英国の医療費はもっとも低い。(ちなみに日本は第二番目に低い)
無料で医療が受けられて、しかも国全体としての医療費が低く抑えられているでは、理想的ではないか。しかし、その現実は大きく違う。
開業医さんに診てもらおうと思っても予約が取れたのは5日後で受診時には症状がなくなっていたとか、慢性の病気で比較的大きな病院にかかっているが、半年ごとに担当医が代わって言うことも治療方針も代わるとか、夜に救急外来に受診したら、なんだかんだと診察してもらうのに翌朝まで待たされたとか、不満を挙げだしたらきりがない。ロンドンで救急外来に行くぐらいなら、ユーロトンネルを通って電車でパリに行ったほうがよっぽどはやく診てもらえる、という笑えない冗談もあるぐらいである。手術をしてもらうのに載る「待機リスト」も有名な話で、手術によっては受けるという決断をしてから年単位で待たないといけない、というようなものまである。
実際に働く医師の立場から行っても、あまりに多くの国から医師が輸入されており、受けてきた医師達の経験・技術レベルは大きく違い、治療方針を統一化しようとしても、きめの細かい治療は期待できない。看護師もコメディカルも同じである。
日本と比べると、医師の勤務体制は良いものの、逆に担当医師が代わりつづけ、それを監督する医師はあまり病棟や外来で見かけないという状態が、ひとりひとりの患者の治療にとっていい訳がない。現場としては悲惨な状態である。
では英国のこの医療制度も欠点だらけで参考にならないのだろうか。
英国では、医療制度改革が現在進行中である。社会主義的な制度に資本主義的な「競争」の要素を取り込んだ、サッチャー元首相の医療制度改革は思いのほか成果が上がらなかったが、現ブレア首相下の医療制度改革はこの社会主義的制度のよさを保ちながら、いかに「医療の質と安全」を向上させるか、ということ目指して、様々な工夫が凝らされている。単に社会主義対資本主義という対比とバランスの構造を超えて、医療の質、安全性と効率をシステムの中で改善するという実験は注目に値する。上記に挙げた問題点に関してはもうすでに対策が始まっており、成果も見えはじめている。
以上に挙げた問題点というのは日本でも大なり小なり見られる問題点であり、英国がこれらを解決していく様子は、日本にとって貴重な情報であることは間違いない。この連載の中で、この工夫の部分を様々な角度から紹介するつもりである。英国医療の裏と表を見ていただき、日本の医療をより良いものにしていく上でなにかの参考になることを願っている。期待いただきたい。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
英国の医療制度(NHS:National Health Service)は英国人の誇りである。戦後にはじまったこの制度は、「ゆりかごから墓場まで」を標語に、英国に住む人にはだれでも無料で医療サービスを提供する、社会主義的な制度である。医療の資本主義化が進んだアメリカの医療制度とよく対比される。この英国の医療制度を裏の部分を垣間見ていても、現在進んでいる医療制度改革を考えると、この社会主義的精神が医療を支えることそのものは根本的には間違っていないと感じる。
医療が病人(弱者)を救うという基本に立ち戻るなら、医療制度というものは社会主義的であるべきである一方で、制度や組織というものがさまざまな人の集まりから繰り出される「サービス」という要素がある限り、競争や人々のやる気を喚起するシステムも必要である。制度の哲学ということともに、システムが効率よく動いていくためにはどうするべきか、という裏と表両方の影響を考えながら議論されるべきである。
NHSという言葉を聞いたときの反応は人によってずいぶん違う。その社会主義精神を賞賛する医療制度学者も多いが、英国在住の日本人に聞くと概ね、憤慨や落胆した経験談が帰ってくる。
英国で受診する際は、開業医であれ、病院であれ、原則無料である。原則と書いたのは、たとえばメガネは払わないといけないし、処方代といって、薬を出してもらったら処方ごとに千円ぐらい払うことになる。また歯科の場合は治療費の一部負担である。それでも払う必要があるのはこんなところだから、「医療を無料で提供している」と言っても語弊はないと思う。
この財源の多くは国民の税金から賄われている。税金を払っていない英語学校で勉強する学生さん達もこの恩恵に預かることができる。その分、税金は高い。私などもロンドンの生活費は高い上に給料の三分の一以上、税金に持っていかれるので悲しい限りである。
国民みなが無料で医療を受けることができて、なおかつ英国の人口動態が日本ほどではないにしても高年齢化していることを考えれば、財源は膨大ではないか・・・と考える人もいるかもしれない。実は反対である。先進七カ国内の比較で、国内総生産比で英国の医療費はもっとも低い。(ちなみに日本は第二番目に低い)
無料で医療が受けられて、しかも国全体としての医療費が低く抑えられているでは、理想的ではないか。しかし、その現実は大きく違う。
開業医さんに診てもらおうと思っても予約が取れたのは5日後で受診時には症状がなくなっていたとか、慢性の病気で比較的大きな病院にかかっているが、半年ごとに担当医が代わって言うことも治療方針も代わるとか、夜に救急外来に受診したら、なんだかんだと診察してもらうのに翌朝まで待たされたとか、不満を挙げだしたらきりがない。ロンドンで救急外来に行くぐらいなら、ユーロトンネルを通って電車でパリに行ったほうがよっぽどはやく診てもらえる、という笑えない冗談もあるぐらいである。手術をしてもらうのに載る「待機リスト」も有名な話で、手術によっては受けるという決断をしてから年単位で待たないといけない、というようなものまである。
実際に働く医師の立場から行っても、あまりに多くの国から医師が輸入されており、受けてきた医師達の経験・技術レベルは大きく違い、治療方針を統一化しようとしても、きめの細かい治療は期待できない。看護師もコメディカルも同じである。
日本と比べると、医師の勤務体制は良いものの、逆に担当医師が代わりつづけ、それを監督する医師はあまり病棟や外来で見かけないという状態が、ひとりひとりの患者の治療にとっていい訳がない。現場としては悲惨な状態である。
では英国のこの医療制度も欠点だらけで参考にならないのだろうか。
英国では、医療制度改革が現在進行中である。社会主義的な制度に資本主義的な「競争」の要素を取り込んだ、サッチャー元首相の医療制度改革は思いのほか成果が上がらなかったが、現ブレア首相下の医療制度改革はこの社会主義的制度のよさを保ちながら、いかに「医療の質と安全」を向上させるか、ということ目指して、様々な工夫が凝らされている。単に社会主義対資本主義という対比とバランスの構造を超えて、医療の質、安全性と効率をシステムの中で改善するという実験は注目に値する。上記に挙げた問題点に関してはもうすでに対策が始まっており、成果も見えはじめている。
以上に挙げた問題点というのは日本でも大なり小なり見られる問題点であり、英国がこれらを解決していく様子は、日本にとって貴重な情報であることは間違いない。この連載の中で、この工夫の部分を様々な角度から紹介するつもりである。英国医療の裏と表を見ていただき、日本の医療をより良いものにしていく上でなにかの参考になることを願っている。期待いただきたい。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
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