英語には尊敬語や丁寧語がなく、ファースト・ネームで呼び合うのであまり上下関係がないと言う人がいる。ところが現実はそんなに簡単ではない。
政治がらみの仕事や組織の上層部に行けば行くほど、目に見えない形で、しっかりとした上下関係があり、実はこういうことを言葉の表現の中ににじませるような努力も必要になってくる。英語に尊敬語がない訳ではない。英語の尊敬語は微妙な表現の中にあるのである。このあたり米国の事情を聞いてみたいが、英国での英語ではかなり「語彙」にこだわる傾向があるように思う。
医師もポジションによりいくつかの層に分かれており、それぞれの「階級」の間の溝は案外深い。 コンサルタントと言われる立場がある。これは日本語では顧問医とか、上級専門医、もしくは部長などと訳されている。これは専門医などの研修も済まし、まったく独立して診療ができる医師で、病棟や外来などで指導的な役割を担っている。基本的には同じ病院で同じ科でもコンサルタントが違えば診療方針も違う。具体的には病棟などを回診して治療方針の大きな方向性を決め、あとは教育や病院の運営、研究に携わる。
その下がレジストラーと呼ばれる中堅の医師たちである。日本語では中級専門医などと訳されている。病棟や外来での実際の仕事をほとんどこなす実働部隊といった役割である。英国では専門医試験を通り、初期研修が終了して自分の専門学会に正式に入会すればこの仕事を取れる権利が与えられる。その後この中級専門医として認定された研修期間を終われれば(小児科であれば5年間)コンサルタントの仕事を取る権利が与えられる。研修医達を教えながら、こまごまとしたことの方針はすべてレジストラーたちが行う。
この中級専門医達の下で働くのがハウス・オフィサーたちである。日本語では研修医であろうか。インターンを終えた新入り医師たちが2-4年ぐらいこの立場で将来自分の専門を考える上で様々な専門を経験したり、もしくは自分の専門の中で研修する。通常専門医の試験はこの時代に受ける。専門医の試験を受けてしっかりと知識をつけてから研修が始まるというこの英国の制度は、研修を受けて最後に試験が通れば専門医になれる日本とは逆になる。 それぞれの立場の差は実際の仕事の差でもあるが、周囲もコンサルタントという場合とハウス・オフィサーという場合では接し方も違うし、やはり「階級」ということを強く感じざるを得ない。企業における「部長」だとか「課長」とかいうのと似ているのかもしれない。
日本からみた大きな違いは、仕事の領域配分である。日本であれば同じ科に何人かの医師がいる場合、上になるにしたがって、徐々に指導的な役割が増えるので、だれが「実働部隊」で、だれが「研修医」ということもはっきりとしなく、逆にそれぞれの医師の力量に応じて病院ごとに微妙に違ったりする。 しかし、英国では、コンサルタントの仕事はコンサルタントの仕事であり、力量や年数に関わらず、同じ役割が求められる。レジストラーも同じである。求められている仕事以上の仕事は期待されていないし、してはいけない。他人の領域に踏み出すのは禁忌である。
私自身もこういう環境で働くことで、刺激を受ける反面、求められている仕事をしっかりとこなすという歯車のような働き方に疑問に感じるときもあった。 給料も違えば、その他の待遇、当直の有無など大きく変わってくるので、多くの医師たちがより上の段階に上がろうと努力する。この努力が専門医の試験に通ることであったり、研修のためとして認められているポジションを取るために履歴書を上手に書いたり、自分をうまく見せる努力も必要になるわけである。
専門医制度が厳しいためか、一般的に日本の医師に比べると英国の医師はよく勉強しているし、知識も多い。EBM(根拠に基づく医療)という考え方が試験や日常診療の中でも問われるということもあって、現在までの臨床研究についてや、正しい論文の読み方もかなり年上の医師たちでも精通している。
実はこのEBM、上に掲げた上下関係を打破するための道具でもある。EBMという言葉が生まれて10年以上経つが、さすがにEBMを引っ張ってきた国の一つ、その考え方はかなり浸透しているため、下の医師からEBMを武器に治療方針はこうあるべきではないか、と言われ、それが正しいと思われたら、上の医師も受け入れざるを得ない。下克上の道具なのである。また、もちろんそうすると上位の医師たちも必死で勉強する羽目になるわけである。
この上下関係に本国部隊と外国人部隊という関係も微妙に影響する。英国の場合は本国(英国)で生まれ育った医師たちと、欧州部隊(ヨーロッパ大陸から来た医師たち)と、外国人部隊(南アジアやアフリカなど)という大きく分けて3グループがあり、その中でポジションや研修などの情報交換は自然と活発である。
欧州部隊はEUの推進によって英語の基準無しに欧州大陸から英国に渡り、臨床医として働くことが可能となったので、最近勢力を伸ばしつつある。最近特に東欧からの医師が多い。より英語の上手な外国人部隊を押しのけて仕事を取る権利があるので、現場は少し混乱している。 上に掲げた「出世競争」に勝ち残るには情報戦が重要なのであるが、私の場合は「日本人部隊」などというものが存在しない場所で診療行為をしてきたので、時と場合に応じて様々なグループの友人達(ほとんどが外国人部隊)から情報を得てきた。今でもこういうネットワークはとても重要であると感じている。
ちなみに、この「外国人部隊」は私も含めて英国・豪州・カナダ・ニュージーランドなど旧英連邦内で移動していることも多い。(米国は別枠である) かつては外国人部隊はコンサルタントにはなれないなどと言われたが、最近ではそういった差別意識も徐々になくなり、自然と人種の違うコンサルタントが働くようにはなってきた。 こういった外国人医師として生き残る道に関しては項を改めてお話したい。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
森臨太郎の考え方。オーストラリア、イギリス、ネパール、世界保健機関など、さまざまな場で、診療・政策に携わる。持続可能な社会と医療のあり方を追求している。成育医療センター政策科学研究部長・京都大学教授
2008年1月25日金曜日
英国病院の運営体
「トラスト」という言葉を聞くと、「ナショナル・トラスト」を思い浮かべる人も多いと思う。これは限りなく公的に近い私的団体というべきなのだろうか。NHSトラストという場合は、病院や地域の医療サービスの運営母体のことを指す。同様に限りなく公的と私的の中間に位置する団体である。
以前、このコラムで国民保健サービス(NHS)は完全国営で始まったと書いた。ところが、時代が経るにしたがって、組織疲弊を起こし、効率よく質の高い医療を提供できない状態になっていった。
1990年サッチャー政権下で改革が行われ、「NHSトラスト」という組織が各地に作られた。これは完全に保健省の統制下にあった国営企業たる保健サービスを、地域ごとに独立させ、さまざまに効率を上げることが目的であった。独立と言っても人事権や予算の配分など、国の統制がそれでも強く残っている。
このトラストには大きく分けて、下の5つある。
1) 急性期トラスト(Acute Trust) (言ってみれば通常の総合病院の集合体)
2) 救急搬送トラスト(Ambulance Trust) (救急車などの搬送のみ扱う)
3) ケアトラスト(Care Trust) (新しくできた形態のトラストで、「治療」というよりケアに焦点をあてた保健サービスを提供する)
4) 精神保健トラスト(Mental Health Trust) (精神疾患関連は別枠にトラスト形成していることも多い。)
5) プライマリーケアトラスト(Primary Care Trust) (地域に根ざした一次医療を担っていく家庭医などを含めたトラスト)
一般的にはこの急性期トラストというものがトラストの代表格となる。(http://www.nhs.uk/England/AuthoritiesTrusts/Acute/Default.aspx)
実際にはこの急性期トラスト、地域の2-3の病院の集合体である。たとえば、筆者の勤める王立ロンドン病院は、聖バーソロミュー病院、ロンドン胸部病院と合わせて「バーツとロンドン・トラスト」と言う名前のトラストの運営である。日本で言えば一つの医療法人がいくつかの病院を経営しているような感じであろうか。
蛇足だが、この王立ロンドン病院、例のロンドン地下鉄・バステロで被害のあったオールドゲート駅に最も近い大きな総合病院だったので、かなりの被害者を収容した。
各トラストには運営委員会のようなものがあり、経営の専門家、医療部門の代表、看護部門の代表、財務の専門家などからなる。この委員会が国の指導を受けながら運営しているといったところである。この委員会のトップは通常医師ではない。
わざわざこう書くのは、洋の東西を問わず、病院や医療サービスの意志決定にまつわる人間関係の中に、医師集団とそれ以外の職種集団によく摩擦が見られるのである。一般の方には分かりにくいと思うが、病院で働く方にはよく理解していただけると思う。
現在行われているブレア政権のNHS改革では数多くの面でトラストに直接・間接に影響を及ぼしているが、私の目から見て大きな点が二つある。
一つにはファンダメーション・トラストということ。もう一つが患者・消費者代表参加である。
このファンダメーション・トラストというのは通常のトラストの独立性をさらに強く進めた形で新しい形のトラストである。どちらかというとサッチャー政権下の改革と同じ方向性(というよりはその延長)にあるので、労働党内でもいろいろ紛糾した上で決まった事項であった。上にかがけた急性期トラストのうち、条件を満たしたものはこのファンダメーション・トラストへの昇格が許される。
このファンダメーション・トラストに昇格すると、それまで政府の決定事項であった予算決定権や人事権など、独立して決定できる事項が増え、独立性が強くなるわけである。これは「アメ」の部分で、この昇格のためには運営の透明化や診療ガバナンスなどに関して努力しなければいけない「ムチ」の部分もある。現在までにこのファンダメーション・トラストに昇格したトラストは37ある。しかしながら、将来的にはすべてのトラストがこのファンダメーション・トラストに移行される予定ではある。
もう一つは患者・消費者代表の参加であるが、このこと、とても重要なことなので、項を改めて紹介する予定である。端的に言えばトラストの担当する地域の住民代表が患者・消費者側の代表として運営陣に加わることが法律で決められた。これはトラストの運営に限らず、英国の保健医療サービスのほかの多くの部門でも同様に変わった重要な動きである。
もっとも考えれば、医療を受ける側の住民や患者の代表が運営に口出せない方がおかしいとは思うが・・・。
医療現場から見て、こういったトラストの変化は現実にはどのような影響を及ぼしているのだろうか。
以上のことに限らず、待機時間の短縮から各診療行為に至るまで、国の改革はすべてトラストを通して医療現場に到達されるため、当初はうっとうしがられていたが、全体としてトラストの動きが活性し、現場への関与も増えたため、現場そのものもどこかしら前向きに活性化しているように感じる。
診療行為の一つ一つまでに口出しされたかなわないという医師たちが数多くいるにはいるが、どちらかといえば、こういう流れに乗って、積極的に診療行為も変えていこうという動きの方が強い。
改革とか変化というのは実はその内容や理論だけが鍵になるのではなく、現場の雰囲気や態度、やる気を改善することも同じだけ重要である。現在のブレア政権の保健制度改革が一定の成果を得ているのは、こういうところに配慮があるからではないかと思う。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
以前、このコラムで国民保健サービス(NHS)は完全国営で始まったと書いた。ところが、時代が経るにしたがって、組織疲弊を起こし、効率よく質の高い医療を提供できない状態になっていった。
1990年サッチャー政権下で改革が行われ、「NHSトラスト」という組織が各地に作られた。これは完全に保健省の統制下にあった国営企業たる保健サービスを、地域ごとに独立させ、さまざまに効率を上げることが目的であった。独立と言っても人事権や予算の配分など、国の統制がそれでも強く残っている。
このトラストには大きく分けて、下の5つある。
1) 急性期トラスト(Acute Trust) (言ってみれば通常の総合病院の集合体)
2) 救急搬送トラスト(Ambulance Trust) (救急車などの搬送のみ扱う)
3) ケアトラスト(Care Trust) (新しくできた形態のトラストで、「治療」というよりケアに焦点をあてた保健サービスを提供する)
4) 精神保健トラスト(Mental Health Trust) (精神疾患関連は別枠にトラスト形成していることも多い。)
5) プライマリーケアトラスト(Primary Care Trust) (地域に根ざした一次医療を担っていく家庭医などを含めたトラスト)
一般的にはこの急性期トラストというものがトラストの代表格となる。(http://www.nhs.uk/England/AuthoritiesTrusts/Acute/Default.aspx)
実際にはこの急性期トラスト、地域の2-3の病院の集合体である。たとえば、筆者の勤める王立ロンドン病院は、聖バーソロミュー病院、ロンドン胸部病院と合わせて「バーツとロンドン・トラスト」と言う名前のトラストの運営である。日本で言えば一つの医療法人がいくつかの病院を経営しているような感じであろうか。
蛇足だが、この王立ロンドン病院、例のロンドン地下鉄・バステロで被害のあったオールドゲート駅に最も近い大きな総合病院だったので、かなりの被害者を収容した。
各トラストには運営委員会のようなものがあり、経営の専門家、医療部門の代表、看護部門の代表、財務の専門家などからなる。この委員会が国の指導を受けながら運営しているといったところである。この委員会のトップは通常医師ではない。
わざわざこう書くのは、洋の東西を問わず、病院や医療サービスの意志決定にまつわる人間関係の中に、医師集団とそれ以外の職種集団によく摩擦が見られるのである。一般の方には分かりにくいと思うが、病院で働く方にはよく理解していただけると思う。
現在行われているブレア政権のNHS改革では数多くの面でトラストに直接・間接に影響を及ぼしているが、私の目から見て大きな点が二つある。
一つにはファンダメーション・トラストということ。もう一つが患者・消費者代表参加である。
このファンダメーション・トラストというのは通常のトラストの独立性をさらに強く進めた形で新しい形のトラストである。どちらかというとサッチャー政権下の改革と同じ方向性(というよりはその延長)にあるので、労働党内でもいろいろ紛糾した上で決まった事項であった。上にかがけた急性期トラストのうち、条件を満たしたものはこのファンダメーション・トラストへの昇格が許される。
このファンダメーション・トラストに昇格すると、それまで政府の決定事項であった予算決定権や人事権など、独立して決定できる事項が増え、独立性が強くなるわけである。これは「アメ」の部分で、この昇格のためには運営の透明化や診療ガバナンスなどに関して努力しなければいけない「ムチ」の部分もある。現在までにこのファンダメーション・トラストに昇格したトラストは37ある。しかしながら、将来的にはすべてのトラストがこのファンダメーション・トラストに移行される予定ではある。
もう一つは患者・消費者代表の参加であるが、このこと、とても重要なことなので、項を改めて紹介する予定である。端的に言えばトラストの担当する地域の住民代表が患者・消費者側の代表として運営陣に加わることが法律で決められた。これはトラストの運営に限らず、英国の保健医療サービスのほかの多くの部門でも同様に変わった重要な動きである。
もっとも考えれば、医療を受ける側の住民や患者の代表が運営に口出せない方がおかしいとは思うが・・・。
医療現場から見て、こういったトラストの変化は現実にはどのような影響を及ぼしているのだろうか。
以上のことに限らず、待機時間の短縮から各診療行為に至るまで、国の改革はすべてトラストを通して医療現場に到達されるため、当初はうっとうしがられていたが、全体としてトラストの動きが活性し、現場への関与も増えたため、現場そのものもどこかしら前向きに活性化しているように感じる。
診療行為の一つ一つまでに口出しされたかなわないという医師たちが数多くいるにはいるが、どちらかといえば、こういう流れに乗って、積極的に診療行為も変えていこうという動きの方が強い。
改革とか変化というのは実はその内容や理論だけが鍵になるのではなく、現場の雰囲気や態度、やる気を改善することも同じだけ重要である。現在のブレア政権の保健制度改革が一定の成果を得ているのは、こういうところに配慮があるからではないかと思う。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
2008年1月22日火曜日
英国の周産期医療
ロンドンから西に向かうとオックスフォードのその向こうはコッズウォルツと呼ばれる、美しい村々の風景がある。そのコッズウォルツの先、ウェールズとの国境手前にブリストルという地方都市がある。ブリストルには王立小児病院があり、その地域の三次医療施設として、高度医療も担っている。しかし、その病院を舞台に事件は起きた。
この病院に新しく赴任した麻酔科医が目にしたのは、他の病院に比べて高い心臓手術後の死亡率であった。この麻酔科医は、告発文をしたため院長に直訴するも無視されたが、マスコミの知るところとなり、大きな事件として報道された。くだんの麻酔科医は現在、豪州で診療している。
その後、その病院で心臓手術後死亡した子供達の家族が集まって、医師と病院を相手に医療訴訟をおこした。医師の登録監査機関であるGeneral Medical Councilは院長と一人の心臓外科医を医師免許停止、もう一人の心臓外科医を一定期間心臓手術に携われないという処分を行った。
しかしながら遺族は、さらに詳しい調査を求めた。こういった背景により、英国政府は特別調査委員会を設置し、詳細な疫学研究と詳細な面接、カルテを含む90万ページに及ぶ記録の調査、そして7回に及ぶ公聴会が開かれ、原因の究明と将来への対策が練られた。疫学研究と面接、記録の調査からは、個人ではなくシステムに問題があるという点が強調され、公聴会を通して、1)制度や病院運営に患者・一般の参画、2)危険な診療と問題から学ぶ姿勢の制度化、3)国レベルでの標準診療を示す必要性、4)診療成績を透明化・外部からの評価の必要性、など198に及ぶ推奨が示された。
当時、すでに英国で診療ガバナンスという言葉が作られ、大きく取り上げられるようになっていた。診療ガバナンスというのは、1)科学的根拠に基づいた最適な診療を提示し、2)その最適な診療を適切な形で現場に導入し、3)診療成績を継続して監査することで、医療の質と安全の向上をシステムとして促していく考え方である。
ブリストルの事件や診療ガバナンスといったことを背景に、英国の医療制度改革を旗印にして、保守党政権が長らく続いた後に生まれたのが、ブレア労働党政権である。社会主義(第一の道)でもなく、自由主義(第二の道)でもない、「第三の道」を標語として、NICEという科学的根拠に基づく最適な診療を示す組織と、診療成績を監査するHealthcare Commissionという組織を設立し、国全体での診療ガバナンスの実現とともに、各病院や学会レベルでも同様に実現することが求められている。ここに英国の個人ではなく「システム」により物事を変えていこうとする、「population-base」の考え方が見える。
英国の医療制度は国民医療サービス(NHS:National Health Service)と呼ばれる。1948年、戦後に始まったこの制度は、「ゆりかごから墓場まで」を標語に、英国に住む人にはだれでも無料で医療サービスを提供するという社会主義的な制度である。戦前までは慈善病院、王立病院、公立病院、私立病院とばらばらだった状態から、病院、勤務している職員をすべて一旦国が買い上げ、すべて国立とするところから始まった。野放しであった、医療サービスを、公共サービス、すなわちインフラストラクチャーとして整備しようとしての再出発であった。財源の多くは国民の税金から賄われている。先進七カ国内の比較で、医療費の国内総生産(GDP)に占める比率では、英国は日本と並んでもっとも低い。
英国の実際の周産期医療現場はどうなっているのだろうか。
周産期に携わるスタッフは産婦人科医、助産師、産科麻酔科医、新生児科医など産科麻酔科医以外は日本と変わらない。医師はコンサルタント、レジストラー、SHOという役職に分かれており、コンサルタントは担当部署の管理者、レジストラーは実働部隊、SHOは研修医と言ったような役割である。産科側も新生児科側もすべての医師がシフト制で勤務していることが多く、コンサルタントは3-10人ぐらいで病棟・外来の管理者の役割を担い、残りの時間は、研究、教育、運営などに割かれている。コンサルタントは夜のオンコールはあっても当直は無い。レジストラーは同様に5-9人ぐらいで、ときおりフェローと呼ばれる半分研究・半分臨床といった医師もこのレベルのシフトに入ることも多い。SHOも同様である。外国人医師が多いのも特徴で、働いている医師の約30%は外国人である。外国人医師たちはSHOやレジストラーレベルでの一定期間の研修・勤務を終えると母国に帰ることも多く、そのため、英国人のコンサルタントに、外国人のレジストラー・SHOというのが日常光景である。
シフト制をとっているため、勤務時間は日本と大きく異なる。さらに、European Working Time Directiveと呼ばれる欧州共同体の標準勤務時間に合わせるための努力が現在なされており、2009年までに週48時間という目標が設定されており、政府と学会を挙げて、病院の再編、当直体制の見直し、医師職の増員など様々な工夫をしている。
「新生児科医」という定義はあいまいなので、小児科医で比較すると、英国では小児科医の担当する範囲は18歳までであり、なおかつプライマリーケアは専門の違う一般家庭医、救急科は専門の違う救急医が担当するため、単純な比較はできないが、英国の小児(19歳未満)人口10万人あたりの小児科医数29.2人は日本の小児(15歳未満)人口10万人あたりの小児科医数79.9人に比べてかなり少ない。この小児科医の数のうち、49%は女性で、その他の専門科のなかでは最も女性の比率が高い。また小児科医全体の42%はパートタイムで勤務しており、コンサルタントと呼ばれる管理職の女性30%以上、中間レベルの小児科女性医師の50%以上がパートタイムで勤務している。
ただし、英国では小児科医は二次医療以上の専門の病気を診る役割であり、日本のように小児に関して一次医療(プライマリーケア)から三次医療までを診ることは無い。このため英国では小児科医が開業してプライマリーケアを担当するという概念は無く、これは英国では一般家庭医の役割である。そこで、日本の小児科医数から開業医数を除き、病院勤務医だけで計算すると、日本小児科学会の概算では、日本の人口10万人あたりの病院小児科医数は36.6人となる。さらに、日本の小児科標榜病院数は3528病院と報告されているが、英国では全国で204病院しかない。このため1病院あたりの小児科勤務医数では、日本の1.8人に比べ、英国では20.8人と10倍以上である。図は、病院とは微妙に違うが、病院の地域運営母体ごとの小児科医数を日英で比較している。英国で一病院あたりの小児科医数が多いのは、集中化で効率を高めているだけではなく、上記のように、二次医療の高度医療を担当する小児科医はサブ・スペシャリティの充実が前提になっており、一つの病院で小児循環器・新生児・腎臓・小児神経・感染症など基本的なスペシャリティを網羅するには一定の人数が必要、という認識があるからである。
英語圏の4カ国、米国、英国、オーストラリア、カナダの周産期医療、特に新生児医療の効率を比較する研究が行われた。(Pediatrics. 2002;109:1036-43.)この4カ国内では、上記の医師の役割分担や、背景にある人々(移民が多い)、NICUベッドの定義などが比較的似ているため、制度・システムの比較が可能となる。逆にこれらの理由で日本の医療とは単純には比較できない。
この研究では、まず、出生一万あたりのNICUベッド数では、米国が最も多く3.3で、オーストラリア、カナダがともに2.6という数字に比較して、英国では0.67と極端に低い。また出生一万あたりの新生児科医数は米国が最も多く6.1に対し、英国2.7、豪州3.7、カナダ3.3となっている。ちなみに新生児科医一人あたりが診るNICUベッド数は、カナダ0.78、オーストラリア0.70、米国0.54、英国0.25となる。
以上のような医療人材・設備資源で、どのような成績をもたらしているかというと、1000g未満の超低出生体重児の新生児死亡率で、米国を1とすると、カナダは1.12、英国は0.99、豪州は0.84となる。また1000グラム以上2500グラム未満の低出生体重児の新生児死亡率で米国を1とすると、カナダは1.26、豪州は0.97、英国は0.95と英国がもっとも低い。
単純比較で、数字には限界はあるが、少なくとも英国の新生児医療は米国の新生児医療に比べて少ない資源で、効果を上げている、すなわち効率が高いという計算になる。
NICU内での医療は必ずしも日本ほどきめ細かくは無く、レベルもそれほど高いとはいえなくても、効果を上げているのは、「全体を見る」という見方から、優先順位を起き方や全体の統制により無駄を省いているところに鍵がある。そのための臨床疫学研究も非常に盛んである。
さらに現在、英国では、最初の話にある診療ガバナンスに基づいた、医療の質・安全・標準化をさらに推し進めている。筆者は属しているNICEという組織で正常出産の最適なあり方を示すガイドラインを作成しているが、こういったガイドラインを目標とし、各学会や病院レベル、またHealthcare Commission といったような組織によりその成果を監視することにより、さらに標準化、またシステムとしての質・安全の向上に取り組んでいる。
英国は疫学・公衆衛生学の母国であり、上記のように、木もそうであるが、「森を見る」というところに長けた国である。こういった「全体を見る」あるいは「population-base」という考え方は、これから医療資源の限界を迎える各先進国にも、もともと医療資源の限界と戦っている途上国でも非常に重要考え方になる。さらに、この背景に、成熟した個人主義に基づいた民主主義という考え方があることを指摘しておきたい。個人の自由は責任を伴い、それによって全体も支える、という欧州の長い民主主義の伝統が凝縮されてきた「全体を見る」見方である。この世に生まれてきた人すべては出産を経験するが、すべての人が老人になるわけではない。また、胎内環境や、出生直後の環境が、その人のその先の人生に精神面であれ、肉体面であれ、大きく影響していることが最近わかりつつあることは周知の通りである。すなわち、周産期医療というのは、人類の将来にとってとても大切な、すべての人が通る道を担う重要な事柄を扱っている。そういう意味からも、それぞれの役割にいる専門家すべてがこのように「全体を見る」考え方を持つ必要がある。
(既出・GE Today・一部改編・禁無断転載)
この病院に新しく赴任した麻酔科医が目にしたのは、他の病院に比べて高い心臓手術後の死亡率であった。この麻酔科医は、告発文をしたため院長に直訴するも無視されたが、マスコミの知るところとなり、大きな事件として報道された。くだんの麻酔科医は現在、豪州で診療している。
その後、その病院で心臓手術後死亡した子供達の家族が集まって、医師と病院を相手に医療訴訟をおこした。医師の登録監査機関であるGeneral Medical Councilは院長と一人の心臓外科医を医師免許停止、もう一人の心臓外科医を一定期間心臓手術に携われないという処分を行った。
しかしながら遺族は、さらに詳しい調査を求めた。こういった背景により、英国政府は特別調査委員会を設置し、詳細な疫学研究と詳細な面接、カルテを含む90万ページに及ぶ記録の調査、そして7回に及ぶ公聴会が開かれ、原因の究明と将来への対策が練られた。疫学研究と面接、記録の調査からは、個人ではなくシステムに問題があるという点が強調され、公聴会を通して、1)制度や病院運営に患者・一般の参画、2)危険な診療と問題から学ぶ姿勢の制度化、3)国レベルでの標準診療を示す必要性、4)診療成績を透明化・外部からの評価の必要性、など198に及ぶ推奨が示された。
当時、すでに英国で診療ガバナンスという言葉が作られ、大きく取り上げられるようになっていた。診療ガバナンスというのは、1)科学的根拠に基づいた最適な診療を提示し、2)その最適な診療を適切な形で現場に導入し、3)診療成績を継続して監査することで、医療の質と安全の向上をシステムとして促していく考え方である。
ブリストルの事件や診療ガバナンスといったことを背景に、英国の医療制度改革を旗印にして、保守党政権が長らく続いた後に生まれたのが、ブレア労働党政権である。社会主義(第一の道)でもなく、自由主義(第二の道)でもない、「第三の道」を標語として、NICEという科学的根拠に基づく最適な診療を示す組織と、診療成績を監査するHealthcare Commissionという組織を設立し、国全体での診療ガバナンスの実現とともに、各病院や学会レベルでも同様に実現することが求められている。ここに英国の個人ではなく「システム」により物事を変えていこうとする、「population-base」の考え方が見える。
英国の医療制度は国民医療サービス(NHS:National Health Service)と呼ばれる。1948年、戦後に始まったこの制度は、「ゆりかごから墓場まで」を標語に、英国に住む人にはだれでも無料で医療サービスを提供するという社会主義的な制度である。戦前までは慈善病院、王立病院、公立病院、私立病院とばらばらだった状態から、病院、勤務している職員をすべて一旦国が買い上げ、すべて国立とするところから始まった。野放しであった、医療サービスを、公共サービス、すなわちインフラストラクチャーとして整備しようとしての再出発であった。財源の多くは国民の税金から賄われている。先進七カ国内の比較で、医療費の国内総生産(GDP)に占める比率では、英国は日本と並んでもっとも低い。
英国の実際の周産期医療現場はどうなっているのだろうか。
周産期に携わるスタッフは産婦人科医、助産師、産科麻酔科医、新生児科医など産科麻酔科医以外は日本と変わらない。医師はコンサルタント、レジストラー、SHOという役職に分かれており、コンサルタントは担当部署の管理者、レジストラーは実働部隊、SHOは研修医と言ったような役割である。産科側も新生児科側もすべての医師がシフト制で勤務していることが多く、コンサルタントは3-10人ぐらいで病棟・外来の管理者の役割を担い、残りの時間は、研究、教育、運営などに割かれている。コンサルタントは夜のオンコールはあっても当直は無い。レジストラーは同様に5-9人ぐらいで、ときおりフェローと呼ばれる半分研究・半分臨床といった医師もこのレベルのシフトに入ることも多い。SHOも同様である。外国人医師が多いのも特徴で、働いている医師の約30%は外国人である。外国人医師たちはSHOやレジストラーレベルでの一定期間の研修・勤務を終えると母国に帰ることも多く、そのため、英国人のコンサルタントに、外国人のレジストラー・SHOというのが日常光景である。
シフト制をとっているため、勤務時間は日本と大きく異なる。さらに、European Working Time Directiveと呼ばれる欧州共同体の標準勤務時間に合わせるための努力が現在なされており、2009年までに週48時間という目標が設定されており、政府と学会を挙げて、病院の再編、当直体制の見直し、医師職の増員など様々な工夫をしている。
「新生児科医」という定義はあいまいなので、小児科医で比較すると、英国では小児科医の担当する範囲は18歳までであり、なおかつプライマリーケアは専門の違う一般家庭医、救急科は専門の違う救急医が担当するため、単純な比較はできないが、英国の小児(19歳未満)人口10万人あたりの小児科医数29.2人は日本の小児(15歳未満)人口10万人あたりの小児科医数79.9人に比べてかなり少ない。この小児科医の数のうち、49%は女性で、その他の専門科のなかでは最も女性の比率が高い。また小児科医全体の42%はパートタイムで勤務しており、コンサルタントと呼ばれる管理職の女性30%以上、中間レベルの小児科女性医師の50%以上がパートタイムで勤務している。
ただし、英国では小児科医は二次医療以上の専門の病気を診る役割であり、日本のように小児に関して一次医療(プライマリーケア)から三次医療までを診ることは無い。このため英国では小児科医が開業してプライマリーケアを担当するという概念は無く、これは英国では一般家庭医の役割である。そこで、日本の小児科医数から開業医数を除き、病院勤務医だけで計算すると、日本小児科学会の概算では、日本の人口10万人あたりの病院小児科医数は36.6人となる。さらに、日本の小児科標榜病院数は3528病院と報告されているが、英国では全国で204病院しかない。このため1病院あたりの小児科勤務医数では、日本の1.8人に比べ、英国では20.8人と10倍以上である。図は、病院とは微妙に違うが、病院の地域運営母体ごとの小児科医数を日英で比較している。英国で一病院あたりの小児科医数が多いのは、集中化で効率を高めているだけではなく、上記のように、二次医療の高度医療を担当する小児科医はサブ・スペシャリティの充実が前提になっており、一つの病院で小児循環器・新生児・腎臓・小児神経・感染症など基本的なスペシャリティを網羅するには一定の人数が必要、という認識があるからである。
英語圏の4カ国、米国、英国、オーストラリア、カナダの周産期医療、特に新生児医療の効率を比較する研究が行われた。(Pediatrics. 2002;109:1036-43.)この4カ国内では、上記の医師の役割分担や、背景にある人々(移民が多い)、NICUベッドの定義などが比較的似ているため、制度・システムの比較が可能となる。逆にこれらの理由で日本の医療とは単純には比較できない。
この研究では、まず、出生一万あたりのNICUベッド数では、米国が最も多く3.3で、オーストラリア、カナダがともに2.6という数字に比較して、英国では0.67と極端に低い。また出生一万あたりの新生児科医数は米国が最も多く6.1に対し、英国2.7、豪州3.7、カナダ3.3となっている。ちなみに新生児科医一人あたりが診るNICUベッド数は、カナダ0.78、オーストラリア0.70、米国0.54、英国0.25となる。
以上のような医療人材・設備資源で、どのような成績をもたらしているかというと、1000g未満の超低出生体重児の新生児死亡率で、米国を1とすると、カナダは1.12、英国は0.99、豪州は0.84となる。また1000グラム以上2500グラム未満の低出生体重児の新生児死亡率で米国を1とすると、カナダは1.26、豪州は0.97、英国は0.95と英国がもっとも低い。
単純比較で、数字には限界はあるが、少なくとも英国の新生児医療は米国の新生児医療に比べて少ない資源で、効果を上げている、すなわち効率が高いという計算になる。
NICU内での医療は必ずしも日本ほどきめ細かくは無く、レベルもそれほど高いとはいえなくても、効果を上げているのは、「全体を見る」という見方から、優先順位を起き方や全体の統制により無駄を省いているところに鍵がある。そのための臨床疫学研究も非常に盛んである。
さらに現在、英国では、最初の話にある診療ガバナンスに基づいた、医療の質・安全・標準化をさらに推し進めている。筆者は属しているNICEという組織で正常出産の最適なあり方を示すガイドラインを作成しているが、こういったガイドラインを目標とし、各学会や病院レベル、またHealthcare Commission といったような組織によりその成果を監視することにより、さらに標準化、またシステムとしての質・安全の向上に取り組んでいる。
英国は疫学・公衆衛生学の母国であり、上記のように、木もそうであるが、「森を見る」というところに長けた国である。こういった「全体を見る」あるいは「population-base」という考え方は、これから医療資源の限界を迎える各先進国にも、もともと医療資源の限界と戦っている途上国でも非常に重要考え方になる。さらに、この背景に、成熟した個人主義に基づいた民主主義という考え方があることを指摘しておきたい。個人の自由は責任を伴い、それによって全体も支える、という欧州の長い民主主義の伝統が凝縮されてきた「全体を見る」見方である。この世に生まれてきた人すべては出産を経験するが、すべての人が老人になるわけではない。また、胎内環境や、出生直後の環境が、その人のその先の人生に精神面であれ、肉体面であれ、大きく影響していることが最近わかりつつあることは周知の通りである。すなわち、周産期医療というのは、人類の将来にとってとても大切な、すべての人が通る道を担う重要な事柄を扱っている。そういう意味からも、それぞれの役割にいる専門家すべてがこのように「全体を見る」考え方を持つ必要がある。
(既出・GE Today・一部改編・禁無断転載)
2008年1月20日日曜日
英国の家庭医
今回は英国の家庭医(general practitioner;GP)についてお話したい。
英国の家庭医は日本での開業医に近い役割を担ってはいるものの、実際には同じとはいえない。英国の医療制度において家庭医の担う役割は大きい。通常、一般市民は家庭医の紹介無しには病院を受診できない。「プライマリケアを担うのは開業医(家庭医)である」ということが、日本よりもはっきりしているように思う。逆にいうと、日本はプライマリケアを中小の病院と開業医が地域に応じてすみ分けをしているといったところだろうか。
英国へ移住したら、まず近くの家庭医に登録する。実はここでつまずくことも多い。近くの家庭医に登録しようと思っても断られることが結構あるのである。自分の担当患者の数が多すぎる、というような理由である。担当患者の数に応じて使える予算も変わってくると言っても、そこまでして患者を増やそうと考えるGPはいない。断られたら、少し遠くのところでまた探すことになる
私の家庭医は南アジア系である。ちなみに英国では家庭医の診療所をサージェリー(surgery)という。外科という意味ではない。
受診するときの最も大きな違いは、実は予約ではないかと思う。最近は日本の開業医でも病院でも、予約制にすることで待ち時間を減らすという努力をしていると思うが、英国では原則的に予約をしないと診てもらえない。
実はこれ、家庭医に限らず、何でもそうである。レストランでも人と会う約束でもアポなしはかなり嫌われることがある。予約に限らず、この国は自分からアプローチしていかないと何も始まらない。血液検査の結果を知りたいとと思っても、当然病院や診療所からの連絡は期待してはいけない。以前にも書いたがなかなか思うように予約が取れないということもある。
では、実際の家庭医の質はどうだろうか。確かに地域に根ざした家庭医の医師に日常の健康・医療に関して継続的に診てもらうというのはいいのだが、現実的には、かなり医師によって当たり外れがある。
ちゃんとした研修を受けようが、受けまいが、やはり医師としての技量や人間性は千差万別である。これは日本も同じだと思う。セクハラまがいで問題になった医師から、最近は担当患者を殺害した疑いで裁判にかかっている有名な家庭医もいるのでニュースで知っている方もおられるかもしれない。
一方で、大学の教授を兼ねている家庭医もいる。オックスフォード大にあるEBM(科学的根拠に基づく医療)センターの有名な教授は家庭医で、今でも週何回かは外来をこなしている。もちろん大学の教授だからといって医師としての技量が高いとは限らないが、彼に限らず、医療の質を上げていくために日々努力している家庭医は多い。
全般的に見ると、英国の家庭医は当たり外れはあるものの、医師としての技量や知識に関しては一定の水準は保っているように思う。あくまで一般的な話である。人間性や態度に関しては文化背景なども違うので一概には言えないが…。
では英国では医学校を卒業した医学生が、どのようにして家庭医になっていくのだろうか。
日本では内科や外科などの研修を受けた医師が開業していくことが多いと聞くが、英国ではインターンを終えた医師が直接「家庭医」の研修を受ける。すなわち「内科」や「外科」という専門を専攻するのと同様、「家庭医」という専門を専攻するわけである。
この家庭医の研修、英国では最低3年間だが、中身の条件が厳しく、3年で皆が修了するという類のものではない。通常、1年から1年半の診療所での研修と、2年から2年半の病院での関連の強い領域(例えば内科、老年科、小児科、精神科、救急科など)での研修というところである。
このような研修の間に、専門医(家庭医)試験に通らなければいけない。試験は2種類の筆記試験、診察技術試験、面接である。診察技術試験は通常、自分が患者を診察する風景をビデオで撮影されたものを試験官が採点する。
試験と研修を無事終えると、王立家庭医協会(Royal College of General Practitioners;RCGP)という学会への入会が認められる。ところがこれで終わりではない。家庭医としてしばらく働いた後、さらに実際に自分の受け持った地域に関しての試験があり、これに通ってようやく王立家庭医協会のフェローとして認められるわけである。
この地域に関しての試験は、自分が診察したり担当した患者さんたちのデータをまとめた結果について問われたり、地域に根ざしてどのように積極的な健康増進に関連した働きかけをしたか、というような公衆衛生的なことから、ひとり一人の患者さんへの対応のような、臨床的なことまで広く含まれる。ちなみにフェローとして認められるということは学位を持つことと同様の意味で、FRCGPという称号が付く。つまり、家庭医の専門医ということである。
周りの医師仲間を見ていると、家庭医という方向を選ぶのは1)地域に根ざした医療という医療の原点に戻りたいという情熱を持った人か、2)内科や外科は専門医になるのも大変だし、そこそこの給料をもらって生活を楽しみたいという人が多い。
専門医制度がしっかりとしてきた背景には、実は外国人医師の流入がある。英国では資格さえあれば国籍はあまり関係ない(はず)なので、その資格の部分が重要となってくるわけである。日本の状況とはここが大きな違いである。日本も海外からの医師を数多く受け入れるようになるのだろうか。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
英国の家庭医は日本での開業医に近い役割を担ってはいるものの、実際には同じとはいえない。英国の医療制度において家庭医の担う役割は大きい。通常、一般市民は家庭医の紹介無しには病院を受診できない。「プライマリケアを担うのは開業医(家庭医)である」ということが、日本よりもはっきりしているように思う。逆にいうと、日本はプライマリケアを中小の病院と開業医が地域に応じてすみ分けをしているといったところだろうか。
英国へ移住したら、まず近くの家庭医に登録する。実はここでつまずくことも多い。近くの家庭医に登録しようと思っても断られることが結構あるのである。自分の担当患者の数が多すぎる、というような理由である。担当患者の数に応じて使える予算も変わってくると言っても、そこまでして患者を増やそうと考えるGPはいない。断られたら、少し遠くのところでまた探すことになる
私の家庭医は南アジア系である。ちなみに英国では家庭医の診療所をサージェリー(surgery)という。外科という意味ではない。
受診するときの最も大きな違いは、実は予約ではないかと思う。最近は日本の開業医でも病院でも、予約制にすることで待ち時間を減らすという努力をしていると思うが、英国では原則的に予約をしないと診てもらえない。
実はこれ、家庭医に限らず、何でもそうである。レストランでも人と会う約束でもアポなしはかなり嫌われることがある。予約に限らず、この国は自分からアプローチしていかないと何も始まらない。血液検査の結果を知りたいとと思っても、当然病院や診療所からの連絡は期待してはいけない。以前にも書いたがなかなか思うように予約が取れないということもある。
では、実際の家庭医の質はどうだろうか。確かに地域に根ざした家庭医の医師に日常の健康・医療に関して継続的に診てもらうというのはいいのだが、現実的には、かなり医師によって当たり外れがある。
ちゃんとした研修を受けようが、受けまいが、やはり医師としての技量や人間性は千差万別である。これは日本も同じだと思う。セクハラまがいで問題になった医師から、最近は担当患者を殺害した疑いで裁判にかかっている有名な家庭医もいるのでニュースで知っている方もおられるかもしれない。
一方で、大学の教授を兼ねている家庭医もいる。オックスフォード大にあるEBM(科学的根拠に基づく医療)センターの有名な教授は家庭医で、今でも週何回かは外来をこなしている。もちろん大学の教授だからといって医師としての技量が高いとは限らないが、彼に限らず、医療の質を上げていくために日々努力している家庭医は多い。
全般的に見ると、英国の家庭医は当たり外れはあるものの、医師としての技量や知識に関しては一定の水準は保っているように思う。あくまで一般的な話である。人間性や態度に関しては文化背景なども違うので一概には言えないが…。
では英国では医学校を卒業した医学生が、どのようにして家庭医になっていくのだろうか。
日本では内科や外科などの研修を受けた医師が開業していくことが多いと聞くが、英国ではインターンを終えた医師が直接「家庭医」の研修を受ける。すなわち「内科」や「外科」という専門を専攻するのと同様、「家庭医」という専門を専攻するわけである。
この家庭医の研修、英国では最低3年間だが、中身の条件が厳しく、3年で皆が修了するという類のものではない。通常、1年から1年半の診療所での研修と、2年から2年半の病院での関連の強い領域(例えば内科、老年科、小児科、精神科、救急科など)での研修というところである。
このような研修の間に、専門医(家庭医)試験に通らなければいけない。試験は2種類の筆記試験、診察技術試験、面接である。診察技術試験は通常、自分が患者を診察する風景をビデオで撮影されたものを試験官が採点する。
試験と研修を無事終えると、王立家庭医協会(Royal College of General Practitioners;RCGP)という学会への入会が認められる。ところがこれで終わりではない。家庭医としてしばらく働いた後、さらに実際に自分の受け持った地域に関しての試験があり、これに通ってようやく王立家庭医協会のフェローとして認められるわけである。
この地域に関しての試験は、自分が診察したり担当した患者さんたちのデータをまとめた結果について問われたり、地域に根ざしてどのように積極的な健康増進に関連した働きかけをしたか、というような公衆衛生的なことから、ひとり一人の患者さんへの対応のような、臨床的なことまで広く含まれる。ちなみにフェローとして認められるということは学位を持つことと同様の意味で、FRCGPという称号が付く。つまり、家庭医の専門医ということである。
周りの医師仲間を見ていると、家庭医という方向を選ぶのは1)地域に根ざした医療という医療の原点に戻りたいという情熱を持った人か、2)内科や外科は専門医になるのも大変だし、そこそこの給料をもらって生活を楽しみたいという人が多い。
専門医制度がしっかりとしてきた背景には、実は外国人医師の流入がある。英国では資格さえあれば国籍はあまり関係ない(はず)なので、その資格の部分が重要となってくるわけである。日本の状況とはここが大きな違いである。日本も海外からの医師を数多く受け入れるようになるのだろうか。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
2008年1月18日金曜日
医師不足
救急患者さんのたらいまわし、産科医・小児科医をはじめ病院勤務医の不足、医療過誤や医療訴訟など、現在の日本医療は危機に直面している。最近の新聞報道を見ていても、医療従事者として病院の中から見ていても、これは現実の問題であり、対症療法ではなく根本的な治療法を考えない限り、解決できない。
上記の問題はすべて共通している問題が一つある。それは医師の相対的不足である。「相対的」と書いたのには理由がある。私はオーストラリア・英国の病院で7年間小児科医として働いてきた。日本の病院には決定的な問題がある。それは一つの病院で勤務する医師の数が絶対的に少ないこと、言い換えれば病院の平均的規模が明らかに小さいのである。
たとえば日本では小児科を標榜する病院は全国で約4000ある。この病院一つあたりで働く小児科医数は平均で1-2名である。英国の人口は日本の約半分であるが、小児科の病院がある数は全国で200である。英国の病院一つあたりで働く小児科医数は平均で約20名である。
病院規模が小さいことは悪いことだろうか?
三点考えることがある、一点目は医療の質と安全、二点目が医療資源と効率、三点目が医療従事者の勤務状況である。
病院規模が大きければ大きいほど、治療成績が良いことは容易に想像できる。もちろん個々の医療従事者の技術などに左右される要因は大きいが、ほかの条件がみな同じであれば、病院規模が大きいことは病院としての経験症例数も多くなるし、設備なども最新にものをそろえやすい。実際に、さまざまな調査結果でも概ねこういう傾向がある。ひとつの標榜科あたりの医師の数が増えるのもよいことである。たとえば小児科の中の専門領域というのは20以上ある。たとえば小児の心臓の専門、小児の救急の専門、小児の腎臓の専門など、昨今はこのような専門をそれぞれの専門家が追及して分業制にしていかないと専門知識は間に合わない時代になっている。病院の規模が大きいことでさまざまな病気に幅広く対応できる。
医療資源が効率良く配置できることも容易に想像できる。MRIなどの大規模で高価な医療機器があるが、とうぜん病院規模が大きいことで、効率よくこういう資源を活用でき、これは常に新しい機器を購入していくことも含んでいる。この「資源」は設備だけではなく、医師や看護師などの医療従事者も含めた話である。
病院が小さければ当然医師や看護師が数人減少しただけで大打撃である。女性の医師が出産・育児休暇をとるとなっても大変である。小児科医が二人しかいなければ、夜間の小児の救急患者さんはほかの専門科の医師に支援してもらうか、二日に一日は夜を担当することになる。
こう考えると、単純に「病院は規模が大きければ大きいほどよい」ということになってしまう。しかしながらことはそう単純ではない。
日本全体の医療従事者の数や医療費は限られるから、一つ一つの病院規模を大きくするとなると、病院の数が減ることになる。病院の数が減ると、患者さんが病院に行くまでの距離が相対的に長くなる。これには二つの問題がある。
一つが、普段のかかりつけ医にかかる際に通院時間が延びることである。患者さんというのはもちろん病気や病気の疑いがある方がほとんどなわけで、ほんのちょっと通院時間が延びるだけで大変である。これは大問題である。
もう一つが救急搬送の時間が延びる可能性があることである。かかりつけ医にかかる時間が延びるのは「不便さ」の問題だが、救急搬送の時間が延びるのは命にかかわる問題である。私の行った研究でも新生児の搬送時間が一時間をこえる場合には明らかに死亡率が上がっている。
こういう状況の中、昨今の搬送たらい回しや、勤務医不足の問題を解決しなければいけない。そこで考えられる解決策は非常に限られている。
医師をはじめ医療従事者が不足しているから増やせ、という専門家もいるが、それも一考である。ただし、医学部の入学人数を増やしても、医学部に入学するものが医師として自立するには10年はかかる。問題はそれほど悠長に構えていられない。外国人医師を輸入してはという議論があるが、これもよい方向性だと思うが、日本人の中にある外国人への差別意識と、法的な根拠を作っていくことを考えると時間がかかる解決策である。そもそも上記の日本と英国の小児科医数比較を見ても、人口あたりでの小児科医数は英国も日本もさほど変わらないことは注目できる。ちなみにこういうと「医療崩壊している英国に習う必要はない」という向きもあるが、実際に英国で小児科医として働いてきた私の目から見ると英国医療の問題点はまったく別の次元の問題である。
自分たちの住んでいる地域をよく観察してほしい。病院の数が多すぎる地域はないだろうか。実際、大都市でも地方としても都市部ではすぐ隣の総合病院が並んでいたりと病院が過剰になっている。過疎の地域では逆に病院が閉鎖になったりと上記の医療崩壊の影響をじかに受けている。
こうなると解決策は明らかである。交通事情・地理事情を考慮して、病院の数を整理し、統廃合を行い、過疎の地域では逆に手厚く資源を増やす、という手法が必要である。実施には病院の運営母体が違うためこれが難しい。
日本小児科学会では、「小児医療供給体制改革」と銘打って、病院小児科の役割分担を進めている。これは病院小児科を「地域小児科センター病院」と「外来型病院小児科」にわける。外来型病院小児科では、小児科の入院をやめ、外来のみの診療を続ける。このことにより「かかりつけ」がこのような病院であっても、そのままかわらず受診できるわけである。入院機能がないことで必要な医師の数は大幅に減り、そのあまった小児科医師を地域小児科センター病院へ異動していただく。地域小児科センター病院では地域の小児科の入院例をすべて受け入れ、全般的に子供たちが安心して入院できる環境整備、たとえば病院保育士や子供に配慮した病床・設備に投資できるようにするわけである。もちろんこの「地域小児科センター病院」の認定には地理的な要因を考慮することが大事で、日本中に住んでいるすべての子供たちが一時間以内に受診できる位置に配置することになる。実際に、日本小児科学会ではこのシュミレーションを行っており、現実的な解決策として認められている。ただし、完全に現実化するためには、「認定された地域小児科センター病院」に金銭的なインセンティヴをつけるという最後の行政にひと押しが必要な状態である。このことにより、上記の医療供給体制の改革が自然に進むことができる。
この改革により、患者さん側に大きな変化はあるだろうか。普段のかかりつけ医は変わらず存続するため、変わらないが、入院を必要とする場合には以前は近くの病院でできていたのが、ちょっと遠く(最大一時間ぐらいの距離)に入院する必要がある。ただし、この入院する病院は以前入院していた病院よりも医療レベルは上がっているはずで、なおかつ子供の療養環境や家族へのサポートは充実しているはずなので、普段の風邪なら近くの便利なお医者さんで、入院するぐらい重い病気ならちゃんとした病院で診てもらいたい、というのが通常ではないかと思う。
医療従事者にとってはどうだろうか。「外来型病院小児科」に勤務する医療従事者にとっては入院診療がなくなるため、負担が軽くなり、医師はより「かかりつけの小児科医」としてその専門に特化した手厚い診療を行うことができる。「地域小児科センター病院」に勤務する医療従事者は、病院が巨大化するため、業務が増えても人員が増えるため効率よく対処できる状態を作ることができる。
では救急搬送をする側や開業医にとってはどうだろうか。以前なら、近くの病院から患者の受け入れ先を当たっていたが、この改革により、紹介先の病院がすこし遠くなってしまうかもしれない。しかしながら、紹介先の「地域小児科センター」は地域のセンタであって患者の入院を断ることは減らせられるはずである。近いところから断られた末に遠いところに見つけるよりも、確実に受け入れてくれる病院があるというのは結局は搬送時間を短くするはずである。また心肺停止状態など危急の状態では、一番近くの病院で救急処置をしたのち、入院はセンター病院に言うということになる。以前なら救急処置をすると入院まで受け入れざるを得なかったが、センター病院で受け入れてくれるという安心感があれば、「救急処置をするだけなら」と一番近くの病院でも引き受けてくれる可能性は高い。
このように、昨今の医療崩壊を食い止めるには、全体の医療システムを俯瞰的に見て、それぞれのメリットとデメリットを考慮した上で、「役割分担」をし、財政的な支援をこのような目に見えて改善する方向で効率よくおこなう必要がある。
(未出・禁無断転載)
上記の問題はすべて共通している問題が一つある。それは医師の相対的不足である。「相対的」と書いたのには理由がある。私はオーストラリア・英国の病院で7年間小児科医として働いてきた。日本の病院には決定的な問題がある。それは一つの病院で勤務する医師の数が絶対的に少ないこと、言い換えれば病院の平均的規模が明らかに小さいのである。
たとえば日本では小児科を標榜する病院は全国で約4000ある。この病院一つあたりで働く小児科医数は平均で1-2名である。英国の人口は日本の約半分であるが、小児科の病院がある数は全国で200である。英国の病院一つあたりで働く小児科医数は平均で約20名である。
病院規模が小さいことは悪いことだろうか?
三点考えることがある、一点目は医療の質と安全、二点目が医療資源と効率、三点目が医療従事者の勤務状況である。
病院規模が大きければ大きいほど、治療成績が良いことは容易に想像できる。もちろん個々の医療従事者の技術などに左右される要因は大きいが、ほかの条件がみな同じであれば、病院規模が大きいことは病院としての経験症例数も多くなるし、設備なども最新にものをそろえやすい。実際に、さまざまな調査結果でも概ねこういう傾向がある。ひとつの標榜科あたりの医師の数が増えるのもよいことである。たとえば小児科の中の専門領域というのは20以上ある。たとえば小児の心臓の専門、小児の救急の専門、小児の腎臓の専門など、昨今はこのような専門をそれぞれの専門家が追及して分業制にしていかないと専門知識は間に合わない時代になっている。病院の規模が大きいことでさまざまな病気に幅広く対応できる。
医療資源が効率良く配置できることも容易に想像できる。MRIなどの大規模で高価な医療機器があるが、とうぜん病院規模が大きいことで、効率よくこういう資源を活用でき、これは常に新しい機器を購入していくことも含んでいる。この「資源」は設備だけではなく、医師や看護師などの医療従事者も含めた話である。
病院が小さければ当然医師や看護師が数人減少しただけで大打撃である。女性の医師が出産・育児休暇をとるとなっても大変である。小児科医が二人しかいなければ、夜間の小児の救急患者さんはほかの専門科の医師に支援してもらうか、二日に一日は夜を担当することになる。
こう考えると、単純に「病院は規模が大きければ大きいほどよい」ということになってしまう。しかしながらことはそう単純ではない。
日本全体の医療従事者の数や医療費は限られるから、一つ一つの病院規模を大きくするとなると、病院の数が減ることになる。病院の数が減ると、患者さんが病院に行くまでの距離が相対的に長くなる。これには二つの問題がある。
一つが、普段のかかりつけ医にかかる際に通院時間が延びることである。患者さんというのはもちろん病気や病気の疑いがある方がほとんどなわけで、ほんのちょっと通院時間が延びるだけで大変である。これは大問題である。
もう一つが救急搬送の時間が延びる可能性があることである。かかりつけ医にかかる時間が延びるのは「不便さ」の問題だが、救急搬送の時間が延びるのは命にかかわる問題である。私の行った研究でも新生児の搬送時間が一時間をこえる場合には明らかに死亡率が上がっている。
こういう状況の中、昨今の搬送たらい回しや、勤務医不足の問題を解決しなければいけない。そこで考えられる解決策は非常に限られている。
医師をはじめ医療従事者が不足しているから増やせ、という専門家もいるが、それも一考である。ただし、医学部の入学人数を増やしても、医学部に入学するものが医師として自立するには10年はかかる。問題はそれほど悠長に構えていられない。外国人医師を輸入してはという議論があるが、これもよい方向性だと思うが、日本人の中にある外国人への差別意識と、法的な根拠を作っていくことを考えると時間がかかる解決策である。そもそも上記の日本と英国の小児科医数比較を見ても、人口あたりでの小児科医数は英国も日本もさほど変わらないことは注目できる。ちなみにこういうと「医療崩壊している英国に習う必要はない」という向きもあるが、実際に英国で小児科医として働いてきた私の目から見ると英国医療の問題点はまったく別の次元の問題である。
自分たちの住んでいる地域をよく観察してほしい。病院の数が多すぎる地域はないだろうか。実際、大都市でも地方としても都市部ではすぐ隣の総合病院が並んでいたりと病院が過剰になっている。過疎の地域では逆に病院が閉鎖になったりと上記の医療崩壊の影響をじかに受けている。
こうなると解決策は明らかである。交通事情・地理事情を考慮して、病院の数を整理し、統廃合を行い、過疎の地域では逆に手厚く資源を増やす、という手法が必要である。実施には病院の運営母体が違うためこれが難しい。
日本小児科学会では、「小児医療供給体制改革」と銘打って、病院小児科の役割分担を進めている。これは病院小児科を「地域小児科センター病院」と「外来型病院小児科」にわける。外来型病院小児科では、小児科の入院をやめ、外来のみの診療を続ける。このことにより「かかりつけ」がこのような病院であっても、そのままかわらず受診できるわけである。入院機能がないことで必要な医師の数は大幅に減り、そのあまった小児科医師を地域小児科センター病院へ異動していただく。地域小児科センター病院では地域の小児科の入院例をすべて受け入れ、全般的に子供たちが安心して入院できる環境整備、たとえば病院保育士や子供に配慮した病床・設備に投資できるようにするわけである。もちろんこの「地域小児科センター病院」の認定には地理的な要因を考慮することが大事で、日本中に住んでいるすべての子供たちが一時間以内に受診できる位置に配置することになる。実際に、日本小児科学会ではこのシュミレーションを行っており、現実的な解決策として認められている。ただし、完全に現実化するためには、「認定された地域小児科センター病院」に金銭的なインセンティヴをつけるという最後の行政にひと押しが必要な状態である。このことにより、上記の医療供給体制の改革が自然に進むことができる。
この改革により、患者さん側に大きな変化はあるだろうか。普段のかかりつけ医は変わらず存続するため、変わらないが、入院を必要とする場合には以前は近くの病院でできていたのが、ちょっと遠く(最大一時間ぐらいの距離)に入院する必要がある。ただし、この入院する病院は以前入院していた病院よりも医療レベルは上がっているはずで、なおかつ子供の療養環境や家族へのサポートは充実しているはずなので、普段の風邪なら近くの便利なお医者さんで、入院するぐらい重い病気ならちゃんとした病院で診てもらいたい、というのが通常ではないかと思う。
医療従事者にとってはどうだろうか。「外来型病院小児科」に勤務する医療従事者にとっては入院診療がなくなるため、負担が軽くなり、医師はより「かかりつけの小児科医」としてその専門に特化した手厚い診療を行うことができる。「地域小児科センター病院」に勤務する医療従事者は、病院が巨大化するため、業務が増えても人員が増えるため効率よく対処できる状態を作ることができる。
では救急搬送をする側や開業医にとってはどうだろうか。以前なら、近くの病院から患者の受け入れ先を当たっていたが、この改革により、紹介先の病院がすこし遠くなってしまうかもしれない。しかしながら、紹介先の「地域小児科センター」は地域のセンタであって患者の入院を断ることは減らせられるはずである。近いところから断られた末に遠いところに見つけるよりも、確実に受け入れてくれる病院があるというのは結局は搬送時間を短くするはずである。また心肺停止状態など危急の状態では、一番近くの病院で救急処置をしたのち、入院はセンター病院に言うということになる。以前なら救急処置をすると入院まで受け入れざるを得なかったが、センター病院で受け入れてくれるという安心感があれば、「救急処置をするだけなら」と一番近くの病院でも引き受けてくれる可能性は高い。
このように、昨今の医療崩壊を食い止めるには、全体の医療システムを俯瞰的に見て、それぞれのメリットとデメリットを考慮した上で、「役割分担」をし、財政的な支援をこのような目に見えて改善する方向で効率よくおこなう必要がある。
(未出・禁無断転載)
2008年1月16日水曜日
患者・一般参画
患者・一般参画 (PPI: Patient and Public Involvement)
地下鉄では乗客がみな新聞を読んでいる、というのがロンドンの毎朝の風景である。騒音があまりにうるさくて新聞を読むぐらいしか出来ない、ということもあるが、政治に関心の強い国民性ということもある・・・というのはこじつけだろうか。英国で仕事をしていると何気ないときに「政治に関心の強い国民性」を感じるときも多い。こういう政治への関心の高さというのが実は患者・消費者の積極的な政策決定への参加に影響しているのではないだろうかと筆者は考えている。
患者・一般参画という言葉はブレア政権の目玉、英国保健制度改革でのキーワードのひとつである。2001年に発効された医療・社会ケア法(the Health and Social Care Act)にて、すべての英国国立保健サービス(NHS: National Health Service)の病院運営母体(トラスト)は、その方針決定に患者・一般代表の参画が義務付けられた。ブレア政権も長期化し、この患者・一般参画ということも末端まで浸透してしてきた。今ではどこに行っても、病院運営における方針決定場面に患者消費者代表の存在がごく当たり前のように感じるようになってきた。
私は今、NICE(National Institute of Health and Clinical Excellence)という国立保健サービス内の組織の下で、母子保健分野の診療ガイドライン作りに携わっている。NICEの診療ガイドラインはなかなか斬新な方法で作っていると、世界の注目を集めている。その特徴の一つがこの患者・消費者参加で、上に挙げた患者・一般参画という動きの一つである。
「患者・消費者参加といっても形だけで、これは患者・消費者の方と一緒に作ったのだと宣伝する為に参加するだけで、実際の発言力はない、ということはないですか」という質問を受けたことがある。こういう質問の背景にある、患者・消費者の味方の「ふり」をする政治的な輩がどこの国にも少なからずいるものである。私がNICEの診療ガイドラインの作成過程で感じてきた患者・消費者参加は本物であると感じている。一方で、平等の権利、発言力でもって診療ガイドライン作りに患者・消費者の方に参加してもらう、というのは表面的に聞こえる以上に周到な準備と長い歴史が必要である。
周到な準備とはその患者・消費者代表の選び方と研修である。
NICEでは診療ガイドラインの内容が決まると同時に、それに参加する患者・消費者代表の方の公募が始まる。患者団体を通して応募する人も多いが、個人として応募する人も多い。「患者」としてその分野の診療にどのように携わってきたか、どのような経験があるか、どのような考えにあるか、決まった形式の応募用紙に、ワープロできっちりまとめてくる人から、手書きでびっしり書いてくる人までいろいろである。原則的には英国内に在住しておれば、応募する権利がある。
次は選考である。詳細な選考基準をつくるというのはなかなか難しい。実際には書いた文章からその人の背景が見えてくるし、そのガイドラインを作成するにあたって必要なのはどういう人かという像がはっきりしておれば、選考する側の意見が分かれて困るという経験は通常ない。選考時に電話面接を行うこともある。応募用紙や電話面接の内容から得た像から大きく外れた人物が当日現れる、ということはまれである。
選考が済んだら、次は研修である。医療というだけで特殊な言葉を使うことが多くなるが、科学的根拠に基づくガイドラインということもあって、会議中も書類中にも医療疫学の特殊な言葉も数多く使われる。こういった内容の理解を助けるための研修である。
こういった選考や研修も、患者・消費者代表の方を含めた会議の成功の重要な要素であるが、もう一つとても重要な要素がある。それが議長術である。実はこの議長術、単なる技術ではなく、それなりに長い歴史が必要である。
こういう診療ガイドライン作りが始まる前に、患者・消費者側だけでなく、議長にも研修を受けてもらう。過去に参加した患者・消費者代表が、何を困難と感じたか、どういうことをありがたいと感じたか、を伝える。また、あまり難しい術語が多くなると、易しい言葉に変えるように注意をする。また、会議では状況に応じて一方的に話をする人を止めることも必要だし、発言の少ない人を促すことも時には必要である。会議の成功はこの議長術にかかっているといっても過言ではない。実際にこういったことにきっちりとした配慮のできる議長の進める会議に参加すると、自然に会議が流れ、患者・消費者代表も「普通」に参加しているように感じる。
なんだそんなこと分かっているし、普段からしている、という人もいるかもしれない。しかし、そういう人は英国でこのような会議に参加する機会があれば、ぜひ見学して欲しい。議長の一つ一つの細やかな配慮が、これしかないというタイミングで入り、会議が流れていく様子はまさに芸術のようである。私もこのような研修を受けたこともあるが、たとえば声のトーンを少し変えること、誰に視線を合わせるか、といったような技術的なことから、意見を聞き入れること、会議の流れを読むこと、時には威厳を持って会議を止めること、そして議長が一方的な意見を持たない、というような本質的なことまで、多岐にわたる。根底にあるのは違う背景を持った相手に敬意を払い、理解しようとするという当たり前のことに他ならない。個人個人がすべてしっかりとした意見を持ちながら、社会全体としても機能させるという英国流個人主義の歴史と無縁ではないと感じる。あまり英国を持ち上げたくはないが、やはり学ぶべきことも多いのも事実である。
あらためてNICEの診療ガイドライン作りを見るとと、やはり「患者・消費者側の視点」が診療ガイドラインの中に反映されていると確信する。とくにQOLや痛みに関すること、治療の選択など、個々の推奨のなかにこういった視点が静かな形で生かされていると思う。こういったバランスの取れた診療ガイドラインほど、現場が使いやすい、あるいは使いたくなるのは物の道理である。
重要な決定事項はそのサービスを受ける側も含めて話し合いをして決める、というのは考えればごく当たり前のことである。日本でも患者・消費者代表が参加して診療ガイドラインが作成されたと聞く。お隣のフランスでも同じように、患者・消費者代表が参加する診療ガイドライン作りが始まった。これからもこのような動きはますます拡大していくのではないだろうか。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
地下鉄では乗客がみな新聞を読んでいる、というのがロンドンの毎朝の風景である。騒音があまりにうるさくて新聞を読むぐらいしか出来ない、ということもあるが、政治に関心の強い国民性ということもある・・・というのはこじつけだろうか。英国で仕事をしていると何気ないときに「政治に関心の強い国民性」を感じるときも多い。こういう政治への関心の高さというのが実は患者・消費者の積極的な政策決定への参加に影響しているのではないだろうかと筆者は考えている。
患者・一般参画という言葉はブレア政権の目玉、英国保健制度改革でのキーワードのひとつである。2001年に発効された医療・社会ケア法(the Health and Social Care Act)にて、すべての英国国立保健サービス(NHS: National Health Service)の病院運営母体(トラスト)は、その方針決定に患者・一般代表の参画が義務付けられた。ブレア政権も長期化し、この患者・一般参画ということも末端まで浸透してしてきた。今ではどこに行っても、病院運営における方針決定場面に患者消費者代表の存在がごく当たり前のように感じるようになってきた。
私は今、NICE(National Institute of Health and Clinical Excellence)という国立保健サービス内の組織の下で、母子保健分野の診療ガイドライン作りに携わっている。NICEの診療ガイドラインはなかなか斬新な方法で作っていると、世界の注目を集めている。その特徴の一つがこの患者・消費者参加で、上に挙げた患者・一般参画という動きの一つである。
「患者・消費者参加といっても形だけで、これは患者・消費者の方と一緒に作ったのだと宣伝する為に参加するだけで、実際の発言力はない、ということはないですか」という質問を受けたことがある。こういう質問の背景にある、患者・消費者の味方の「ふり」をする政治的な輩がどこの国にも少なからずいるものである。私がNICEの診療ガイドラインの作成過程で感じてきた患者・消費者参加は本物であると感じている。一方で、平等の権利、発言力でもって診療ガイドライン作りに患者・消費者の方に参加してもらう、というのは表面的に聞こえる以上に周到な準備と長い歴史が必要である。
周到な準備とはその患者・消費者代表の選び方と研修である。
NICEでは診療ガイドラインの内容が決まると同時に、それに参加する患者・消費者代表の方の公募が始まる。患者団体を通して応募する人も多いが、個人として応募する人も多い。「患者」としてその分野の診療にどのように携わってきたか、どのような経験があるか、どのような考えにあるか、決まった形式の応募用紙に、ワープロできっちりまとめてくる人から、手書きでびっしり書いてくる人までいろいろである。原則的には英国内に在住しておれば、応募する権利がある。
次は選考である。詳細な選考基準をつくるというのはなかなか難しい。実際には書いた文章からその人の背景が見えてくるし、そのガイドラインを作成するにあたって必要なのはどういう人かという像がはっきりしておれば、選考する側の意見が分かれて困るという経験は通常ない。選考時に電話面接を行うこともある。応募用紙や電話面接の内容から得た像から大きく外れた人物が当日現れる、ということはまれである。
選考が済んだら、次は研修である。医療というだけで特殊な言葉を使うことが多くなるが、科学的根拠に基づくガイドラインということもあって、会議中も書類中にも医療疫学の特殊な言葉も数多く使われる。こういった内容の理解を助けるための研修である。
こういった選考や研修も、患者・消費者代表の方を含めた会議の成功の重要な要素であるが、もう一つとても重要な要素がある。それが議長術である。実はこの議長術、単なる技術ではなく、それなりに長い歴史が必要である。
こういう診療ガイドライン作りが始まる前に、患者・消費者側だけでなく、議長にも研修を受けてもらう。過去に参加した患者・消費者代表が、何を困難と感じたか、どういうことをありがたいと感じたか、を伝える。また、あまり難しい術語が多くなると、易しい言葉に変えるように注意をする。また、会議では状況に応じて一方的に話をする人を止めることも必要だし、発言の少ない人を促すことも時には必要である。会議の成功はこの議長術にかかっているといっても過言ではない。実際にこういったことにきっちりとした配慮のできる議長の進める会議に参加すると、自然に会議が流れ、患者・消費者代表も「普通」に参加しているように感じる。
なんだそんなこと分かっているし、普段からしている、という人もいるかもしれない。しかし、そういう人は英国でこのような会議に参加する機会があれば、ぜひ見学して欲しい。議長の一つ一つの細やかな配慮が、これしかないというタイミングで入り、会議が流れていく様子はまさに芸術のようである。私もこのような研修を受けたこともあるが、たとえば声のトーンを少し変えること、誰に視線を合わせるか、といったような技術的なことから、意見を聞き入れること、会議の流れを読むこと、時には威厳を持って会議を止めること、そして議長が一方的な意見を持たない、というような本質的なことまで、多岐にわたる。根底にあるのは違う背景を持った相手に敬意を払い、理解しようとするという当たり前のことに他ならない。個人個人がすべてしっかりとした意見を持ちながら、社会全体としても機能させるという英国流個人主義の歴史と無縁ではないと感じる。あまり英国を持ち上げたくはないが、やはり学ぶべきことも多いのも事実である。
あらためてNICEの診療ガイドライン作りを見るとと、やはり「患者・消費者側の視点」が診療ガイドラインの中に反映されていると確信する。とくにQOLや痛みに関すること、治療の選択など、個々の推奨のなかにこういった視点が静かな形で生かされていると思う。こういったバランスの取れた診療ガイドラインほど、現場が使いやすい、あるいは使いたくなるのは物の道理である。
重要な決定事項はそのサービスを受ける側も含めて話し合いをして決める、というのは考えればごく当たり前のことである。日本でも患者・消費者代表が参加して診療ガイドラインが作成されたと聞く。お隣のフランスでも同じように、患者・消費者代表が参加する診療ガイドライン作りが始まった。これからもこのような動きはますます拡大していくのではないだろうか。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
2008年1月14日月曜日
無料の病院
ロンドン北郊の高級住宅地であるハムステッドの一角にRoyal Free Hospitalという病院がある。そのまま訳せば、王立無料病院である。実はこの「無料」という言葉に今の英国の医療制度の歴史がある。
この病院、1828年にロンドンの東部(昔は中心がこの辺りだったので、いまでもシティと言われている。)にある「ハットン・ガーデン」という地域に設立された。ハットンという名前はエリザベス1世の時代の大法官であったハットン卿から来ている。16世紀にはハットン卿の建てた邸宅など、きれいな地域だったらしいが、その後下り坂になり、病院ができる頃にはスラム街と化していたらしい。
蛇足であるが、筆者の勤める病院の兄弟病院である聖バーソロミュー病院がすぐそばにあるこの辺り、散歩してみるといろいろ発見がある。ディケンズの家からローマ時代の壁がある辺りまで、あまり観光客のいない路地裏めぐりは通のおすすめである。
さて閑話休題、もともとこの病院、ウィリアム・マーズデンという外科医が、この辺りで貧しさのために医療の受けられない女の子を見たことをきっかけに作り、数年後に名前を「ロンドン無料病院」とした。その後、ビクトリア女王がパトロンとなったために王立無料病院と名前を代えた。名前の通り、貧しくても無料で受診できる、ボランティア的病院であった。(英国の主要な病院は王室のメンバーがパトロンになるのは今も変わらない。)
1832年のコレラ大流行の時にはこの病院が唯一、患者を受け入れたらしい。これは疫学の父、ジョン・スノウがロンドンのソーホー地区を中心としたコレラの大流行からコレラの感染経路が水であることを発見した20年ほど前のことになる。また後に医学校が併設されてからのことであるが、はじめて女性の学生を受け入れた、といろいろ逸話の残る病院である。
とはいえ、病院の運営はすべてボランティアを基本にしていたので、患者はいつもあふれているが、いつも人不足、資金不足とすべてがうまく行っていたわけではない。その裏で、全体としてはお金を持っている人がよりいい医療が受けられるという状態があった。
第二次世界大戦を経て、1948年に英国の国立保健サービス(NHS: National Health Service)が発足した。地域に家庭医がおり、日常的な診療を行い、複雑な病気の場合には、家庭医の紹介によってはじめて病院を受診する、また医療は原則的に無料で提供されるなど、当時の制度も現在の医療制度と大きな骨組みは変わらない。
設立には英国の政治も大きく影響している。有名な保守党の故チャーチル元首相から戦争終了と時期を前後して、左派の労働党政権樹立となった。左派の政権が社会主義的な医療制度設立に大きく影響したことは容易に想像できることである。
その後、保守党政権、労働党政権と政権が変わりつつ、調整や改革が繰り返されながら、現在までに至っている。この後半の歴史で注目するべき点が二つある。
一つは1979年に政権が始まったサッチャー元首相(保守党)の医療制度改革である。医療の進歩とともに、医療にかかる予算が急激に国家予算を逼迫するようになっていた。このような状況を踏まえた大きな改革として、内部市場(internal market)の創生が挙げられる。
簡単に言ってしまえば、国の医療制度に属する組織を、医療という商品を提供する側(provider)とその商品を買う側(purchaser)に分け、とくに提供側の独立度を強めたわけである。もちろん完全な市場化ではないが、市場的な競争の要素を取り入れることで、組織の効率性を高める、という目的であったわけである。
この改革は、市場競争により「効率」という要素がNHSに加わったという一定の成果は見られた。ところが、一方で、これにより地域差、組織差が拡大し、医療や保健指標が悪化してしまったのである。すなわち、端的に言えば、NHS創設以前の、ある一部の人が得するような状況になり、当然これはその他の人の健康の悪化を意味する。
そこで二つ目の注目する点が1997年に政権が始まったブレア現首相(労働党)の医療制度改革である。ブレア首相は以上の状況を踏まえて、20年近い保守党優位の時代の後、鉄道改革と医療制度改革を二本の改革の柱にして、久しぶりの労働党政権を打ち立てたが、その政策の内容は従来の労働党の政策からは一線を画して現実的な内容になっている。
この改革の詳しい内容は追って説明していくが、原則的には市場経済的要素が医療制度に与えた功罪を踏まえて、「市場経済ではなく、システムとして医療の質と安全が改善するような機構を作る」ことで、改革を目指している。この改革の成果は最近じわじわと目に見える形になってきている。
どこかの国の状況にそっくりな部分がないだろうか。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
この病院、1828年にロンドンの東部(昔は中心がこの辺りだったので、いまでもシティと言われている。)にある「ハットン・ガーデン」という地域に設立された。ハットンという名前はエリザベス1世の時代の大法官であったハットン卿から来ている。16世紀にはハットン卿の建てた邸宅など、きれいな地域だったらしいが、その後下り坂になり、病院ができる頃にはスラム街と化していたらしい。
蛇足であるが、筆者の勤める病院の兄弟病院である聖バーソロミュー病院がすぐそばにあるこの辺り、散歩してみるといろいろ発見がある。ディケンズの家からローマ時代の壁がある辺りまで、あまり観光客のいない路地裏めぐりは通のおすすめである。
さて閑話休題、もともとこの病院、ウィリアム・マーズデンという外科医が、この辺りで貧しさのために医療の受けられない女の子を見たことをきっかけに作り、数年後に名前を「ロンドン無料病院」とした。その後、ビクトリア女王がパトロンとなったために王立無料病院と名前を代えた。名前の通り、貧しくても無料で受診できる、ボランティア的病院であった。(英国の主要な病院は王室のメンバーがパトロンになるのは今も変わらない。)
1832年のコレラ大流行の時にはこの病院が唯一、患者を受け入れたらしい。これは疫学の父、ジョン・スノウがロンドンのソーホー地区を中心としたコレラの大流行からコレラの感染経路が水であることを発見した20年ほど前のことになる。また後に医学校が併設されてからのことであるが、はじめて女性の学生を受け入れた、といろいろ逸話の残る病院である。
とはいえ、病院の運営はすべてボランティアを基本にしていたので、患者はいつもあふれているが、いつも人不足、資金不足とすべてがうまく行っていたわけではない。その裏で、全体としてはお金を持っている人がよりいい医療が受けられるという状態があった。
第二次世界大戦を経て、1948年に英国の国立保健サービス(NHS: National Health Service)が発足した。地域に家庭医がおり、日常的な診療を行い、複雑な病気の場合には、家庭医の紹介によってはじめて病院を受診する、また医療は原則的に無料で提供されるなど、当時の制度も現在の医療制度と大きな骨組みは変わらない。
設立には英国の政治も大きく影響している。有名な保守党の故チャーチル元首相から戦争終了と時期を前後して、左派の労働党政権樹立となった。左派の政権が社会主義的な医療制度設立に大きく影響したことは容易に想像できることである。
その後、保守党政権、労働党政権と政権が変わりつつ、調整や改革が繰り返されながら、現在までに至っている。この後半の歴史で注目するべき点が二つある。
一つは1979年に政権が始まったサッチャー元首相(保守党)の医療制度改革である。医療の進歩とともに、医療にかかる予算が急激に国家予算を逼迫するようになっていた。このような状況を踏まえた大きな改革として、内部市場(internal market)の創生が挙げられる。
簡単に言ってしまえば、国の医療制度に属する組織を、医療という商品を提供する側(provider)とその商品を買う側(purchaser)に分け、とくに提供側の独立度を強めたわけである。もちろん完全な市場化ではないが、市場的な競争の要素を取り入れることで、組織の効率性を高める、という目的であったわけである。
この改革は、市場競争により「効率」という要素がNHSに加わったという一定の成果は見られた。ところが、一方で、これにより地域差、組織差が拡大し、医療や保健指標が悪化してしまったのである。すなわち、端的に言えば、NHS創設以前の、ある一部の人が得するような状況になり、当然これはその他の人の健康の悪化を意味する。
そこで二つ目の注目する点が1997年に政権が始まったブレア現首相(労働党)の医療制度改革である。ブレア首相は以上の状況を踏まえて、20年近い保守党優位の時代の後、鉄道改革と医療制度改革を二本の改革の柱にして、久しぶりの労働党政権を打ち立てたが、その政策の内容は従来の労働党の政策からは一線を画して現実的な内容になっている。
この改革の詳しい内容は追って説明していくが、原則的には市場経済的要素が医療制度に与えた功罪を踏まえて、「市場経済ではなく、システムとして医療の質と安全が改善するような機構を作る」ことで、改革を目指している。この改革の成果は最近じわじわと目に見える形になってきている。
どこかの国の状況にそっくりな部分がないだろうか。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
2008年1月13日日曜日
英国の医療制度
英国の医療制度、表と裏
英国の医療制度(NHS:National Health Service)は英国人の誇りである。戦後にはじまったこの制度は、「ゆりかごから墓場まで」を標語に、英国に住む人にはだれでも無料で医療サービスを提供する、社会主義的な制度である。医療の資本主義化が進んだアメリカの医療制度とよく対比される。この英国の医療制度を裏の部分を垣間見ていても、現在進んでいる医療制度改革を考えると、この社会主義的精神が医療を支えることそのものは根本的には間違っていないと感じる。
医療が病人(弱者)を救うという基本に立ち戻るなら、医療制度というものは社会主義的であるべきである一方で、制度や組織というものがさまざまな人の集まりから繰り出される「サービス」という要素がある限り、競争や人々のやる気を喚起するシステムも必要である。制度の哲学ということともに、システムが効率よく動いていくためにはどうするべきか、という裏と表両方の影響を考えながら議論されるべきである。
NHSという言葉を聞いたときの反応は人によってずいぶん違う。その社会主義精神を賞賛する医療制度学者も多いが、英国在住の日本人に聞くと概ね、憤慨や落胆した経験談が帰ってくる。
英国で受診する際は、開業医であれ、病院であれ、原則無料である。原則と書いたのは、たとえばメガネは払わないといけないし、処方代といって、薬を出してもらったら処方ごとに千円ぐらい払うことになる。また歯科の場合は治療費の一部負担である。それでも払う必要があるのはこんなところだから、「医療を無料で提供している」と言っても語弊はないと思う。
この財源の多くは国民の税金から賄われている。税金を払っていない英語学校で勉強する学生さん達もこの恩恵に預かることができる。その分、税金は高い。私などもロンドンの生活費は高い上に給料の三分の一以上、税金に持っていかれるので悲しい限りである。
国民みなが無料で医療を受けることができて、なおかつ英国の人口動態が日本ほどではないにしても高年齢化していることを考えれば、財源は膨大ではないか・・・と考える人もいるかもしれない。実は反対である。先進七カ国内の比較で、国内総生産比で英国の医療費はもっとも低い。(ちなみに日本は第二番目に低い)
無料で医療が受けられて、しかも国全体としての医療費が低く抑えられているでは、理想的ではないか。しかし、その現実は大きく違う。
開業医さんに診てもらおうと思っても予約が取れたのは5日後で受診時には症状がなくなっていたとか、慢性の病気で比較的大きな病院にかかっているが、半年ごとに担当医が代わって言うことも治療方針も代わるとか、夜に救急外来に受診したら、なんだかんだと診察してもらうのに翌朝まで待たされたとか、不満を挙げだしたらきりがない。ロンドンで救急外来に行くぐらいなら、ユーロトンネルを通って電車でパリに行ったほうがよっぽどはやく診てもらえる、という笑えない冗談もあるぐらいである。手術をしてもらうのに載る「待機リスト」も有名な話で、手術によっては受けるという決断をしてから年単位で待たないといけない、というようなものまである。
実際に働く医師の立場から行っても、あまりに多くの国から医師が輸入されており、受けてきた医師達の経験・技術レベルは大きく違い、治療方針を統一化しようとしても、きめの細かい治療は期待できない。看護師もコメディカルも同じである。
日本と比べると、医師の勤務体制は良いものの、逆に担当医師が代わりつづけ、それを監督する医師はあまり病棟や外来で見かけないという状態が、ひとりひとりの患者の治療にとっていい訳がない。現場としては悲惨な状態である。
では英国のこの医療制度も欠点だらけで参考にならないのだろうか。
英国では、医療制度改革が現在進行中である。社会主義的な制度に資本主義的な「競争」の要素を取り込んだ、サッチャー元首相の医療制度改革は思いのほか成果が上がらなかったが、現ブレア首相下の医療制度改革はこの社会主義的制度のよさを保ちながら、いかに「医療の質と安全」を向上させるか、ということ目指して、様々な工夫が凝らされている。単に社会主義対資本主義という対比とバランスの構造を超えて、医療の質、安全性と効率をシステムの中で改善するという実験は注目に値する。上記に挙げた問題点に関してはもうすでに対策が始まっており、成果も見えはじめている。
以上に挙げた問題点というのは日本でも大なり小なり見られる問題点であり、英国がこれらを解決していく様子は、日本にとって貴重な情報であることは間違いない。この連載の中で、この工夫の部分を様々な角度から紹介するつもりである。英国医療の裏と表を見ていただき、日本の医療をより良いものにしていく上でなにかの参考になることを願っている。期待いただきたい。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
英国の医療制度(NHS:National Health Service)は英国人の誇りである。戦後にはじまったこの制度は、「ゆりかごから墓場まで」を標語に、英国に住む人にはだれでも無料で医療サービスを提供する、社会主義的な制度である。医療の資本主義化が進んだアメリカの医療制度とよく対比される。この英国の医療制度を裏の部分を垣間見ていても、現在進んでいる医療制度改革を考えると、この社会主義的精神が医療を支えることそのものは根本的には間違っていないと感じる。
医療が病人(弱者)を救うという基本に立ち戻るなら、医療制度というものは社会主義的であるべきである一方で、制度や組織というものがさまざまな人の集まりから繰り出される「サービス」という要素がある限り、競争や人々のやる気を喚起するシステムも必要である。制度の哲学ということともに、システムが効率よく動いていくためにはどうするべきか、という裏と表両方の影響を考えながら議論されるべきである。
NHSという言葉を聞いたときの反応は人によってずいぶん違う。その社会主義精神を賞賛する医療制度学者も多いが、英国在住の日本人に聞くと概ね、憤慨や落胆した経験談が帰ってくる。
英国で受診する際は、開業医であれ、病院であれ、原則無料である。原則と書いたのは、たとえばメガネは払わないといけないし、処方代といって、薬を出してもらったら処方ごとに千円ぐらい払うことになる。また歯科の場合は治療費の一部負担である。それでも払う必要があるのはこんなところだから、「医療を無料で提供している」と言っても語弊はないと思う。
この財源の多くは国民の税金から賄われている。税金を払っていない英語学校で勉強する学生さん達もこの恩恵に預かることができる。その分、税金は高い。私などもロンドンの生活費は高い上に給料の三分の一以上、税金に持っていかれるので悲しい限りである。
国民みなが無料で医療を受けることができて、なおかつ英国の人口動態が日本ほどではないにしても高年齢化していることを考えれば、財源は膨大ではないか・・・と考える人もいるかもしれない。実は反対である。先進七カ国内の比較で、国内総生産比で英国の医療費はもっとも低い。(ちなみに日本は第二番目に低い)
無料で医療が受けられて、しかも国全体としての医療費が低く抑えられているでは、理想的ではないか。しかし、その現実は大きく違う。
開業医さんに診てもらおうと思っても予約が取れたのは5日後で受診時には症状がなくなっていたとか、慢性の病気で比較的大きな病院にかかっているが、半年ごとに担当医が代わって言うことも治療方針も代わるとか、夜に救急外来に受診したら、なんだかんだと診察してもらうのに翌朝まで待たされたとか、不満を挙げだしたらきりがない。ロンドンで救急外来に行くぐらいなら、ユーロトンネルを通って電車でパリに行ったほうがよっぽどはやく診てもらえる、という笑えない冗談もあるぐらいである。手術をしてもらうのに載る「待機リスト」も有名な話で、手術によっては受けるという決断をしてから年単位で待たないといけない、というようなものまである。
実際に働く医師の立場から行っても、あまりに多くの国から医師が輸入されており、受けてきた医師達の経験・技術レベルは大きく違い、治療方針を統一化しようとしても、きめの細かい治療は期待できない。看護師もコメディカルも同じである。
日本と比べると、医師の勤務体制は良いものの、逆に担当医師が代わりつづけ、それを監督する医師はあまり病棟や外来で見かけないという状態が、ひとりひとりの患者の治療にとっていい訳がない。現場としては悲惨な状態である。
では英国のこの医療制度も欠点だらけで参考にならないのだろうか。
英国では、医療制度改革が現在進行中である。社会主義的な制度に資本主義的な「競争」の要素を取り込んだ、サッチャー元首相の医療制度改革は思いのほか成果が上がらなかったが、現ブレア首相下の医療制度改革はこの社会主義的制度のよさを保ちながら、いかに「医療の質と安全」を向上させるか、ということ目指して、様々な工夫が凝らされている。単に社会主義対資本主義という対比とバランスの構造を超えて、医療の質、安全性と効率をシステムの中で改善するという実験は注目に値する。上記に挙げた問題点に関してはもうすでに対策が始まっており、成果も見えはじめている。
以上に挙げた問題点というのは日本でも大なり小なり見られる問題点であり、英国がこれらを解決していく様子は、日本にとって貴重な情報であることは間違いない。この連載の中で、この工夫の部分を様々な角度から紹介するつもりである。英国医療の裏と表を見ていただき、日本の医療をより良いものにしていく上でなにかの参考になることを願っている。期待いただきたい。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
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