前回紹介したNICE(National Institute of Health and Clinical Excellence)http://www.nice.org.uk/)の仕事は政策作りにも近いということもあり、また英国では分娩や出産といった周産期に関連した分野は他の分野に比べてとても政治活動が熱心であることもあり、保健に関連して英国の政治の様子を垣間見ることがある。
中でも英国議会・平民院(例のビッグベンのある建物である)で1年に4回開かれる、APPG (All Party Parliamentary Group)という会議はとても面白いので、いつも参加することにしている。
このAPPGという集まりは、保健医療の各分野それぞれ、携わる学会、慈善団体、患者団体、大学や研究所など国中の様々な組織からの代表と、英国の保健医療のその分野を専門とする国会議員、保健省にてその分野を担当する官僚達が、定期的に議会内で会合を持ち、意見交換する場である。私は、たまたま出産に関する診療ガイドラインを担当しているので、妊娠出産に関するグループにいつも招待を受ける。
私自身は、もともと新生児科医であるということもあるし、政策立案途中での守秘義務ということもあるので、傍観者であることが多く、逆に観察しながら、いろいろ新しい発見をさせていただいている。
分野によって、その活動の熱心さは違うのだが、私の入っている出産に関するグループはとても熱心であると聞いている。国中の最前線の現場で働いている専門家や、患者代表達の真剣な質問に、国会議員がこれまた真剣に質問に答える様は圧巻である。
質問する機会なども公平に与えられる。そもそもこういう形で政策に影響する機会が与えられるということも驚きに値するが、最も感銘を受けるのが、議員の受け答え時の態度である。
英国の国会議員というのはとてもよく勉強している。少なくともそう見える。豊富な知識を持ち、必ず自分の言葉で質問に答えている。しゃべる口調、相手への目線、そういったものも、訓練されたものなのかどうかは分からないにしても、横から見ていると感心してしまう限りである。
私のような診療ガイドラインの作成者でも、作成発表前にはメディア・トレーニングと言ってみな(特にマスコミ)の前に出て話すときに注意することなどの訓練を受けるので、おそらく、訓練の賜物もあるだろうが、それにしても内容についてもよく勉強していると感心するので、単にそういった付け刃でない努力もしているのだろうと思う。
蛇足であるが、決定権を持たない貴族院の質疑応答を見ていても、実に真剣である。選挙によって選ばれないため決定権を持たないながらも、さまざまな質問をすることで、正しい方向に向かっているかどうかを検証する良い機会になっている。もっとも儀式的なことや装飾が多いのも事実だが…。
もちろん政治であるから、いろいろ裏では難しい点があるだろうと想像はするのだが、それでも、質問者の方はちゃんと聞いてもらったという印象は残るであろうと思う。
さて、保健医療政策における政治家の役割とは何なのだろうかとよく考えさせられる。
考えれば、世の中の多くのことが「バランス」によって成り立っている。保健医療政策をすべて資本主義化してしまえば、どうなるであろうか。すべてが経済効率のみで語られていくようになると、極端のその向こうに見えるものは、弱者切り捨てである。
少し語弊があるかもしれないが、老人や小さい子ども、障害者など、医療やケアにお金がかかる割には生産性の低い社会的あるいは保健的弱者にお金をかけるのは、経済効率が悪いということになる。
一方で、保健医療制度を今度は完全社会主義化し、一律すべて無料化し、すべての人にどんなに高額でも平等に最先端の医療を提供するようにすれば、どうなるであろうか。もちろん、国が破産してしまう。
また、さらに完全社会主義化は英国の過去の歴史にもあるように、制度疲弊を起こし、非効率化ということ、さらには質の低下にもつながっていく。
国には、個人と同様に資産や資源は一定しかない。ある一定の収入しかない場合に、どこにどれだけお金を使うかというのは難しい課題であるが、個人レベルでも、国レベルでも毎日のように自問自答しなければいけない問題である。
保健制度というのは商業や通常の産業と違い、お金を増やすことを目的としていない。疾病の根絶と、人々の健康の増進である。教育制度も似たような性格がある。
保健医療の特殊性を理解した上で、要は、できるだけ、持っている資源を効率よく、平等に使って医療サービスを提供していくために、上記の自由主義と社会主義のバランスを上手に保ちながら、新しく得た知識を得て、そのバランスを前に(もしくは高いレベルへ)進めていく努力が必要となる。それが、私の理解している「第三の道」である。
こういうバランスを取るとともに、レベルを上げていく努力こそ、政治の主導を必要としている部分である。なぜなら、その難しいバランスこそ、国民の総意に基づくべきだからである。そのためには、国民そのものが、この難しいバランスを理解し、それぞれの立場なりに、考えた上で、1票を投じる必要があるわけで、もし政治家が問題であるとすれば、それを選んでいる国民の問題である。
英国でもこのような形で理想的に民主主義がいつも働いているわけではない。政権の裏で隠しながら物事が進んでいくこともあるし、個別の利益を誘導している政治家も存在する。
一方で、国民一人ひとりの中に(社会の階層にもよるが)政治意識が強く、個人主義に基づく民主主義の理解が幅広いを感じる部分もある。
町内会でもしょっちゅう、細かい話で(例えば近くの公園に柵を付けるべきかどうかとか、近くにマンションを立つかどうかというような)皆の話し合いを見ていても、このような民主主義が根付いているように感じる。
政治や政府の在り方というのは、その国やその共同体を構成している人々そのものを反映しているという、考えれば当たり前のことがとても強く感じられる。
そんなことを思いながら、議員の質疑応答の様子を見ていると、なかなか面白い。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
森臨太郎の考え方。オーストラリア、イギリス、ネパール、世界保健機関など、さまざまな場で、診療・政策に携わる。持続可能な社会と医療のあり方を追求している。成育医療センター政策科学研究部長・京都大学教授
2008年10月11日土曜日
2008年10月7日火曜日
ナイス!なガイドライン
英語で「良い」という場合には様々な言葉を使い分けるgoodやnice、excellent、brilliant、fine、などなどいろいろあるが、すべて微妙に違う。Niceという言葉は、普通に良いときにも使うのだが、人を指して、「優しい」だとか、「親切」、「人当たりがいい」というような意味で使う場合も多い。ちなみにExcellentというのは単に良い、悪いではなく、非常に優れているという場合に使う。
NICE(National Institute of Health and Clinical Excellence)http://www.nice.org.uk/ は、ブレア政権の保健医療改革の目玉として設置された、国民医療サービス(NHS)内にある独立組織である。主な仕事は、ある一定の病気や症状に関連した診療指針を作成する「診療ガイドライン・プログラム」、一つの医療技術に関してその医療効果や経済効果をまとめる「診療技術評価プログラム」、それから上記二つとはアプローチが多少異なるため、手術や手技に関する効果などをまとめる「介入的手技プログラム」を三つの柱としている。最も大きな仕事は、いわずと知れた診療ガイドライン・プログラムである。2005年より、一般の診療行為に限らず、公衆衛生的な施策、たとえば国民の健康に関連した食生活はどうかなどに関しても、ガイドラインを作成するようになった。
なぜ診療ガイドライン作りが保健医療制度改革の目玉になり得るのだろうか。
誤解を恐れずに単純に書く。NHSはすべて税金で賄われ、診療を受けるのはすべて無料という極めて社会主義的な制度として始まった。その後、時間とともに組織疲弊を起こし、非効率化、質の低下が問題となっていった。サッチャー政権時の自由主義化改革により、一部の地域の効率は上がったものの、質の向上にはつながらず、地域格差を生む結果となった。以上の歴史から、現政権にとって、医療の効率を上げつつ、質も向上させ、全体の標準化を図ることというのが当然の目標となったわけである。
もちろん、医療というのは各病気や状態に対する診療の集合体としてあるわけだから、それぞれの病気・病態に応じた最も良い診療行為というのはあるはずである。その現在考えられる最も良い診療行為、というものを考えてみようというのが診療ガイドラインである。
具体的には、まず今まで膨大になされてきた臨床研究をまとめ、研究の成果ではどこまで分かっているかということを検討する。また、これと同時に、その診療行為の国全体としての経済的なインパクトや、経済効率(どれだけのお金がかかる診療行為で、どれだけの効果が上がるか)に関して、しっかりとした経済分析も行われるのもNICEの診療ガイドラインの特徴である。多くの診療行為は、実は臨床研究に基づいているわけでなく、長い医学の経験の歴史の中から見つけられてきたことも多いので、臨床研究をまとめるだけでは不十分である。また、すべてのことが経済効率だけで筋が通るわけがなく、これだけではいけないのは当然だ。
そこで、実際に診療行為をしている様々な分野の医師や看護師、心理学者、一般の患者などに集まってもらい、臨床研究のまとめと経済分析の結果を検討してもらった上で、自分達の専門家としての知識・経験に照らし合わせて議論をしてもらい、これが今考えられる最適の診療行為であろうというものを考え作ってもらう。ここに一般患者が「患者という視点で見る専門家」として参加しているのはNICEの大きな特徴である。
作ってもらったものを今度は、インターネットで公開し、各学会から患者団体に至るまで、関心ある人すべての意見を募集する。その意見一つひとつをしっかりと検討した上で、必要に応じていったん作った最適な診療行為を書き直したりして、最終的にこれが最適な診療行為ではないだろうかというのものを作成し、再度インターネットに公開する。
しかし、同じ病名がついていても、患者さん個人個人の状態というのは必ず違うものである。なので、診療ガイドラインというのはあくまでも参考にすべきものであって、順守するものではない。これは絶対の原則である。
では国として、これだけお金をかけて、誰も守らないのでは意味が無いのでは?という質問を良く受ける。
実は拘束力はないにも関わらす、NICEの診療ガイドラインは大きな影響を及ぼし、一つのガイドラインが出るたびに各新聞がトップで取り上げ、国中の専門家がその動向を注目している。写真は私の担当しているガイドラインに関して、新聞社に情報を漏らされ、挙句の果てに見当違いの方向で書かれてしまった例である。いつも正しい情報が行くとは限らないが、スパイじみた取材をするほど内容に関心が高いのも事実である。こういうように国民レベルで関心を呼び、内容が大きく影響され、実際の診療を変えることになるというのも事実である。
これには幾つか理由がある。
まず第一に、「国」の作った診療ガイドラインであり、診療ガイドラインの内容そのものは法律でもなければ、拘束力もないが、当然ながら、保健省としても出来上がったものにお墨付きを与えるわけで、国の予算は診療ガイドラインの進める方向に沿うわけである。
第二に、各トラスト(病院運営母体)は第三者機関から評価を受け、その結果は公開されるし、政府の方針へもかかわってくる。この評価項目そのものに診療ガイドラインは入らなくても、診療ガバナンスへの努力は当然ながら評価される。診療ガイドラインは診療ガバナンスの重要な柱の一つなので、当然、診療ガイドラインを押さえていることは間接的に評価につながるわけである。
第三に、一般・患者さんの側の関与である。患者さん側の関与により、患者団体を通して、関心が高まるということもあるが、さらに重要なのは、一般の患者が、NICE診療ガイドラインの存在を知っており、自分や知り合いが何らかの診断を受けたり、症状を持つ場合、そのガイドラインから情報を手に入れていることも多いという点である。そのためNICEの診療ガイドラインでは必ず、分かりやすい言葉で書かれた一般用のガイドラインがすべてのガイドラインそれぞれに付属して存在している。日常診療の中で、家庭医側、患者側双方が、一般的、あるいは標準的な診療がどんなものかということをNICEの診療ガイドラインから情報を得ているわけである。
第四に、経済分析が必ず含まれていることである。治療効果がはっきりとあると研究の結果から分かっているものであっても、たいへん高額であるにもかかわらず、その治療効果そのものは他のものに比べると少ないという治療法がある場合、本当にそれだけの高い設備投資なりをする価値があるのか、という点は病院経営者にとっても切実な問題である。そのとき、「儲かるから」ではなく、「得られる治療効果が設備投資に比してどうか」という点が重要である。社会主義的運営母体を持つ英国の保健制度だからこそ、「儲かるから」ではなく「最大多数の人に最大幸福(健康)が得られるから」という考えに基づいて、進めていけるわけである。
第五に、方法論の内容に対しての信用である。できるだけ客観的な臨床研究の結果を検討した上で、どこかの学会だけの独占でなく、様々な科の医師、さまざまな場所で働く看護師、医療に関与するその他の専門家達、一般の患者代表、そのすべての人に発言権が与えられ、一般公開の際には極言すれば英国国民であれば、だれでも意見することができる。こういった透明性、客観性をできるだけ確保し、民主的な方法で出てきた結論をみんなで守ろうとするのは民主主義の基本理念である。それを支えるのは、ガイドラインの作成過程に対する信用であると思う(私自身も関与しているので、少々手前味噌であるが…)。
まだまだあるが、英国でのNICEの診療ガイドラインのあり方というのは、一般的な診療ガイドラインのあり方とは少し異なり、国の政策に非常に近い位置を占めているということが、その性格、影響力を決めているわけである。
中でも注目に値するのは、一般社会との知識の共有により、よりよいものを探していくという態度と、最大多数の最大幸福という全体の利益のためにする義務とともに個人としての自由と権利がある、という本物の個人主義の在り方が根底にあることである。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
NICE(National Institute of Health and Clinical Excellence)http://www.nice.org.uk/ は、ブレア政権の保健医療改革の目玉として設置された、国民医療サービス(NHS)内にある独立組織である。主な仕事は、ある一定の病気や症状に関連した診療指針を作成する「診療ガイドライン・プログラム」、一つの医療技術に関してその医療効果や経済効果をまとめる「診療技術評価プログラム」、それから上記二つとはアプローチが多少異なるため、手術や手技に関する効果などをまとめる「介入的手技プログラム」を三つの柱としている。最も大きな仕事は、いわずと知れた診療ガイドライン・プログラムである。2005年より、一般の診療行為に限らず、公衆衛生的な施策、たとえば国民の健康に関連した食生活はどうかなどに関しても、ガイドラインを作成するようになった。
なぜ診療ガイドライン作りが保健医療制度改革の目玉になり得るのだろうか。
誤解を恐れずに単純に書く。NHSはすべて税金で賄われ、診療を受けるのはすべて無料という極めて社会主義的な制度として始まった。その後、時間とともに組織疲弊を起こし、非効率化、質の低下が問題となっていった。サッチャー政権時の自由主義化改革により、一部の地域の効率は上がったものの、質の向上にはつながらず、地域格差を生む結果となった。以上の歴史から、現政権にとって、医療の効率を上げつつ、質も向上させ、全体の標準化を図ることというのが当然の目標となったわけである。
もちろん、医療というのは各病気や状態に対する診療の集合体としてあるわけだから、それぞれの病気・病態に応じた最も良い診療行為というのはあるはずである。その現在考えられる最も良い診療行為、というものを考えてみようというのが診療ガイドラインである。
具体的には、まず今まで膨大になされてきた臨床研究をまとめ、研究の成果ではどこまで分かっているかということを検討する。また、これと同時に、その診療行為の国全体としての経済的なインパクトや、経済効率(どれだけのお金がかかる診療行為で、どれだけの効果が上がるか)に関して、しっかりとした経済分析も行われるのもNICEの診療ガイドラインの特徴である。多くの診療行為は、実は臨床研究に基づいているわけでなく、長い医学の経験の歴史の中から見つけられてきたことも多いので、臨床研究をまとめるだけでは不十分である。また、すべてのことが経済効率だけで筋が通るわけがなく、これだけではいけないのは当然だ。
そこで、実際に診療行為をしている様々な分野の医師や看護師、心理学者、一般の患者などに集まってもらい、臨床研究のまとめと経済分析の結果を検討してもらった上で、自分達の専門家としての知識・経験に照らし合わせて議論をしてもらい、これが今考えられる最適の診療行為であろうというものを考え作ってもらう。ここに一般患者が「患者という視点で見る専門家」として参加しているのはNICEの大きな特徴である。
作ってもらったものを今度は、インターネットで公開し、各学会から患者団体に至るまで、関心ある人すべての意見を募集する。その意見一つひとつをしっかりと検討した上で、必要に応じていったん作った最適な診療行為を書き直したりして、最終的にこれが最適な診療行為ではないだろうかというのものを作成し、再度インターネットに公開する。
しかし、同じ病名がついていても、患者さん個人個人の状態というのは必ず違うものである。なので、診療ガイドラインというのはあくまでも参考にすべきものであって、順守するものではない。これは絶対の原則である。
では国として、これだけお金をかけて、誰も守らないのでは意味が無いのでは?という質問を良く受ける。
実は拘束力はないにも関わらす、NICEの診療ガイドラインは大きな影響を及ぼし、一つのガイドラインが出るたびに各新聞がトップで取り上げ、国中の専門家がその動向を注目している。写真は私の担当しているガイドラインに関して、新聞社に情報を漏らされ、挙句の果てに見当違いの方向で書かれてしまった例である。いつも正しい情報が行くとは限らないが、スパイじみた取材をするほど内容に関心が高いのも事実である。こういうように国民レベルで関心を呼び、内容が大きく影響され、実際の診療を変えることになるというのも事実である。
これには幾つか理由がある。
まず第一に、「国」の作った診療ガイドラインであり、診療ガイドラインの内容そのものは法律でもなければ、拘束力もないが、当然ながら、保健省としても出来上がったものにお墨付きを与えるわけで、国の予算は診療ガイドラインの進める方向に沿うわけである。
第二に、各トラスト(病院運営母体)は第三者機関から評価を受け、その結果は公開されるし、政府の方針へもかかわってくる。この評価項目そのものに診療ガイドラインは入らなくても、診療ガバナンスへの努力は当然ながら評価される。診療ガイドラインは診療ガバナンスの重要な柱の一つなので、当然、診療ガイドラインを押さえていることは間接的に評価につながるわけである。
第三に、一般・患者さんの側の関与である。患者さん側の関与により、患者団体を通して、関心が高まるということもあるが、さらに重要なのは、一般の患者が、NICE診療ガイドラインの存在を知っており、自分や知り合いが何らかの診断を受けたり、症状を持つ場合、そのガイドラインから情報を手に入れていることも多いという点である。そのためNICEの診療ガイドラインでは必ず、分かりやすい言葉で書かれた一般用のガイドラインがすべてのガイドラインそれぞれに付属して存在している。日常診療の中で、家庭医側、患者側双方が、一般的、あるいは標準的な診療がどんなものかということをNICEの診療ガイドラインから情報を得ているわけである。
第四に、経済分析が必ず含まれていることである。治療効果がはっきりとあると研究の結果から分かっているものであっても、たいへん高額であるにもかかわらず、その治療効果そのものは他のものに比べると少ないという治療法がある場合、本当にそれだけの高い設備投資なりをする価値があるのか、という点は病院経営者にとっても切実な問題である。そのとき、「儲かるから」ではなく、「得られる治療効果が設備投資に比してどうか」という点が重要である。社会主義的運営母体を持つ英国の保健制度だからこそ、「儲かるから」ではなく「最大多数の人に最大幸福(健康)が得られるから」という考えに基づいて、進めていけるわけである。
第五に、方法論の内容に対しての信用である。できるだけ客観的な臨床研究の結果を検討した上で、どこかの学会だけの独占でなく、様々な科の医師、さまざまな場所で働く看護師、医療に関与するその他の専門家達、一般の患者代表、そのすべての人に発言権が与えられ、一般公開の際には極言すれば英国国民であれば、だれでも意見することができる。こういった透明性、客観性をできるだけ確保し、民主的な方法で出てきた結論をみんなで守ろうとするのは民主主義の基本理念である。それを支えるのは、ガイドラインの作成過程に対する信用であると思う(私自身も関与しているので、少々手前味噌であるが…)。
まだまだあるが、英国でのNICEの診療ガイドラインのあり方というのは、一般的な診療ガイドラインのあり方とは少し異なり、国の政策に非常に近い位置を占めているということが、その性格、影響力を決めているわけである。
中でも注目に値するのは、一般社会との知識の共有により、よりよいものを探していくという態度と、最大多数の最大幸福という全体の利益のためにする義務とともに個人としての自由と権利がある、という本物の個人主義の在り方が根底にあることである。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
2008年10月6日月曜日
患者・一般参画 (PPI: Patient and Public Involvement)
地下鉄では乗客がみな新聞を読んでいる、というのがロンドンの毎朝の風景である。騒音があまりにうるさくて新聞を読むぐらいしかできないということもあるが、政治に関心の強い国民性もある…というのはこじつけだろうか。英国で仕事をしていると、何気ないときに「政治に関心の強い国民性」を感じることが多い。こうした政治への関心の高さが、実は患者・消費者の積極的な政策決定への参加に影響しているのではないだろうかと筆者は考えている。
患者・一般参画という言葉はブレア政権の目玉、英国保健制度改革でのキーワードのひとつである。2001年に発効された医療・社会ケア法(the Health and Social Care Act)にて、すべての英国国立保健サービス(NHS: National Health Service)の病院運営母体(トラスト)は、その方針決定に患者・一般代表の参画が義務付けられた。ブレア政権も長期化し、この患者・一般参画ということも末端まで浸透してしてきた。今ではどこに行っても、病院運営における方針決定場面で患者消費者代表の存在をごく当たり前のように感じるようになってきた。
私は今、NICE(National Institute of Health and Clinical Excellence)という国立保健サービス内の組織の下で、母子保健分野の診療ガイドライン作りに携わっている。NICEの診療ガイドラインはなかなか斬新な方法で作っていると、世界の注目を集めている。その特徴の一つがこの患者・消費者参加で、上に挙げた患者・一般参画という動きの一つである。
「患者・消費者参加といっても形だけで、患者・消費者の方と一緒に作ったのだと宣伝するために参加するだけで、実際の発言力はない、ということはないですか」という質問を受けたことがある。こういう質問の背景にある、患者・消費者の味方の「ふり」をする政治的な輩がどこの国にも少なからずいるものである。私がNICEの診療ガイドラインの作成過程で感じてきた患者・消費者参加は本物であると感じている。一方で、平等の権利、発言力でもって診療ガイドライン作りに患者・消費者の方に参加してもらう、というのは表面的に聞こえる以上に周到な準備と長い歴史が必要である。
周到な準備とはその患者・消費者代表の選び方と研修である。
NICEでは診療ガイドラインの内容が決まると同時に、それに参加する患者・消費者代表の方の公募が始まる。患者団体を通して応募する人も多いが、個人として応募する人も多い。「患者」としてその分野の診療にどのように携わってきたか、どのような経験があるか、どのような考えにあるか、決まった形式の応募用紙に、ワープロできっちりまとめてくる人から、手書きでびっしり書いてくる人までいろいろである。原則的には英国内に在住しておれば、応募する権利がある。
次は選考である。詳細な選考基準をつくるというのはなかなか難しい。実際には書いた文章からその人の背景が見えてくるし、そのガイドラインを作成するに当たって必要なのはどういう人かという像がはっきりしておれば、選考する側の意見が分かれて困るという経験は通常ない。選考時に電話面接を行うこともある。応募用紙や電話面接の内容から得た像から大きく外れた人物が当日現れる、ということはまれである。
選考が済んだら、次は研修である。医療というだけで特殊な言葉を使うことが多くなるが、科学的根拠に基づくガイドラインということもあって、会議中も書類中にも医療疫学の特殊な言葉も数多く使われる。こういった内容の理解を助けるための研修である。
こういった選考や研修も、患者・消費者代表の方を含めた会議の成功の重要な要素であるが、もう一つとても重要な要素がある。それが議長術である。実はこの議長術、単なる技術ではなく、それなりに長い歴史が必要である。
こういう診療ガイドライン作りが始まる前に、患者・消費者側だけでなく、議長にも研修を受けてもらう。過去に参加した患者・消費者代表が、何を困難と感じたか、どういうことをありがたいと感じたか、を伝える。また、あまり難しい術語が多くなると、やさしい言葉に替えるように注意をする。また、会議では状況に応じて一方的に話をする人を止めることも必要だし、発言の少ない人を促すことも時には必要である。会議の成功はこの議長術にかかっているといっても過言ではない。実際にこういったことにきっちりとした配慮のできる議長の進める会議に参加すると、自然に会議が流れ、患者・消費者代表も「普通」に参加しているように感じる。
なんだそんなこと分かっているし、普段からしている、という人もいるかもしれない。しかし、そういう人は英国でこのような会議に参加する機会があれば、ぜひ見学して欲しい。議長の一つ一つの細やかな配慮が、これしかないというタイミングで入り、会議が流れていく様子はまさに芸術のようである。私もこのような研修を受けたこともあるが、例えば声のトーンを少し変えること、誰に視線を合わせるか、といったような技術的なことから、意見を聞き入れること、会議の流れを読むこと、時には威厳を持って会議を止めること、そして議長が一方的な意見を持たないというような本質的なことまで、多岐にわたる。根底にあるのは違う背景を持った相手に敬意を払い、理解しようとするという当たり前のことに他ならない。個人個人がすべてしっかりとした意見を持ちながら、社会全体としても機能させるという英国流個人主義の歴史と無縁ではないと感じる。あまり英国を持ち上げたくはないが、やはり学ぶべきことも多いのも事実である。
あらためてNICEの診療ガイドライン作りを見るとと、やはり「患者・消費者側の視点」が診療ガイドラインの中に反映されていると確信する。とくにQOLや痛みに関すること、治療の選択など、個々の推奨のなかにこういった視点が静かな形で生かされていると思う。こういったバランスの取れた診療ガイドラインほど、現場が使いやすい、あるいは使いたくなるのは物の道理である。
重要な決定事項はそのサービスを受ける側も含めて話し合いをして決める、というのは考えればごく当たり前のことである。日本でも患者・消費者代表が参加して診療ガイドラインが作成されたと聞く。お隣のフランスでも同じように、患者・消費者代表が参加する診療ガイドライン作りが始まった。これからもこのような動きはますます拡大していくのではないだろうか。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
患者・一般参画という言葉はブレア政権の目玉、英国保健制度改革でのキーワードのひとつである。2001年に発効された医療・社会ケア法(the Health and Social Care Act)にて、すべての英国国立保健サービス(NHS: National Health Service)の病院運営母体(トラスト)は、その方針決定に患者・一般代表の参画が義務付けられた。ブレア政権も長期化し、この患者・一般参画ということも末端まで浸透してしてきた。今ではどこに行っても、病院運営における方針決定場面で患者消費者代表の存在をごく当たり前のように感じるようになってきた。
私は今、NICE(National Institute of Health and Clinical Excellence)という国立保健サービス内の組織の下で、母子保健分野の診療ガイドライン作りに携わっている。NICEの診療ガイドラインはなかなか斬新な方法で作っていると、世界の注目を集めている。その特徴の一つがこの患者・消費者参加で、上に挙げた患者・一般参画という動きの一つである。
「患者・消費者参加といっても形だけで、患者・消費者の方と一緒に作ったのだと宣伝するために参加するだけで、実際の発言力はない、ということはないですか」という質問を受けたことがある。こういう質問の背景にある、患者・消費者の味方の「ふり」をする政治的な輩がどこの国にも少なからずいるものである。私がNICEの診療ガイドラインの作成過程で感じてきた患者・消費者参加は本物であると感じている。一方で、平等の権利、発言力でもって診療ガイドライン作りに患者・消費者の方に参加してもらう、というのは表面的に聞こえる以上に周到な準備と長い歴史が必要である。
周到な準備とはその患者・消費者代表の選び方と研修である。
NICEでは診療ガイドラインの内容が決まると同時に、それに参加する患者・消費者代表の方の公募が始まる。患者団体を通して応募する人も多いが、個人として応募する人も多い。「患者」としてその分野の診療にどのように携わってきたか、どのような経験があるか、どのような考えにあるか、決まった形式の応募用紙に、ワープロできっちりまとめてくる人から、手書きでびっしり書いてくる人までいろいろである。原則的には英国内に在住しておれば、応募する権利がある。
次は選考である。詳細な選考基準をつくるというのはなかなか難しい。実際には書いた文章からその人の背景が見えてくるし、そのガイドラインを作成するに当たって必要なのはどういう人かという像がはっきりしておれば、選考する側の意見が分かれて困るという経験は通常ない。選考時に電話面接を行うこともある。応募用紙や電話面接の内容から得た像から大きく外れた人物が当日現れる、ということはまれである。
選考が済んだら、次は研修である。医療というだけで特殊な言葉を使うことが多くなるが、科学的根拠に基づくガイドラインということもあって、会議中も書類中にも医療疫学の特殊な言葉も数多く使われる。こういった内容の理解を助けるための研修である。
こういった選考や研修も、患者・消費者代表の方を含めた会議の成功の重要な要素であるが、もう一つとても重要な要素がある。それが議長術である。実はこの議長術、単なる技術ではなく、それなりに長い歴史が必要である。
こういう診療ガイドライン作りが始まる前に、患者・消費者側だけでなく、議長にも研修を受けてもらう。過去に参加した患者・消費者代表が、何を困難と感じたか、どういうことをありがたいと感じたか、を伝える。また、あまり難しい術語が多くなると、やさしい言葉に替えるように注意をする。また、会議では状況に応じて一方的に話をする人を止めることも必要だし、発言の少ない人を促すことも時には必要である。会議の成功はこの議長術にかかっているといっても過言ではない。実際にこういったことにきっちりとした配慮のできる議長の進める会議に参加すると、自然に会議が流れ、患者・消費者代表も「普通」に参加しているように感じる。
なんだそんなこと分かっているし、普段からしている、という人もいるかもしれない。しかし、そういう人は英国でこのような会議に参加する機会があれば、ぜひ見学して欲しい。議長の一つ一つの細やかな配慮が、これしかないというタイミングで入り、会議が流れていく様子はまさに芸術のようである。私もこのような研修を受けたこともあるが、例えば声のトーンを少し変えること、誰に視線を合わせるか、といったような技術的なことから、意見を聞き入れること、会議の流れを読むこと、時には威厳を持って会議を止めること、そして議長が一方的な意見を持たないというような本質的なことまで、多岐にわたる。根底にあるのは違う背景を持った相手に敬意を払い、理解しようとするという当たり前のことに他ならない。個人個人がすべてしっかりとした意見を持ちながら、社会全体としても機能させるという英国流個人主義の歴史と無縁ではないと感じる。あまり英国を持ち上げたくはないが、やはり学ぶべきことも多いのも事実である。
あらためてNICEの診療ガイドライン作りを見るとと、やはり「患者・消費者側の視点」が診療ガイドラインの中に反映されていると確信する。とくにQOLや痛みに関すること、治療の選択など、個々の推奨のなかにこういった視点が静かな形で生かされていると思う。こういったバランスの取れた診療ガイドラインほど、現場が使いやすい、あるいは使いたくなるのは物の道理である。
重要な決定事項はそのサービスを受ける側も含めて話し合いをして決める、というのは考えればごく当たり前のことである。日本でも患者・消費者代表が参加して診療ガイドラインが作成されたと聞く。お隣のフランスでも同じように、患者・消費者代表が参加する診療ガイドライン作りが始まった。これからもこのような動きはますます拡大していくのではないだろうか。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
2008年10月3日金曜日
診療ガバナンス
最近、ガバナンスという言葉が流行している。国際社会で汚職にまみれて機能していない政府を「ガバナンスが足りない」と言うようになったし、一般企業にお勤めなら「コーポレート・ガバナンス」という言葉を聞いたことがあると思う。英国の医療分野でも、「診療ガバナンス」という言葉が頻繁に聞かれる。昨今の英国保健制度改革のキーワードの一つでもある。
この診療ガバナンス、英国政府保健省の定義を意訳すると、「最適な医療を生み出すような環境を作り出すことで、継続的に医療における質を改善し、高い水準を保つようにするシステム」といったところだろうか。英国においては、この医療の質と安全に関連して、診療ガバナンスという概念がかなり末端まで浸透してきたと実感している。
例えば、英国では研修医であろうと、上級医師であろうと、職場を変わるときは面接がある。面接はする側も受ける側も人事担当者に監視されるので、真剣勝負である。その面接で、最近必ずと言ってもいいぐらい聞かれるのが「診療ガバナンスについてはどう思うか。今までこのためにどのようなことを努力してきたか」というようなことである。実は私も就職のときに聞かれた。「診療ガバナンス」は、英国で医師として働くからには絶対に避けて通れない言葉なのである。
では具体的にどんなことを指して、診療ガバナンスというのだろうか。例えば、これはとあるロンドン郊外の病院での実際の話である。運営側(英国の場合、病院の運営母体はトラストと言う)の方針で、小児部門に「診療ガバナンスの担当者」を設置することになり、上級小児科医師と上級看護師からなるチームが指名された。診療ガバナンスを実現するための四つの柱、つまり(1)リスク・マネージメント、(2)診療監査、(3)教育、(4)診療ガイドライン——について検討が重ねられた。
チームはまず、病院運営の利害関係者たちと話をすることにした(利害関係者分析という)。病院の理事長、院長、婦長、人事担当者、診療部長といった面々と個別に会い、関係者たちの考え方を調査し協力を求めた(実はこの話し合いは時間がかかっただけで、あんまり実にならなかったようである…)。
その次にしたことは、職員達との話し合いである(職員ワークショップ)。いろいろな職種・部門の職員達と計8回ほど、それぞれ2時間にわたる話し合いを持った。その後、各部門の上級職員たちと1対1の面接もした。こういう職員との対話の中で、診療に直接かかわることと、職員間の問題点が浮かび上がってきた。
診療に直接かかわることでは、診療ガイドラインや最新の科学的根拠などと照らし合わせて、日常の診断や治療に関して幾つかの問題が浮かび上がった。例えば、母乳率を改善する工夫をする余地があるとか、不要で行き過ぎた治療が行われている可能性がある、といったようなことである。また、職場の人間関係においても重要な発見があった。小児病棟の一部の看護職員が平等に扱われていないと感じていたり、職員間のコミュニケーションがうまくいっていなかったり…というようなことである。
一方で、6カ月間にわたり、小児病棟・新生児病棟に入院している児の親を対象に質問票を使った調査も実施した。この調査の中で、別の問題点も浮かび上がってきた。例えば、新生児病棟内で誰が上級看護婦か分かりづらいとか、救急外来から小児病棟に上がるまで繰り返し同じことを聞かれるとか、救急外来での待合室に関する不満などが指摘されたのである。
以上のことを踏まえて次の6つのプロジェクトが立ち上がった。
新生児病棟
1) 不必要な新生児病棟への入院を減らし、こういった児の産科病棟でのケアを促進すること
2) CPAP(持続性陽圧呼吸療法)を受けている児に関して、不要な治療がないか検討し、早期退院を促進すること
3) 低出生体重児を対象にカンガルーケアを導入することで、母乳哺育を促進すること
小児病棟
1) 3つある小児病棟間で、適性を考えた看護職員の配置を再度検討すること
2) 救急外来より小児病棟入院までの繰り返しの仕事を無くし、迅速な入院を促進すること
3) 開業医より紹介されてきた、「入院扱い」として救急外来で診られている児の取り扱いに関して、再度検討すること
これらのプロジェクトが導入されていくにつれ、病院内に好意的な雰囲気が見られるようになった。母乳率の大幅な向上など実際の診療内容もさることながら、異職種間のチームワークや、コミュニケーション、職員のモラルの向上にも役に立ったようである。その後、これらのプロジェクトをきっかけに臨床研究が始まったり、学会発表や論文の執筆なども盛んになったりしたようである。
この中で重要な点が幾つかある。問題点を見つけていく手法が(1)利害関係者分析、(2)職員ワークショップ、(3)1対1面接、(4)質問票など系統的に考えられていることもその一例である。また、こういうプロジェクトなどが導入された場合、数字や臨床疫学研究の手法を用いた「プロジェクト評価」が必ず求められるのも、診療ガバナンスの重要な側面である。この評価で使った研究を科学的根拠として学会発表や論文という形で周りに伝えることが勧められているのである。さらに、医師の視点、看護師の視点、患者(の親)の視点、また診療内容、人間関係、作業手順など、さまざまな職種、さまざまな医療の内容が検討されている点は注目に値する。
なんだ、こんなことウチでもやっている、と言われる方がいるかもしれない。しかしその一つ一つを系統的にしているだろうか。疫学などの技術を使ってしっかりとした評価をしているだろうか。職種間の壁は高くないだろうか。上級医師から研修医までこういった概念がしっかりと根付いているだろうか。
診療ガバナンスという言葉は病院経営者や、公衆衛生学者たちだけの言葉でなく、英国では日常診療に携わる、医師や看護師など一人ひとりに関係があることとして浸透しつつある。一方で、現場の診療に携わる人のために標準的な診療もしくは最適な医療というものを提示する、科学的根拠に基づく診療ガイドラインの存在も、診療ガバナンスに大きくかかわっている。また、昨今の英国では、どのような場面でも決定に患者・消費者の参加が見られるのも、診療ガバナンスの特徴である。
この診療ガバナンス、英国政府保健省の定義を意訳すると、「最適な医療を生み出すような環境を作り出すことで、継続的に医療における質を改善し、高い水準を保つようにするシステム」といったところだろうか。英国においては、この医療の質と安全に関連して、診療ガバナンスという概念がかなり末端まで浸透してきたと実感している。
例えば、英国では研修医であろうと、上級医師であろうと、職場を変わるときは面接がある。面接はする側も受ける側も人事担当者に監視されるので、真剣勝負である。その面接で、最近必ずと言ってもいいぐらい聞かれるのが「診療ガバナンスについてはどう思うか。今までこのためにどのようなことを努力してきたか」というようなことである。実は私も就職のときに聞かれた。「診療ガバナンス」は、英国で医師として働くからには絶対に避けて通れない言葉なのである。
では具体的にどんなことを指して、診療ガバナンスというのだろうか。例えば、これはとあるロンドン郊外の病院での実際の話である。運営側(英国の場合、病院の運営母体はトラストと言う)の方針で、小児部門に「診療ガバナンスの担当者」を設置することになり、上級小児科医師と上級看護師からなるチームが指名された。診療ガバナンスを実現するための四つの柱、つまり(1)リスク・マネージメント、(2)診療監査、(3)教育、(4)診療ガイドライン——について検討が重ねられた。
チームはまず、病院運営の利害関係者たちと話をすることにした(利害関係者分析という)。病院の理事長、院長、婦長、人事担当者、診療部長といった面々と個別に会い、関係者たちの考え方を調査し協力を求めた(実はこの話し合いは時間がかかっただけで、あんまり実にならなかったようである…)。
その次にしたことは、職員達との話し合いである(職員ワークショップ)。いろいろな職種・部門の職員達と計8回ほど、それぞれ2時間にわたる話し合いを持った。その後、各部門の上級職員たちと1対1の面接もした。こういう職員との対話の中で、診療に直接かかわることと、職員間の問題点が浮かび上がってきた。
診療に直接かかわることでは、診療ガイドラインや最新の科学的根拠などと照らし合わせて、日常の診断や治療に関して幾つかの問題が浮かび上がった。例えば、母乳率を改善する工夫をする余地があるとか、不要で行き過ぎた治療が行われている可能性がある、といったようなことである。また、職場の人間関係においても重要な発見があった。小児病棟の一部の看護職員が平等に扱われていないと感じていたり、職員間のコミュニケーションがうまくいっていなかったり…というようなことである。
一方で、6カ月間にわたり、小児病棟・新生児病棟に入院している児の親を対象に質問票を使った調査も実施した。この調査の中で、別の問題点も浮かび上がってきた。例えば、新生児病棟内で誰が上級看護婦か分かりづらいとか、救急外来から小児病棟に上がるまで繰り返し同じことを聞かれるとか、救急外来での待合室に関する不満などが指摘されたのである。
以上のことを踏まえて次の6つのプロジェクトが立ち上がった。
新生児病棟
1) 不必要な新生児病棟への入院を減らし、こういった児の産科病棟でのケアを促進すること
2) CPAP(持続性陽圧呼吸療法)を受けている児に関して、不要な治療がないか検討し、早期退院を促進すること
3) 低出生体重児を対象にカンガルーケアを導入することで、母乳哺育を促進すること
小児病棟
1) 3つある小児病棟間で、適性を考えた看護職員の配置を再度検討すること
2) 救急外来より小児病棟入院までの繰り返しの仕事を無くし、迅速な入院を促進すること
3) 開業医より紹介されてきた、「入院扱い」として救急外来で診られている児の取り扱いに関して、再度検討すること
これらのプロジェクトが導入されていくにつれ、病院内に好意的な雰囲気が見られるようになった。母乳率の大幅な向上など実際の診療内容もさることながら、異職種間のチームワークや、コミュニケーション、職員のモラルの向上にも役に立ったようである。その後、これらのプロジェクトをきっかけに臨床研究が始まったり、学会発表や論文の執筆なども盛んになったりしたようである。
この中で重要な点が幾つかある。問題点を見つけていく手法が(1)利害関係者分析、(2)職員ワークショップ、(3)1対1面接、(4)質問票など系統的に考えられていることもその一例である。また、こういうプロジェクトなどが導入された場合、数字や臨床疫学研究の手法を用いた「プロジェクト評価」が必ず求められるのも、診療ガバナンスの重要な側面である。この評価で使った研究を科学的根拠として学会発表や論文という形で周りに伝えることが勧められているのである。さらに、医師の視点、看護師の視点、患者(の親)の視点、また診療内容、人間関係、作業手順など、さまざまな職種、さまざまな医療の内容が検討されている点は注目に値する。
なんだ、こんなことウチでもやっている、と言われる方がいるかもしれない。しかしその一つ一つを系統的にしているだろうか。疫学などの技術を使ってしっかりとした評価をしているだろうか。職種間の壁は高くないだろうか。上級医師から研修医までこういった概念がしっかりと根付いているだろうか。
診療ガバナンスという言葉は病院経営者や、公衆衛生学者たちだけの言葉でなく、英国では日常診療に携わる、医師や看護師など一人ひとりに関係があることとして浸透しつつある。一方で、現場の診療に携わる人のために標準的な診療もしくは最適な医療というものを提示する、科学的根拠に基づく診療ガイドラインの存在も、診療ガバナンスに大きくかかわっている。また、昨今の英国では、どのような場面でも決定に患者・消費者の参加が見られるのも、診療ガバナンスの特徴である。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
2008年10月1日水曜日
イエローカード
イエローカードと黒い三角
森 臨太郎
英国はサッカーの母国である。好むスポーツにも「階級」というものがあり、上位に位置する人々はどちらかというとクリケットが好きで、サッカー(英国ではフットボール)はどちらかというと労働者階級の楽しみである。階級差がなかなか超えられないフラストレーションは、熱狂的なフットボール応援へと変わるといわれている。
イエローカードというのはもう多くの人がご存知のとおり、サッカーで反則があった際に使用される黄色いカードのことである。これが医療安全にも利用されている。もちろんあの審判が掲げるイエローカードそのものが使われているわけではないが。
英国では医薬品や医療機器の承認を担当する国の機関があり、MHRA(Medicines and Healthcare products Regulartory Agency http://www.mhra.gov.uk/)と呼ぶ。医薬品などのリストを作る制度は、学会が誕生したヘンリー8世の時代からあったようだが、しっかりした承認制度は1971年に始まった。
欧州共同体の動きとあいまって、医薬品などの承認を欧州内で統一する動きも早くから始まっており、ロンドンに本部があるEMEA (European Agency for the Evaluation of Medical Products http://www.emea.eu.int/) という組織も1995年より動き始めている。今では新しい医薬品の承認などは最初からEMEAに申請する決まりになっている。
実際、EMEAで承認されると英国でも承認されたということになるし、たとえEMEAに承認されておらず、MHRAも承認していなくても、欧州共同体内のほかの国で承認されていれば、簡単な申請でその薬品は手に入る。
もっとも、特殊な状況下でまだ承認されていない医薬品を使用したいときは、患者側、医療者側双方の署名が必要な書類を申請し、通れば使用可能ではある。こういう薬を英国では通称「specials」と呼ぶ。
MHRAでは承認するだけでなく、医薬品の副反応情報を監視する役割も担っている。これに関しては、二つ有名な制度がある。一つはイエローカード制度(http://www.yellowcard.gov.uk/)、もう一つを「黒三角制度」(http://www.mhra.gov.uk/home/idcplg?IdcService=SS_GET_PAGE&nodeId=748)という。
イエローカード制度は1960年代初頭に問題になったサリドマイドの薬害をきっかけに1964年に立ち上がった制度で、英国で診療をするすべての医師、看護師、薬剤師、コメディカル、患者など、関係者なら誰でも、薬剤などの副反応と思われる事例を黄色い指定用紙に書いて、MHRAに報告できる制度である。
報告は義務ではないが、「専門家の義務として認識されるべきだ」という考え方は浸透している。ただし製薬会社は報告を義務付けられている。患者や患者の家族が報告できるようになったのは最近のことだが、注目に値する。
このイエローカード、文字通り黄色い紙で、家庭医の使う処方箋用紙に必ず添付されている。報告はこの黄色い用紙に記入してMHRAに送るという旧式のやり方もあるが、現在はWebサイトからでも、電話でもできる。
報告しない例をできるだけ少なくなるため、その医薬品の有害事象であると確定できなくても疑いがあるというだけでの報告も勧められている。
小児科では様々な理由で小児用に承認されている医薬品が極端に少ないため、通常の医療行為であっても承認されていない医薬品を使用する機会が多い。このため、小児に使用する医薬品の有害事象の監視に関しては特に強化されて行われている。同様に、HIV感染に関連した有害事象の監視も強化されている。
この制度が始まって以来、平均すると年1回ぐらいの割合でこの制度により新たに認識された有害事象に関連して、注意を喚起したり、医薬品の承認を取り消ししたり、ということがあった。
この有害事象の報告は1960年代からデータベース化されており、最近、国民や医療関係者の意見が集められる機会を経て、情報公開法(Freedom of Information Act)の 動きともあいまって、一定の手続きを踏めば一般の人でも閲覧可能になった。もちろん個人を特定するのは難しい仕掛けになっている。
さらに1976年からは黒三角制度が始まった。これは承認された新薬などに関連するものである。新薬の名前を出すときはどこに出す場合にも逆三角形▼のマークをつけることが義務化されており、いかなる事象も報告することになっている。
承認という一つの防壁だけでは医薬品・医療機器の安全性を確保することは不可能である。承認後も、まれだけれども重篤な事象が起こる可能性はいつでもあるし、承認後、数十年たってから問題が分かることもあり得る。英国のイエローカードや黒い三角といった制度は、承認制度を補完する役割を果たしている。
医療安全というのはなにも医薬品や医療機器に限られた話ではない。病棟の構造であったり、衛生であったりもする。こういう広い視点から安全性について検討したり、監視する組織もある。その一つがNPSA:National Patient Safety Agency ( http://www.npsa.nhs.uk/ )である。これはブレア政権保健医療制度改革で出来た組織の一つである。
例えば、ある静脈注射用の医薬品による事故が複数回起こり、その原因をNPSAが調査した結果、じつはまったく別の医薬品と入れ物が酷似していたため間違えたということが判明し、NPSAの指導により区別がつくような入れ物になったというようなこともあった。
このNPSAは筆者の働くNICEのようなその他の国立の組織や、CEMACH:Confidential Enqueiry into Maternal and Child Health、NCEPOD:National Confidential Enquiry into Patient Outcome and Deathと呼ばれるような、死因について深く調べる国単位のサーベイランス組織などとも提携して、安全の改善に寄与している。
医療の安全というのは、なにか一つの組織や制度があるから確保できるものではなく、末端のものも含めてどの組織にも浸透するべき概念でありつつ、以上に挙げたような安全そのものを統括して監視する複数の組織・制度に助けられて向上するのではないかと思う。独立性を保つことがとても重要である。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
森 臨太郎
英国はサッカーの母国である。好むスポーツにも「階級」というものがあり、上位に位置する人々はどちらかというとクリケットが好きで、サッカー(英国ではフットボール)はどちらかというと労働者階級の楽しみである。階級差がなかなか超えられないフラストレーションは、熱狂的なフットボール応援へと変わるといわれている。
イエローカードというのはもう多くの人がご存知のとおり、サッカーで反則があった際に使用される黄色いカードのことである。これが医療安全にも利用されている。もちろんあの審判が掲げるイエローカードそのものが使われているわけではないが。
英国では医薬品や医療機器の承認を担当する国の機関があり、MHRA(Medicines and Healthcare products Regulartory Agency http://www.mhra.gov.uk/)と呼ぶ。医薬品などのリストを作る制度は、学会が誕生したヘンリー8世の時代からあったようだが、しっかりした承認制度は1971年に始まった。
欧州共同体の動きとあいまって、医薬品などの承認を欧州内で統一する動きも早くから始まっており、ロンドンに本部があるEMEA (European Agency for the Evaluation of Medical Products http://www.emea.eu.int/) という組織も1995年より動き始めている。今では新しい医薬品の承認などは最初からEMEAに申請する決まりになっている。
実際、EMEAで承認されると英国でも承認されたということになるし、たとえEMEAに承認されておらず、MHRAも承認していなくても、欧州共同体内のほかの国で承認されていれば、簡単な申請でその薬品は手に入る。
もっとも、特殊な状況下でまだ承認されていない医薬品を使用したいときは、患者側、医療者側双方の署名が必要な書類を申請し、通れば使用可能ではある。こういう薬を英国では通称「specials」と呼ぶ。
MHRAでは承認するだけでなく、医薬品の副反応情報を監視する役割も担っている。これに関しては、二つ有名な制度がある。一つはイエローカード制度(http://www.yellowcard.gov.uk/)、もう一つを「黒三角制度」(http://www.mhra.gov.uk/home/idcplg?IdcService=SS_GET_PAGE&nodeId=748)という。
イエローカード制度は1960年代初頭に問題になったサリドマイドの薬害をきっかけに1964年に立ち上がった制度で、英国で診療をするすべての医師、看護師、薬剤師、コメディカル、患者など、関係者なら誰でも、薬剤などの副反応と思われる事例を黄色い指定用紙に書いて、MHRAに報告できる制度である。
報告は義務ではないが、「専門家の義務として認識されるべきだ」という考え方は浸透している。ただし製薬会社は報告を義務付けられている。患者や患者の家族が報告できるようになったのは最近のことだが、注目に値する。
このイエローカード、文字通り黄色い紙で、家庭医の使う処方箋用紙に必ず添付されている。報告はこの黄色い用紙に記入してMHRAに送るという旧式のやり方もあるが、現在はWebサイトからでも、電話でもできる。
報告しない例をできるだけ少なくなるため、その医薬品の有害事象であると確定できなくても疑いがあるというだけでの報告も勧められている。
小児科では様々な理由で小児用に承認されている医薬品が極端に少ないため、通常の医療行為であっても承認されていない医薬品を使用する機会が多い。このため、小児に使用する医薬品の有害事象の監視に関しては特に強化されて行われている。同様に、HIV感染に関連した有害事象の監視も強化されている。
この制度が始まって以来、平均すると年1回ぐらいの割合でこの制度により新たに認識された有害事象に関連して、注意を喚起したり、医薬品の承認を取り消ししたり、ということがあった。
この有害事象の報告は1960年代からデータベース化されており、最近、国民や医療関係者の意見が集められる機会を経て、情報公開法(Freedom of Information Act)の 動きともあいまって、一定の手続きを踏めば一般の人でも閲覧可能になった。もちろん個人を特定するのは難しい仕掛けになっている。
さらに1976年からは黒三角制度が始まった。これは承認された新薬などに関連するものである。新薬の名前を出すときはどこに出す場合にも逆三角形▼のマークをつけることが義務化されており、いかなる事象も報告することになっている。
承認という一つの防壁だけでは医薬品・医療機器の安全性を確保することは不可能である。承認後も、まれだけれども重篤な事象が起こる可能性はいつでもあるし、承認後、数十年たってから問題が分かることもあり得る。英国のイエローカードや黒い三角といった制度は、承認制度を補完する役割を果たしている。
医療安全というのはなにも医薬品や医療機器に限られた話ではない。病棟の構造であったり、衛生であったりもする。こういう広い視点から安全性について検討したり、監視する組織もある。その一つがNPSA:National Patient Safety Agency ( http://www.npsa.nhs.uk/ )である。これはブレア政権保健医療制度改革で出来た組織の一つである。
例えば、ある静脈注射用の医薬品による事故が複数回起こり、その原因をNPSAが調査した結果、じつはまったく別の医薬品と入れ物が酷似していたため間違えたということが判明し、NPSAの指導により区別がつくような入れ物になったというようなこともあった。
このNPSAは筆者の働くNICEのようなその他の国立の組織や、CEMACH:Confidential Enqueiry into Maternal and Child Health、NCEPOD:National Confidential Enquiry into Patient Outcome and Deathと呼ばれるような、死因について深く調べる国単位のサーベイランス組織などとも提携して、安全の改善に寄与している。
医療の安全というのは、なにか一つの組織や制度があるから確保できるものではなく、末端のものも含めてどの組織にも浸透するべき概念でありつつ、以上に挙げたような安全そのものを統括して監視する複数の組織・制度に助けられて向上するのではないかと思う。独立性を保つことがとても重要である。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
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