2015年10月1日木曜日

医薬品にかかわる意思決定

適切な意思決定をするためには、充分な情報を得ていることが前提になる。意思決定がうまくいかないとき、多くは、この「充分な」情報が得られていないことが多い。また、意図的にでも、無意識にでも、情報の提供の仕方を変えることで、この情報提供のバランスは容易に崩れていく。

医学界の、とくに医薬品に関する意思決定の構造的な問題点を問う著名な英語の本が、本年二冊翻訳されて、出版された。抗うつ薬と自殺の関係を言い出した精神科医が書いた「デイヴィッド・ヒーリー ファルマゲドン 背信の医薬 みすず書房」
と、私の仕事の一端であるコクランとも関連が深い医師で研究者が書いた「ベン・ゴールドエイカー 悪の製薬 製薬業界と新薬開発がわたしたちにしていること 青土社」
である。どちらも煽るようなタイトルになっているのはいかがかと思うが、医学界ではうすうす感じてきな大きな問題について提起している。

医薬品の問題点を指摘する論点においては、一般的には製薬企業がその攻撃の対象とされる。ただし、製薬企業は利益を追求する営利企業であり、不正をしない限りは、すなわち社会のルールに従う限り、それらの企業が糾弾されるべきものではなく、もし構造的な問題点があるとすると、それは、その問題点を生み出す社会構造や規制(あるいは規制がないこと)を問題にするべきだと思う。そういう意味では、この両者ともに、典型的で近視眼的な糾弾本ではなく、社会構造を明らかにして、その解決の糸口を探ろうとしているところに好感が持てる。

「ファルマゲドン」について、少し説明を試みる。マーケティングという手法が、医薬品の意思決定に関して現実的に大きな影響を及ぼす医師に絞って、発展してきたことを指摘している。さらに、医薬品を特許申請することに多くの先進国が抵抗を感じていた時代を過ぎて、医薬品産業が大きく先進国の経済成長に影響するようになり、ほんの少ししか違わない化合物を特許として認めるまでになることも示している。科学的根拠に基づく医療の枠組みの中で数値によるまやかし、ひいては日本でも問題になった臨床試験のデータの改竄も多くの国であった。また、効果の測定方法を工夫することで、結果の見え方も大きく異なる可能性も示している。臨床試験の結果を公表するときに、製薬企業がゴーストライターとして論文を書き、かかわった医師たちの名前で出版するというようなことも多くある。

「悪の製薬」では、意図的に臨床試験が行われたことや、陰性の結果だったものを表に出さないことで、結果的に情報をゆがめること、規制当局への圧力、臨床試験の分析方法や施工方法を様々に工夫することで、その医薬品の効果を大きく見せることが可能であり、そういった事例を紹介している。さらに、あの手この手のマーケティングの方法も同様に紹介している。ゴーストライターのことにも触れられている。

こう見てみると、両者の観察はかなり似ている。

ある研究の結果、陰性のデータは出版せずにお蔵入りになり、陽性のデータのみ出版するというのは、なにも臨床試験だけではなく、基礎的な研究でもよく見られることである。「出版しないこと」自身は不正ではない。ただ、良い結果のみ著名な雑誌に収載され、人々の目に留まるため、あたかも、新しい診療方法のほとんどがバラ色のように見えてしまう。

私はコクランという組織の日本支部を担当している。また、英国時代はNICEという組織の診療ガイドラインを作成していた。このコクランやNICEという組織のことが、この二つの本でともに紹介されている。

コクランでもNICEでも、関連する診療行為の効果について検証した臨床試験を網羅的に集めてきて、その質評価をして、統計学的にその結果をまとめる、ということで、その診療行為に関する科学的知見を凝縮させて意思決定に寄与しようとする文書を作成している。こういったプロセスのなかでできるだけ客観性を担保した方法で医療に関する情報提供をしようとしている。このプロセスの中で、注意深くみていくと自然に上記の「構造上の問題」が見えてくることがある。

繰り返すが、製薬企業を糾弾しても解決にはならない。これは医師や医療界、規制当局、医薬品医療機器企業、学術界全体にわたる構造上の問題である。さらに、おそらく、似たような構造が多くの分野においてみられると考えられる。


適切で有効な規制強化(あるいは緩和)、透明性の強化、市民や患者がより主体的にこのプロセスに参加することなど、ある程度は対処の方法はあるが、前回でも書いたが、最終的には、他人の意思決定に影響をおぼそうとする手段はかなり多岐にわたることを考えると、個人個人が、近視眼的な情報に惑わされないように本質を見ていく目を養うことも重要である。

1 件のコメント:

青木 さんのコメント...

HPVワクチンのPATRICIA論文を読んでみましたが、ゴールドエイカーの悪の製薬に出てくるテクニックが多いように思いました。サブグループ解析で結論を出し、ITTもないですね。かなり問題のある論文のようです。