持続可能な社会の中での医療
少子高齢化ということがずいぶん叫ばれています。政府の債務超過もすでに周知の事実として私たちは認識しています。社会保障の中でも大きな割合を占める年金制度の運用も、国の信用、すなわち国債を背景にしたものから、よりリスクの高いものに変わろうとしています。
医療は社会構造の一端として、すでにグローバルの枠組みの中にあります。直接的に私たちの目に見える医療は地域で提供されているものですが、その構成要素を一つ一つとってみると、地球レベルでの経済活動に支えられていることがわかります。さらに踏み込んでいうと、途上国が途上国だからこそ、日本の医療が今のレベルで提供できるわけです。
途上国が発展(あるいは経済成長)すると、その格差を利用した現在の日本の経済的位置は相対的に低下するので、さらなる途上国を探すか、それもなくなると、途上国を途上国という位置づけのままにしておくような工夫でもしない限り、日本をはじめとする先進国の経済レベルは維持できないように思いますし、おそらく、こういった工夫にも限界があると考えられます。(人道的にも問題です。)
先進国がかつて経済成長したように、これから途上国が成長できるかというと、同時代に生きていることによる相互作用により、環境コストや高齢化など、成長にブレーキをかけるような要素が大きいうえに、成長の源泉であったさらなる途上国や成長領域がほかになくなってしまう、あるいは小さくなっていくことから、なかなか難しいということがわかります。
国内的には少子高齢化し、経済活動が活発な人口層が減り、社会保障の割合が増えていくという未来を感じ、一方で、もう少し俯瞰的に世界を見ると、先進国である日本が経済成長をどんどんつづけることができるようには感じられません。
一方で完全な定常的な社会を目指すのでしょうか。
おそらく「経済成長」だとか「定常的」という経済成長、その中身は価値を増やすことですが、成長する=古典的での価値を増やすことではなく、新しい価値観による「価値」を増やすことではないかという気がしています。
ただ、結果的には古典的な意味での価値の増加=経済成長はあまりなく、「定常化社会」や「循環型社会」と提唱されている雰囲気は、新しい価値の増加と近いものがあるようには思いますが、やっぱりどこか違うような気がします。ただ、限りある環境の中で、循環しつつ、というのは前提条件なのですが。
子どもの成長や発達は以前より時間がかかるようになりました。人の老化も以前より時間がかかるようになりました。移動の時間も以前よりずいぶんと短くなりました。情報入手の時間もうんと短くなりました。
まずは、こういったすでに昔に比べると大きく変わったことに基づく制度に変えることが必要な気がします。
ただ、昔に比べると変わったことの大きな点は、価値観でもあると思います。人々の消費が思ったより伸びないことを見ても、おそらく、「どのようなものやことを大事にするか」ということが、数十年前に比べると、日本国内でも世界でも、大きく変化しているように思います。
こういった変化に制度や考え方がついていけていないことが「持続可能性」という点から皆が不安になる大きな要因のように思います。
経済成長路線だ、定常化社会だ、というのではなく、社会が目指す方向性は、その社会の構成員の人々の価値観を反映するものであり、一つ一つの制度や政策すべてが、制度の考え方を変えるのではなく、その「現状」やすこし近い未来に適合できるような制度の調整が必要な気がします。
多くの非効率や無駄が、こういった価値観と制度のずれから生まれているように思います。それを一つ一つ地道に変えていくには、まずは無駄と考えられる既存の制度を取り除き、その際には、きっと「大事なこと」まで取り除かれてしまう可能性がありますので、注意してみながら、迅速にその抜けた穴のところに本当に必要な制度を当てはめていくことを繰り返すことで、気が付くと、新しい社会にあった制度ができているような気がします。
私たちがぼんやりと、○○だったら幸福だとかんじているようなことを、しっかりと言葉にして、新しい社会的価値観を確認することが大事に思っています。
持続可能な社会の中での医療は、こういった作業の中できっと見えてくるように思います。
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