英語には尊敬語や丁寧語がなく、ファースト・ネームで呼び合うのであまり上下関係がないと言う人がいる。ところが現実はそんなに簡単ではない。
政治がらみの仕事や組織の上層部に行けば行くほど、目に見えない形で、しっかりとした上下関係があり、実はこういうことを言葉の表現の中ににじませるような努力も必要になってくる。英語に尊敬語がない訳ではない。英語の尊敬語は微妙な表現の中にあるのである。このあたり米国の事情を聞いてみたいが、英国での英語ではかなり「語彙」にこだわる傾向があるように思う。
医師もポジションによりいくつかの層に分かれており、それぞれの「階級」の間の溝は案外深い。 コンサルタントと言われる立場がある。これは日本語では顧問医とか、上級専門医、もしくは部長などと訳されている。これは専門医などの研修も済まし、まったく独立して診療ができる医師で、病棟や外来などで指導的な役割を担っている。基本的には同じ病院で同じ科でもコンサルタントが違えば診療方針も違う。具体的には病棟などを回診して治療方針の大きな方向性を決め、あとは教育や病院の運営、研究に携わる。
その下がレジストラーと呼ばれる中堅の医師たちである。日本語では中級専門医などと訳されている。病棟や外来での実際の仕事をほとんどこなす実働部隊といった役割である。英国では専門医試験を通り、初期研修が終了して自分の専門学会に正式に入会すればこの仕事を取れる権利が与えられる。その後この中級専門医として認定された研修期間を終われれば(小児科であれば5年間)コンサルタントの仕事を取る権利が与えられる。研修医達を教えながら、こまごまとしたことの方針はすべてレジストラーたちが行う。
この中級専門医達の下で働くのがハウス・オフィサーたちである。日本語では研修医であろうか。インターンを終えた新入り医師たちが2-4年ぐらいこの立場で将来自分の専門を考える上で様々な専門を経験したり、もしくは自分の専門の中で研修する。通常専門医の試験はこの時代に受ける。専門医の試験を受けてしっかりと知識をつけてから研修が始まるというこの英国の制度は、研修を受けて最後に試験が通れば専門医になれる日本とは逆になる。 それぞれの立場の差は実際の仕事の差でもあるが、周囲もコンサルタントという場合とハウス・オフィサーという場合では接し方も違うし、やはり「階級」ということを強く感じざるを得ない。企業における「部長」だとか「課長」とかいうのと似ているのかもしれない。
日本からみた大きな違いは、仕事の領域配分である。日本であれば同じ科に何人かの医師がいる場合、上になるにしたがって、徐々に指導的な役割が増えるので、だれが「実働部隊」で、だれが「研修医」ということもはっきりとしなく、逆にそれぞれの医師の力量に応じて病院ごとに微妙に違ったりする。 しかし、英国では、コンサルタントの仕事はコンサルタントの仕事であり、力量や年数に関わらず、同じ役割が求められる。レジストラーも同じである。求められている仕事以上の仕事は期待されていないし、してはいけない。他人の領域に踏み出すのは禁忌である。
私自身もこういう環境で働くことで、刺激を受ける反面、求められている仕事をしっかりとこなすという歯車のような働き方に疑問に感じるときもあった。 給料も違えば、その他の待遇、当直の有無など大きく変わってくるので、多くの医師たちがより上の段階に上がろうと努力する。この努力が専門医の試験に通ることであったり、研修のためとして認められているポジションを取るために履歴書を上手に書いたり、自分をうまく見せる努力も必要になるわけである。
専門医制度が厳しいためか、一般的に日本の医師に比べると英国の医師はよく勉強しているし、知識も多い。EBM(根拠に基づく医療)という考え方が試験や日常診療の中でも問われるということもあって、現在までの臨床研究についてや、正しい論文の読み方もかなり年上の医師たちでも精通している。
実はこのEBM、上に掲げた上下関係を打破するための道具でもある。EBMという言葉が生まれて10年以上経つが、さすがにEBMを引っ張ってきた国の一つ、その考え方はかなり浸透しているため、下の医師からEBMを武器に治療方針はこうあるべきではないか、と言われ、それが正しいと思われたら、上の医師も受け入れざるを得ない。下克上の道具なのである。また、もちろんそうすると上位の医師たちも必死で勉強する羽目になるわけである。
この上下関係に本国部隊と外国人部隊という関係も微妙に影響する。英国の場合は本国(英国)で生まれ育った医師たちと、欧州部隊(ヨーロッパ大陸から来た医師たち)と、外国人部隊(南アジアやアフリカなど)という大きく分けて3グループがあり、その中でポジションや研修などの情報交換は自然と活発である。
欧州部隊はEUの推進によって英語の基準無しに欧州大陸から英国に渡り、臨床医として働くことが可能となったので、最近勢力を伸ばしつつある。最近特に東欧からの医師が多い。より英語の上手な外国人部隊を押しのけて仕事を取る権利があるので、現場は少し混乱している。 上に掲げた「出世競争」に勝ち残るには情報戦が重要なのであるが、私の場合は「日本人部隊」などというものが存在しない場所で診療行為をしてきたので、時と場合に応じて様々なグループの友人達(ほとんどが外国人部隊)から情報を得てきた。今でもこういうネットワークはとても重要であると感じている。
ちなみに、この「外国人部隊」は私も含めて英国・豪州・カナダ・ニュージーランドなど旧英連邦内で移動していることも多い。(米国は別枠である) かつては外国人部隊はコンサルタントにはなれないなどと言われたが、最近ではそういった差別意識も徐々になくなり、自然と人種の違うコンサルタントが働くようにはなってきた。 こういった外国人医師として生き残る道に関しては項を改めてお話したい。
(既出・日経メディカルオンライン・禁無断転載)
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